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【短編ホラー】Yellow

水たまりを飛び越えていく息子が、不意に道路上を指差して止まり、「きいろ」と言ったことがあった。
私は指差した方へ近寄ったが、何も落ちていなかった。
息子を振り返ると、カッパ姿の彼はまだ私の足元を指差している。
遠くで犬が鳴いた。夏だというのに、秋を思わせる冷たい夜風が吹いた。私はまだ三歳の祐輔を抱きかかえると、雨も止んだばかりの夜道を走り始めた。
そこに黄色はなかったが、かつてそこにあった黄色を私は知っている。
ちょうど祐輔と同じくらいの女の子をここで、私はひき逃げした。死んでいることが分かり、怖くなって逃げたのだ。だが今でも鮮明に覚えている。あの日も同じように雨の夜だったこと、そして彼女のレインコートは失われた命とは真反対に、鮮やかな黄色を放っていたことを。

あれから祐輔がきいろと言うこともなく、二ヶ月が過ぎた。
あの道についても調べてみたが、得られるものはなかった。
あの道に黄色いものはない。一時的に工事が行われたなどの情報もなく、道路標識などにも黄色のものはなかった。
ひき逃げ事件については、地元紙に掲載される程度報じられてはいた。鈴木真帆ちゃん、当時四歳。母親が忘れ物を取りに帰っている隙にひき逃げに遭い、胴体が潰れ即死。この事故について目撃者はなし。容疑者すら浮上せず、一年たった今でもひき逃げの目撃者募集の立て看板が立っている。
調べれば調べるほど私の息子は、この事故を知るはずがなかった。すると、彼は何を指差していたのか。
今もなお横たわる、鈴木真帆の黄色を指差していたのだろうか。

「現在降っている小雨も、夜にかけて弱まっていくでしょう」
リビングのテレビが今後の天気を告げた。
「祐輔の迎えに行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
キッチンの妻がカウンター越しに応えた。何をしているのかと覗き込むと、炊いた米を潰している。
形を失っていく粒を見て、あの時の真帆ちゃんと重なる。
振り解くことのできない残像を胸に、家を発った。

「きいろ」
祐輔はまた、その場所でそう言った。
路上を指差している。
実は私には他の可能性が浮かんでいた。信号だ。
一度目にきいろと言った時も、今のように雨が降った後に止んだ時だった。そしてそのような時、水たまりは完璧な鏡となる。
雨が降らなければ水たまりはできない。だが雨が降っていると水たまりに波紋が出来て、鏡にならない。雨が降った後に止んだこの短い時間では、水たまりは様々なものを反射する。
きっと黄色信号が水たまりに反射したのを祐輔は見ているのだろう。
だが私は信号を見やって、愕然とした。信号が青色だったのだ。
「きいろ」
再び祐輔が言う。辺りを見回したが、黄色いものはやはり何もない。
私は祐輔の肩を掴み問いただした。
「黄色なんてないだろ。何を言ってるんだ」
「きいろ、ある。ここにあるよ」
やはり祐輔には、真帆が見えているのかもしれない。
そんなことを信じたくはなかったが、気付くと私は馬鹿なことを聞いていた。
「…分かった。…なんて…なんて言ってるんだ?」
この場面を、私は永遠に忘れないだろう。
「…ぺったんこ」
「…え?」
「ぺったんこ」

どう家に帰ったか、覚えていない。ただただ息子が恐ろしくて仕方がなかった。
手を繋ぐ気にも、抱きかかえる気にもなれなかったので、息子の半歩後ろを黙って歩いた。
やがて自宅に着き、リビングの点った灯りを見て、妻には話すべきだと思った。この罪を背負ったまま生き続けるのは、やはり無理かもしれない。
玄関を開ける。祐輔が靴を脱ぎ、ドタドタとリビングに走っていく。おかえりと言う妻の声。
「ただいま」
私もリビングへ入ると、妻が立ち塞がった。
「ねぇ、団子作ったの。どう?」
彼女の手元には、四角錐のように重ねられた団子があった。
「ああ、なんで?今日なんかあったっけ?」
「うそ、知らないの?」
そして彼女は言った。
「今日、中秋の名月だよ」

ベランダにブルーシートを敷いて、妻と祐輔と三人で団子を囲んだ。近くの公園でむしった数本のススキを立てかけて、私は空中を見上げた。
満月だった。
それはそれは黄色く暖かい光だった。
「まるい」
祐輔が団子を指差して言う。妻が一つ取って、半分に千切ってから祐輔に渡す。
小さな頬が膨らんで月よりも丸くなる。まだ咀嚼しているのに次の団子を指差すので、妻が苦笑する。
この愛しい時間を手放したくないと強く感じた。私の罪を吐き出すことはできない。
それに祐輔が言ったことも、きっとこの満月だったのだろうと腑に落ちていた。
建物の影に隠れて私から見えなかった満月が、祐輔には水たまり越しに見えていたのだ。
何を言っているのか問われ、ぺったんこと答えたのは、おそらく月のうさぎの餅つきを表していたのだろう。
私は月を見上げながら安堵した。息子は真帆を知らない。見えてもいないし、聞こえない。
「あなたもお団子食べたら?」
妻の声に振り返る。ありがとうと言ってお団子を受け取る。祐輔は月を指差して欲しそうにしている。
私はその柔らかな玉を口に放り込み、優しい甘みが広がるのをゆっくりと噛みしめた。

「きいろ」
祐輔が背後でそう言った。振り返ると、いつもの場所を指差している。
「ん?どれのことだ?」
「きいろ」
相変わらず頑なに路上を差す。
おかしい。
今は朝の八時だ。それに水溜まりもない。
今度こそ何もない路上に「きいろ」と言っている。
今思えば最初にきいろと言った時、あれは雨が止んだばかりの夜道だった。つまり、月はまだ雲に隠れていたはずである。
最初の日、祐輔は月を見ていない。
では何を差してきいろと言ったのか。
まさか。
「祐輔、この前ベランダから見たお空の丸いものってなんて言う?」
「んー、おつきさま」
「そうだね。じゃあ指差してるコレは?」
「わかんない。きいろ」
そんな馬鹿な。
「…じゃあ、何か言ってる?その黄色は」
「ぺったんこ」
「え……」
「〇〇〇」
「え?黄色?」
祐輔はあどけない声色で、その言葉の意味も知らずに繰り返した。
「消えろ」


こちらは以下の企画に参加した作品です。
文頭を「水たまり」で始めています。

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