【短編】俺の才能を買え
夜店から出てきた男が、指名手配犯の特徴と酷似していた。今にも花火が打ち上がろうかという河川敷の人混みに紛れ、俺の体は勝手に尾け始めていた。
水田修。今年で四十三歳。三十三歳の冬にヤクザを二人殺害し逃亡。彼の仕切っていた麻薬売買のネットワークが霧散し、副次的に中毒者が暴れる事件が二件発生した。
全国指名手配がなされ、懸賞金は二百万。最低でも懲役二十年は堅い。
提灯を模した電灯に一瞬照らされた彼の頬に、特徴的なイボを認めた。━━そんな気がした。
五メートル先を歩くスウェットの彼は、こちらを悟った素振りはない。視線を逸らさないまま、彼の出てきた屋台に入る。
「すみません、警察です。今出て行った男は、ここにイボありましたか?」
警察手帳を見せる。豆電球の下で店主が眉をひそめる。
「ええ、ありましたね」
「そうですか、ありがとう」
店を辞す。再び彼を尾行する。
まだ人相を視認できていない。背格好や年齢は合致するが、確証がない。
ここから続く二キロほどの川辺の闇は、整列して吊るされた提灯では払いきれていない。
時折その闇と人混みに見えなくなりそうな彼を見失わないよう、俺はメガネの位置を直した。
この暮野市千鳥川灯籠流し大花火大会は、地元民の他、地主、市議会議員が参加し、またローカル線の開業に伴い市外からの客足も伸び、最大で一万人弱の来場者で賑わう。交通整理などで地元の駐在所からも数名警察官が派遣された他、スリ、闇取引、迷子の連れ去りなどの防止として、現役の刑事が追加で二名派遣された。
東西に伸びる川沿いの東を担当する刑事の田崎は、橋から客で埋まる河川敷を見下ろしながら、早々に帰ろうと決めていた。
これはただの雑務だ。昇進にも影響しないし、仕事が進むわけでもない。スリが起きても気づけないし、指名手配犯が来るわけでもない。
刑事がやる仕事ではないのだから、こんなむさ苦しく暗く青臭いところとはオサラバしたかった。早く帰って冷えたビールが飲みたい。
メイン会場の方角から、スピーカーで増幅しすぎた議員の挨拶が、獣の唸りのように聞こえる。時計を見ると打ち上げ開始まであと十分だ。
日は沈み、空すらも光の開花を待ち望んでいる。眼下の川は河川敷の提灯を溶かし、薄明かりに揺れながら西へと伸びていく。
この先西側を担当する若手、伊藤の顔がよぎったが、死ぬわけでもあるまいと思い直すと、田崎はあくびをした。
彼のスマホが手元で光り、指が素早く画面をタップする。またロック解除だ。
相変わらず彼のネットワークは生きていそうだ。明らかにスマホを触る時間が長い。
俺はその後も尾け続け、人気が絶えた河川敷の闇に彼がはけた時を狙って声をかけた。わざと肩をぶつけ、
「あんた水田だろ」
振り返った眼光は鋭かった。やはり水田だ。俺は畳み掛ける。
「取引をしよう」
「あ?シャブはもうやってねぇよ」
「そうじゃない」
俺は警察手帳を見せて言った。
「俺と手を組まないか」
「手を組む?」
「ああ、俺の才能を買え」
そう言って俺は警察手帳を、川にぶん投げた。
橋の上からでも、西から走ってくる影がすぐに分かった。
伊藤だ。
「どうした」
かなり遠くから走ってきたようで、息が切れている。
「すみません、やられました」
「やられた?」
「はい、手帳と携帯をスられました」
「お前、何してんだ」
「警察からスッたんだよ。俺のスリの才能を買え。お前の大麻帝国で役立つだろ」
「はは、何の話だ」
「他のシマのシャブをスッて横流ししてやるよ」
水田は鼻で笑った。
「いらねえよそんなの。ガキは帰りな。しっしっ」
そうだ。確かに俺はガキだ。今年で十七になる。
母が死に、父が蒸発し、俺の首は回らなくなった。
何にしても生きるには金が必要だった。スリを覚えたがなおたんまりとした金が必要だった。
ここで水田を告発し、懸賞金を掠めようかと考える。
二百万。──足りない。
もっと手を汚すことになるが、もっと多く金を稼げるプランB。
彼が俺の顔をまじまじと見る前に、俺は闇に紛れた。
祭りの河川敷に戻った時、不意に金は?という男の声が聞こえた気がしたが、多分それは幼少の頃にこびりついた父の声だった。
「すみません、全く気づきませんでした。かなり慣れていると思います」
「いつ盗まれたのかも分からないのか」
「ええ、まあ強いて言えば…」
「強いて言えば?」
「誰かと肩が当たったくらいですかね」
俺はポケットから三台のスマホを取り出した。
一つ目は俺の、二つ目は警察の、そして三つ目は──。
ロック画面でパスワードを打ち込む。
117351。いい波来い。水田のロック画面が開く。
大麻のネットワークが俺の手中にある。
ここから二百万以上の金をどう産むか。
水田が携帯をスられたことに気づく前に、動かなければいけない。
画面左上の時計が花火の一分前を指す。
人混み、花火、警察、河川敷。
「とりあえず売人みんな呼ぶか」
祭りに乗じた取引を偽装し、シャブの調達を一斉送信した。あとは肩をぶつけるだけだ。
一息を吐いて、空中を見上げる。ウォーミングアップはもう済んでいる。
河川敷の提灯が消灯される。人々から歓声が上がる。
もう父の声は聞こえなくなっていた。
こちらは以下の企画に参加した作品です。
文頭を「夜店から」で始めています。
