わたしはプリン
社会人になって、新人から少し成長したころ、わたしは自分の要領の悪さにしょげていた。席のある事務所と作業部屋が離れているのに、ぽろぽろと忘れ物や用事を思い出して無駄に往復したり、ちょっと考えればわかることをいつまでも考え続けたり、ミスに気がつけなかったり。
もううんざりだと思い始めたとき、
「わたしはどうせおバカだから、しょうがない」
とふと思った。そして妙に納得した。心の中でそうやって言うことはいつの間にかクセになって、できないことがある度に、わたしはおバカだから、が浮かぶようになった。
バカに「お」がつくことに自尊心の欠片が見える。
あるとき、とうとう家で口に出た。
当時付き合っていた彼(今は夫になった)が、それを聞いてなぜかしょんぼりしてしまった。
「それよくないよ」
と。そこで始めて、良い悪いの土俵に立った。考えてみれば確かに精神衛生上すこぶるよくない。
きっと言い訳が欲しかったんだと思う。
なぜならそのとき、期限までに目標値をクリアしなければいけない仕事があって、だけど検証結果はいつも目標の下の方を這っていて、毎日朝から晩まで作業部屋に詰めて試行するけど全然上手くいかなくて、打開策も見つけられなくて。
だから、わたしはおバカだからしょうがない、と思い続けた。これで何も解決しないのに。わたしはハッピーにならないのに。
「プリンにしよう」
しょんぼりしていた彼が続けて言った。
「バカは止めよう、代わりにプリンがいい」
次の日から、わたしはプリンになった。
ある日、また忘れものをして自席と作業部屋を無駄に往復したけれど、
「しょうがない、わたしはプリンだから」
と、そう思った。クセになっていた「おバカ」は、すんなり置き換わった。
そう思い続ける内に気がついた。
わたし、プリンの割によくやってない?
社会の一員やってるプリン、すごくない?
プリンへの昇格は、わたしの気の持ちようを変えた。ネガディブはポジティブになった。だって、プリンは何をやっても褒められるべきだったから。
プリンになって、わたしの日々も不思議と変わった。
仕事の期限がいよいよ迫る中、先輩が、目標達成は厳しいだろうと言い出した。頑張るチームに水を差したのではなく、ここが技術的に限界なのだと、頑張りすぎるチームを止めたのだった。
「こんな生活じゃ体を壊すから。もう帰ろう」
一緒に作業してきたほかの先輩も同意して、わたしの肩は軽くなった。できないのは努力の問題じゃないんだと、そう人から言ってもらえたことに心底安心した。その場で泣き出しそうになって、眉をぎゅっと寄せて、しかめ面で堪えたのを覚えている。
その日の帰り道、あることに気がついた。
あの先輩は夜になるとよく作業部屋まで来ていたけれど、あれはきっと、帰宅を促すためだった。
わたしは直接話せていなかったから、進捗確認だろうくらいに思っていたけれど、この件の実働ではない彼は成果よりわたしたちを心配して、もう帰ろうよと、しょっちゅうお迎えに来ていたのだ。彼はわたしのメンターだった。そういう人だった。
わたしはまた、泣きそうになった。
それでも、期限まではやれるだけやった。だけど先輩の言う通り、結局理想の成果は出なかった。みんなで心身ともに疲弊しきって、そこまでやって目標には未達。成果といえるものはなく、評価もされない、悪い結果のはずだった。
でもわたしはプリンになったから、わかる。「これはできない」と明らかにすることだって必要で、大事なのは結果の善し悪しだけではないのである。
知見は貯まったと、おかげで引き継いだ別チームの検証は順調だよと、後から上司に労われた。目標には到達しなかったけれど、わたしたちの検証は成果としてまとめられ、一連の仕事はちゃんと評価された。
プリンじゃなかったら、きっと途中で会社を飛び出していただろうな。
プリンになれてよかったと思った。
