で、自分はどうしたいの?
昨日は終戦の日。
戦争や歴史認識について書かれた、
ある経営者の
Facebookの投稿が目に入った。
そこには、
新聞、テレビ、インターネット、
SNSで流通する情報を
そのまま受け入れるのではなく、
自分で調べ、
自分の足で確かめ、
自分の頭で考えてほしい。
そんなことが書かれていた。
歴史認識については、
当然ながら
いろいろな立場や見方がある。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
簡単に答えが出るものでもない。
むしろ
僕が引っかかったところは
歴史そのものというより、
自分の頭で考える
ということだった。
そして、
ちょうど同じタイミングくらいで
プロコーチの李氏が
AIについて話している動画を見た。
テーマはまったく違う。
一方は戦争や歴史。
もう一方はAIとこれからの社会。
でも、
なぜか同じことを
言っているように感じた。
李氏が話していたのは、
AIがどんどん賢くなっていく一方で、
それを使っている人間の知性は
本当に上がっているのか?
という問い。
AIに質問すれば、
それらしい答えはすぐに返ってくる。
文章もつくれる。
企画もつくれる。
資料もつくれる。
僕自身も、
AIが欠かせない毎日を送っている。
でも、
AIと壁打ちして、
いいアウトプットが出てきたとき、
それを考えたのは、
本当に自分なのか?
という問いは
ぶっちゃけ残ったりする。
李氏は、
AIに答えを委ねて、
自分で思考した気になってしまうことに
警鐘を鳴らしている。
便利になればなるほど、
自分で問いを立てる
必要がなくなっていくからだ。
そして、
自分は何をしたいのか。
何を大切にしたいのか。
何を美しいと思うのか。
そんな自分自身の軸まで、
少しずつ失われていく可能性がある。
これって、
冒頭の歴史認識の話と
構造は似ているんじゃないかと思った。
戦後の教育では、
与えられた知識を
正確に覚えることが
求められてきたと思う。
テストには正解があり、
それをたくさん覚えた人が評価される。
もちろん、
知識を身につけることは大事だ。
でも、
なぜ、そうなのか?
本当にそうなのか?
別の見方はないのか?
と問い直すことは、
それほど求められて
こなかったのかもしれない。
そして今度は、
その正解を教えてくれる存在が
教科書や先生から
AIに変わろうとしている。
これは、
見方を変えれば
ちょっと怖いことかもしれない。
AIは、
ものすごい量の情報を扱える。
そしてこれから、
もっともっと賢くなる。
だからこそ、
人間側が
何を問いに持つのか?
こっちの方が、
ますます重要に
なるんじゃないかと思う。
何が正しいですか?
どうすれば成功しますか?
どちらを選べばいいですか?
そんな問いを
AIに投げれば、
いくらでも答えは返ってくる。
でも、
で、
自分はどうしたいの?
という問いだけは、
最後まで自分に残る。
まさにN=1そのものだ。
AIが出す平均的な
最適解に従うのではなく、
自分自身の価値観や覚悟が先にあって、
その実現のためにAIを使う。
その順番が大切なのだと思う。
正解を覚える時代が、
いよいよ終わるのかもしれない。
知識量では、
AIには勝てないし、
処理速度でも、
勝てやしない。
それらしい
正解を出すことでも、
おそらく勝てない。
だったら人間に残るのは、
問いを立てること。
違和感を持つこと。
自分で確かめること。
自分で選ぶこと。
そして、
その選択を
自分で引き受けること。
歴史を考えることも、
AIを使うことも、
仕事をすることも、
人生を選ぶことも、
結局は同じなのかもしれない。
誰かが用意した正解を
そのまま受け取るのではなく
一度、
自分の中に置いてみる。
本当にそうなのか?
自分はどう思うのか?
自分だったらどうするのか?
急いで答えを出すより、
問いを問い直す。
AIがこれだけ
便利になった時代だからこそ、
面倒くさいことが
大事になっていくと思う。
