【長詩】 祝福
ここに祝おう。
すべてを包括するように。
まっさらな心地で。
いのちは暗闇から生まれる。
それはまるで宇宙を漂うように浮かんでいた。
いのちは産まれようとする息吹を持つ。
まるで天賦の才と言うが如く自らの身体を創造した。
望まれようと望むまいとそこに宿り
一筋の光明を辿るように必死に生まれてきた。
産まれたくて産まれたのだとしても
産み落とされたから産まれたのだとしても
繋がれなければ繋がれることのなかった事実にひとつの営みを見いだす。
そして選択の連続ののちに繋いできた事実にひとつの意味を見いだす。
わたしたちは自由の代わりに正解と期限を失った。例えばそう仮定しよう。
つまり何者であるかなど分からぬからこそ自分で決めてよいのだ。
この世界になにを探しなにを求めるのか。答えなど知らぬからこそ自分で決めてよいのだ。
思うように変わってよいのだ。
未来などわからぬからこそ自分で描いてよいのだ。
生きていたいのか生きたいのか生きてよいのか、終わりたいのか終わらせたいのか本当に終わらせねばならぬのか。それが分からないのならば、答えは今日でなくともよいのだ。
捉えようで、如何様にも、考える間に生きてみてもよい。
哲学は時に、まるでガムを噛むかのように思える。
そしてそれは選ばれたものの権利ではなく
すべてのいのちの権利ともいえよう。
いのちは生きながらにして日々新しく生まれ、替わり、秩序のなかで新陳代謝してゆく。
ドアスコープからこもれるひかりの虹色に、生まれる瞬間の記憶を重ねようとした。
不吉の象徴とされる一面をもつと聞くが
あの日みた虹は、確かに祝福のように思えた。
わたしたちのいのちは、もしかすると、虹色だろうか。
不吉や災いの前兆か、それとも、吉兆か。
雷鳴と雨風が唸る嵐のあと、深い名残を描いて去っていく。
それは、ただの現象に過ぎないというには多彩な解釈がある。
虹の浮かぶ雨上がりは、まるでまほろばの証であるかのようだ。ただ静かに美しい。
木々の梢に光が灯り、鳥たちが囀る。次第に遠くなる雨音と遠雷はどこか柔らかく、雨に煌めく世界は虹と揺れる。
生まれいずるこの惑星が決して悲しみに暮れ過ぎることのないよう、子守唄を歌っているようで。
眠りゆくいのちも、生まれ出るいのちも。
ドアスコープを通るように光のように
猛々しさの名残のように
この世に多彩なかたちをもってこだまする如く、まぶしくひかっている。
祝福
Syukufuku
いのち、ひかる、いのち。
