「偶成和音」についての再省察
※サムネイルは、この記事を使用した ↑ の配信で使用したものです。
過去記事の ↑ は、「むやみやたらにこの語を使うべきでない、使う旨味も無い」という方向の記事でした。
そうした理由は、他所で「偶成和音」という言葉の濫用を目にしたから…だったのですが、後々になってから、この「偶成和音」という用語の “適切” と呼び得る拡張が考えられ得るのでは、と思い直しました。
もしも、あの彼がこの考察の内容を直観的に悟り、文を綴っていたのだとしたら、それは「濫用」などと呼んで切り捨てて良いものなどではなく、私は真摯に平謝りしなくてはなりません。
「言葉の意味の拡張」について前置き(※読み飛ばしても良い)
何かしら抽象的概念の拡張というのは、まず「名付けられたもの」とその【名】があり、同じ【名】を使って異なる範囲を呼ぶ、そのことに有意義性がある・という状況が用意されて、初めて肯定的に行われ得ます。
一般的にその「有意義性」というものの実感の有無や程度に個人差があるため、しばしば感覚的な部分での対立が起こります。
負の数や虚数もれっきとした【数】の内だ、と認めることのメリットは、歴史的にも受け入れられなかった時期が長くありました。※
私が過去記事で「濫用だ」という観念を抱いたのは、その語のその使い方に有意義性を感じられなかったから、もしくは「デメリットを強く感じた」からです。
とする理解が “啓蒙的” であるかもしれない。
(私はこれ系について思索が “一周している” ため、あえて「単なる損得の問題」としておく。)
🔸
従って以降の説明は、以下のような概観です。
「拡張後の【偶成和音】の指す内容」は、「拡張前の【偶成和音】が指すもの」とは、名実ともに異なる概念集合です。
平たく言えば「【偶成和音】の内に、新たな何かを仲間入りさせる」構図となります。
この時(めちゃくちゃな例ですが)【梨】の内に「鯨」を仲間入りさせるようなことは無いわけで、なぜなら「梨」と「鯨」の間に、自明な共通点が無い・“似ていない” からです。
せめて「セイヨウナシ」くらいは似ているものが、新たな【梨】の仲間内として検討されるに相応しい…「鯨」よりも相応しいことは明白でしょう。
ここで「セイヨウナシ」は、【梨】のグループが有する味・成分・栄養価などをきちんと有しています。一方「典型的に想像される形状」の点では、「セイヨウナシ」は【梨】の中ではユニークな形をしています。
以上を踏まえた要点。
「何かしら抽象的概念の拡張」は、「特定の条件項目のみを選び取り、他の条件項目については不問とする」という思考過程を経て、そのカテゴリーを拡げて取り扱う・というような行いだと言える、と思うわけです。
一般に「広義の~」という言い方が為される時、これが行われています。
(要件を緩和することで、カテゴリが広くなる。)
これは「この語(つまりその概念)の “本質部分” はどこなのか」について深い考察を試みるような場合にも、同様に行われる営みです。
こちらの場合は、単に「より大雑把に捉える」という営みから、「分類を再検討する・定義を見直す」という意識に近づいていき、特に現代数学が、好んで行うようです。
偶成和音のおさらい
詳細は過去記事に変わらず委ねますが、
「偶成和音」の特徴(≒条件項目)を極めてまとめて言うと、
・当該書籍(藝大和声)に於いて、既習の和音原則と合致しない挙動を示す
・見慣れた特定の和音のように見えるが、その実 正体が異なる(そうと考え得る)
・既存の原則に沿って「愚直に解釈」する旨味が無い、仮初の和音である

その前段階として、ベース音だけが転位してⅠ(2転) と外見上同一の音響が現れるが、
ここをクソ真面目に「Ⅰ(2転) がある」と考えなくて良い・という教えをくれるのが、
「偶成」というコンセプト。偶然成立。
こんな感じです。
過去記事では「当該テキストでの定義に沿って」という断り書きで始め、結果、それを【偶成和音】と呼ぶには「なお三度堆積の形をしている」ことが必要である(条件項目である)と結論づけてお話ししました。
つまり、私が当時 記事を書くきっかけとなった「語の実用例」はこれに従っていなかったのですね。それで無秩序的である、と感じたわけです。
そうなる理由の考察は、過去記事の有料部分を見てな。
しかし、この条件項目を今一度、緩和してみては。
すなわち「【偶成和音】の本質はそこではない・と考える余地はあるのではないか?」(もとい、件のテキスト内だけのローカルな用語としておく必要は無い・それは勿体無いことなのではないか?)と思い至ったというのが、本記事です。
長くなりましたね。すみません。
「広義の偶成和音」の定義の試み(ほんへ)
つまり、
・見慣れた特定の和音のように見える
↑ 本質的ではないと言えるかも
・既存の原則に沿って「愚直に解釈」する旨味が無い、仮初の和音である
↑ 本質的なのはこっちかも(そうだとすると以前の指摘も偏向的だった)
これが以降の内容です。
🔹
恐らく皆さんにとっての「これを考えると良いこと」は、偶成和音というコンセプトを起点に、対位法と、ジャズの哲学とも接続する視野を得られることです。
ここでの対位法の哲学とは、
強拍で協和音程が鳴ることを徹底すれば、弱拍には不協和音程が鳴って良い(むしろそのような抑揚・緩急の縞模様を、積極的に作るのが吉)

反対に「強拍に不協和音程・弱拍で解決」する場合もあります。

大まかに捉えると「不安定要素は安定要素で挟む」という原理が見出されます。これが「不安定な音楽的要素の巧い使い方」の一つという具合です。
🔸
この大まかな原理が、ジャズの趣味に於いても、色々な規模感で見出されます。

コードチェンジのタイミング(和音交代点)でしっかりコードトーンを“押さえる”。

ノンコードトーンは直後にコードトーンへ“解決”することで、旋律的な要素となる。
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