叱責がパワハラに変わる境界線。人事と管理職が知るべき、新時代の「育む」マネジメントー上田準二氏の日経ビジネス記事より考える
上田準二氏「上田準二の“元気”のレシピ 上田準二のお悩み相談『注意しただけなのに、人格否定と受け止められてしまいます』」(日経ビジネス、2025年10月20日)を拝読しました。
この記事は、サービス業で管理職を務める48歳男性からの相談を取り上げています。入社2年目の若手社員の仕事ぶりを注意したところ、当の本人だけでなく、30歳のグループ長からも「人格否定はやめてください」と反発されてしまったというのです。相談者は、あくまで業務上の行動に対する指摘であり、人格を否定したつもりは全くありませんでした。
しかし、若手から中堅層までが「叱責=人格否定」と捉える風潮に、組織の健全性が失われるのではないかと強い危機感を抱いています。このような状況で、部下たちとどう向き合えば良いのか、元ユニー・ファミリーマートホールディングス相談役の上田準二氏にアドバイスを求めています。
上田氏は、この問題を単なる世代間ギャップで片付けるべきではないと指摘します。まず認識すべきは、「時代は変わっている」という事実です。相談者の指導の仕方に、本人が意図せずとも感情的な「怒り」が含まれていた可能性を挙げます。「なんでこんなことをしたんだ」といった強い言葉は、指導のつもりが相手には攻撃と受け取られ、人格否定と捉えられても不思議ではありません。
上田氏は、「指導」と「怒り」は全くの別物であり、この違いを当事者だけでなく、組織全体で理解・共有する必要があると説きます。業務上の問題を正す「指導」は不可欠ですが、その伝え方を間違えれば、逆効果になってしまうのです。

【処方箋】部下ではなく、まず自分が変わる意識を
上田氏が提示する解決策は、部下を変えようとするのではなく、まず管理職自身が今の時代に合ったマネジメント手法を習得することです。その核となるのが、部下に対して「期待している」というポジティブなメッセージを明確に伝えることです。成長してほしいという期待があるからこそ指導するという前提が共有されていれば、部下の受け止め方も大きく変わります。
また、上田氏は、深酒で休む部下を強く叱れない現代の管理職の苦悩にも触れ、相談者自身のストレスケアの重要性も強調します。一人で抱え込まず、自身の上司に若手との関わり方について悩みを打ち明け、理解を求めておくといった「ガス抜き」が不可欠だと締めくくっています。

【企業人事の視点】この記事を組織の成長にどう活かすか
本記事が提示する問題は、多くの企業の現場で日々繰り広げられている、極めて普遍的かつ深刻な課題と感じます。ハラスメントに対する意識が向上したことは社会の前進ですが、その副作用として、管理職が健全な指導すらためらう「指導萎縮」とも言える状況が生まれています。この問題を放置すれば、人材育成は停滞し、組織の規律は緩み、やがては企業文化そのものが蝕まれていきます。
私たち企業人事としては、この問題を個々の管理職のスキル不足や、若手社員の意識の問題として片付けるのではなく、組織全体の構造的な課題として捉え、多角的なアプローチで解決に取り組む必要があります。以下に、人事として取り組むべき具体的な施策を4つの観点から述べます。
1. 管理職研修の抜本的アップデート:「叱る技術」から「育む技術」へ
これまでの管理職研修は、「部下の動かし方」や「リーダーシップの発揮の仕方」といった、どちらかといえばトップダウン型のマネジメントスキルに重きが置かれがちでした。しかし、現代において管理職に求められるのは、一方的に指示・指導するスキルではなく、対話を通じて相手の成長を促す「育む技術」です。人事部門は、研修プログラムを抜本的に見直す必要があります。
具体的には、以下の3つの要素を研修の柱に据えるべきでしょう。
第一に、「アンガーマネジメント」です。上田氏が指摘するように、「指導」と「怒り」の混同はコミュニケーションの失敗の根源です。管理職自身が自分の感情の波を理解し、それをコントロールする術を学ぶことは、冷静で客観的な指導を行うための大前提となります。怒りの感情が湧いた時に、それを直接ぶつけるのではなく、一呼吸おいて「なぜ自分は怒りを感じているのか(期待を裏切られたからか、ルールが守られなかったからか)」を言語化し、その「理由」と「改善してほしい行動」を冷静に伝えるトレーニングは極めて有効です。
第二に、「フィードバックの技術」、特に「ポジティブ・フィードバック」の習得です。人は、自分の至らない点を指摘されるだけでは、なかなか前向きに行動を変えることができません。むしろ、「あなたのこの点は素晴らしい」「この強みをさらに伸ばしてほしい」といった肯定的なメッセージがあって初めて、改善点の指摘も素直に受け入れられるものです。日常的に部下の良い点を見つけて承認(レコグニション)する習慣をつけ、その上で改善点を伝える「サンドイッチ型フィードバック(褒める→指摘する→期待を伝えて褒める)」などの具体的な手法を、ロールプレイングを通じて徹底的に学ばせるべきです。
第三に、「1on1ミーティング」の質の向上です。ただの進捗確認の場ではなく、部下のキャリア観や価値観、悩みなどを深く聴く「傾聴」のスキルが求められます。人事としては、効果的な質問の仕方(オープンクエスチョン、未来志向の質問など)のトレーニングや、質の高い1on1を実現している管理職のナレッジを共有する場を設けることが重要です。
2. 心理的安全性の醸成:失敗を許容し、誰もが発言できる風土作り
「人格否定された」という言葉が出てくる背景には、多くの場合、その組織における「心理的安全性」の欠如があります。心理的安全性とは、チームの中で自分の意見や気持ちを安心して表明できる状態を指します。これが低い組織では、部下は「少しでも反論すれば評価が下がるのではないか」「無能だと思われるのではないか」という恐怖を感じ、上司からの指摘を過剰に自己防衛的に受け止めてしまいます。
人事部門が主導し、組織全体の心理的安全性を高めるための施策を打つことが不可欠です。まず、現状把握のために、大手企業が実践したことでも知られる心理的安全性の計測サーベイ(アンケート)を定期的に実施し、部署ごとの状態を可視化します。その結果を各部署の管理職にフィードバックし、対話の場を設けることで、自分たちのチームの課題を客観的に認識させます。
その上で、具体的なアクションを推進します。例えば、「失敗共有会」を制度として導入することも一つの手です。成功体験だけでなく、個々の失敗談とそこから得た学びを共有し、称賛する文化を作ることで、「失敗は責められるものではなく、学びの機会である」というメッセージを組織全体に浸透させます。また、経営層自らが自身の失敗談を語るなど、トップからの発信は極めて強力な影響力を持ちます。
さらに、アサーティブ・コミュニケーション(相手の意見を尊重しつつ、自分の意見も誠実に、対等に伝えるコミュニケーション)の研修を、管理職だけでなく全社員を対象に実施することも有効です。これにより、部下側もただ「人格否定だ」と感情的に反発するのではなく、「〇〇という言葉に私は傷つきましたが、意図としては△△ということでしょうか?」と、冷静に自分の気持ちと疑問を伝え、対話を試みるスキルを身につけることができます。
3. ミドルマネジメント層への多角的なサポート体制の構築
今回の相談者のように、ミドルマネジメント層は、上からは業績達成のプレッシャーを、下からは多様化する価値観を持つ部下への対応という、二重の圧力に晒されています。彼らを孤立させず、組織として支える体制を構築することは、人事の急務です。
第一に、「相談できる場」の提供です。管理職が一人で悩みを抱え込まないよう、人事部門が定期的に面談を実施し、マネジメント上の悩みを聞く機会を設けるべきです。しかし、人事には話しにくい内容もあるでしょう。そこで、管理職同士が部署の垣根を越えて悩みを共有し、成功事例や失敗事例を学び合う「マネージャー・コミュニティ」のような場を人事主導で立ち上げることも有効です。同じ立場の仲間と対話することで、新たな気づきを得たり、精神的な負担を軽減したりする効果が期待できます。
第二に、「逃げ場」としてのセーフティネットの整備です。産業医や臨床心理士、外部のEAP(従業員支援プログラム)といった専門家へのアクセスを容易にし、匿名で相談できるホットラインを周知徹底します。特に、部下との関係性で精神的に追い詰められてしまう管理職は少なくありません。バーンアウト(燃え尽き症候群)に至る前に、専門的なサポートを受けられる体制を整えておくことは、リスクマネジメントの観点からも極めて重要です。
第三に、評価制度の見直しです。短期的な業績目標の達成度だけでなく、「部下の育成」や「チームのエンゲージメント向上」といった、マネジメントの質に関する項目を評価制度に明確に組み込み、適切に処遇に反映させるべきです。部下育成に時間と労力をかけている管理職が正当に評価される仕組みがあれば、彼らのモチベーションは向上し、より良いマネジメントを追求する文化が組織に根付いていきます。
4. 期待と役割の明確化:組織全体のコミュニケーションインフラを整備する
そもそも、「指導」と「人格否定」の受け止め方に齟齬が生じるのは、上司と部下の間で「期待されている役割」や「目指すべき基準」についての共通認識が不足している場合が多く見られます。これを防ぐためには、組織全体のコミュニケーションのインフラを整備する必要があります。
全社共通の「行動指針(バリュー)」や「コンピテンシー(成果を出す人材の行動特性)」を明確に定義し、それを評価や育成の基盤に据えることが求められます。例えば、「常にお客様視点で行動する」「チームの成功のために率先して貢献する」といった行動指針があれば、管理職の指導も「君のあの行動は、我々が大切にしている行動指針に照らし合わせると、少しズレているように思う」というように、個人の主観的な指摘ではなく、組織としての客観的な基準に基づいた指導が可能になります。これにより、部下も「人格を攻撃された」のではなく、「組織の基準に沿った行動を求められている」と、冷静に受け止めやすくなります。
目標設定のプロセスも重要です。MBO(目標管理制度)やOKR(目標と主要な成果)といったフレームワークを活用し、期初に上司と部下が対話を重ね、本人が納得した上で目標と達成基準を具体的に設定するプロセスを徹底します。これにより、期中の指導やフィードバックも、その合意形成された目標に対するギャップを埋めるための協力的な対話となり、無用な感情的対立を避けることができます。
まとめ
「注意しただけなのに人格否定と受け止められる」という問題は、単なるコミュニケーションの技術論ではなく、組織の文化、制度、そして働く人々の心理状態が複雑に絡み合った根深い課題です。私たち人事は、目先のトラブルに対応する「火消し役」に留まらず、健全な指導と育成が当たり前に行われる「燃えにくい組織」を作るための土壌づくりを主導していく必要があります。管理職をアップデートし、心理的安全性を育み、ミドル層を支え、コミュニケーションの基準を明確にする。これらの地道な取り組みこそが、変化の激しい時代において、組織と人材が共に成長し続けるため道筋ではないでしょうか。

