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【書籍】『致知』2025年8月号(特集「日用心法」)読後感

致知2025年8月号(特集「日用心法」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。

「日用心法(にちようしんぽう)」は以下『安岡正篤一日一言 』(致知出版社、2006年)(p64:4月8日/9日)に記載があります。「病気をしないで長生きするにどうするか」ということに対する解です。常々意識したいものです。今号ではこれらを深く掘り下げています。

第一、毎日の飲食は適正にやっているか。
第二、毎晩よく眠れるか。
第三、自分の心身に影響を与えているような悪習慣はないか。
第四、適当な運動をしているか。
第五、日常生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか。
第六、精神的動揺があっても、仕事は平常どおり続け得るか。
第七、毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか。
第八、自分は仕事にどれだけ有能か、自分は仕事に適するか。
第九、現在の仕事は自分の生涯の仕事とすることに足りるか。
第十、仮に自分の仕事がどうしても自分に合わぬ、自分の生活が退屈であるとすれば、自分の満足は何によって得るか。
第十一、自分が絶えず追求する明確な問題を持っているか。
第十二、自分は人に対して親切か、誠実か。
第十三、自分は人格の向上に資するような教養に努めているか。
第十四、特に何か知識技術を修めているか。
第十五、自分は何か信仰、信念、哲学を持っているか。



巻頭:賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり──『学問のすゝめ』:數土文夫さん(JFEホールディングス名誉顧問)p2

 「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」。これは、近代日本の礎を築いた思想家、福沢諭吉が示した、時代を超えて私たちの胸に響く言葉です。人の価値は生まれや身分ではなく、学ぶ意欲と実践によって決まる。この力強いメッセージの背景にある彼の生涯と、現代にまで通じる「実学」の精神について考えてみたいと思います。

 福沢諭吉が生きた時代は、厳格な身分制度が人々の人生を縛りつけていました。彼は豊前中津藩の下級武士の家に生まれ、その生活は困窮を極めていました。上士と下士の間には歴然とした差があり、理不尽ともいえる環境の中で、彼は「人は生まれながらにして平等であり、その後の優劣は学ぶか学ばないかによって決まるべきだ」という強い信念を育んでいきます。

 その信念を自ら体現するように、諭吉は学びの道をひた走ります。長崎への遊学、そして大坂の緒方洪庵の適塾への入門を経て、22歳の若さで塾頭にまで上り詰めました。彼の学びは、常に実践を重んじる「実学」の精神に貫かれていました。その視野を決定的に広げたのが、25歳の時の渡米をはじめとする三度の欧米視察です。そこで目の当たりにした西洋の圧倒的な国力と文明は、彼に強烈な危機感を抱かせました。このままでは日本が列強に呑み込まれてしまう。その危機感が、彼の活動の原動力となります。

 帰国後、諭吉は『学問のすゝめ』をはじめとする数多くの啓蒙書を世に送り出します。彼が一貫して訴えたのは、「活用なき学問は無学に等しい」というメッセージでした。知識は、知っているだけでは意味がなく、社会や人々のために活用されてこそ価値がある。この「実学」の精神を象徴するのが、日本で初めて「複式簿記」を紹介した『帳合之法』の出版です。

 複式簿記は、貸借対照表や損益計算書といった財務諸表を作成することを可能にします。これにより、事業の財産や儲けの状況を正確に把握し、客観的なデータに基づいた合理的な経営判断を下すことができるようになります。諭吉は、この手法こそが日本の商業や実業の発展に不可欠であると確信していたのです。

 この複式簿記の力は、現代においても絶大です。例えば、元東京都知事の石原慎太郎氏は、都の会計制度を複式簿記へ転換したことが財政再建の大きな要因であったと振り返っています。資産を正確に把握することで、徹底した合理化・効率化が実現できたのです。一方で、日本の国の会計制度に目を向けると、いまだ複式簿記が導入されておらず、予算の運用が不透明であるという課題が指摘されています。

 「人、学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」。諭吉が引用したこの言葉は、現代を生きる私たちにも重く響きます。低迷が続く日本の現状を打破するために、個人も組織も、そして国全体も、学び続ける姿勢が不可欠です。賢人への道は、日々の地道な「学び」の積み重ねによってのみ拓かれるのではないでしょうか。

【人事視点】「学ぶ文化」をいかに組織の力に変えるか
 福沢諭吉が説いた「学ぶこと」の重要性と「実学」の精神は、現代の企業の人事戦略においても非常に多くの示唆を与えてくれます。これを組織の力に変えるためには、次の二つの視点が重要です。

 第一に、「学ぶ文化の醸成」と「実学の徹底」です。諭吉が「活用なき学問は無学に等しい」 と述べたように、企業研修も知識のインプットで終わらせてはなりません。私たち人事は、社員が自律的に学び、その成果を実務で活かす「実学」を奨励する文化を育む必要があります。学んだことが正当に評価される仕組みや、実践の場を意図的に提供することで、学びは個人のスキルアップに留まらず、組織全体のパフォーマンス向上に繋がります。

 第二に、「データに基づいた意思決定能力の育成」です。諭吉が複式簿記によって客観的な経営判断の礎を築いたように、現代のビジネスパーソンには、あらゆる立場でデータを読み解き、客観的な事実に基づいて判断する能力が求められます。人事は、全社員のデータリテラシーを高める教育機会を提供し、組織の意思決定の質そのものを向上させる責務があります。

 社員一人ひとりの「学ぶ意欲」を引き出し、それを「実践」に繋げ、組織の「知恵」へと昇華させていく。このサイクルを力強く回していくことこそ、変化の激しい時代を勝ち抜くために人事の役割も大きいと感じます。


リード:藤尾秀昭さん 特集「日用心法」 p6

 私たちの人生の質は、日々の過ごし方、すなわち「日用心法」によって大きく左右されます。日用心法とは、日常生活における心の工夫や生活習慣のことであり、素晴らしい人生を送った先人たちは、皆、優れた日用心法を実践していました。

 例えば、阪急グループの創業者・小林一三氏が出会ったある成功者は、莫大な富を築いたにもかかわらず、毎年一ヶ月間、成功する前に泊まっていた質素な部屋で過ごしていました。それは、恵まれすぎた現状に驕ることなく、原点を忘れないための彼なりの「厄払い」であり、謙虚さを保つための日用心法でした。

 また、映画評論家の淀川長治さんは、その温かい笑顔の源泉として、毎日が一度きりの大切な日であると自覚し、一所懸命に、そして笑顔で生きようと自身に言い聞かせることを習慣にしていました。意識的に心を明るく保つこの小さな習慣が、多くの人を和ませる人格を形づくっていたのです。

 他にも多くの偉人が、指針となる考え方を残しています。ゲーテは、過去に囚われず、常に現在を楽しむことの重要性を説きました。パナソニック創業者の松下幸之助氏は、物事の結果はすべて自己責任であると考える当事者意識の大切さを語っています。また、武者小路実篤は、どんな時でもあと一歩だけ前に進む粘り強さの重要性を訴えました。

 京セラ創業者の稲盛和夫氏は、心が暗いと失敗につながり、成功するのは明るい人間だと考え、未来に対して希望に満ちた目標を描くことを自らを鼓舞する指針としていたといいます。これらの言葉は、どのような状況でも前向きな心と希望を持ち続けることが、道を切り拓く力になることを教えてくれます。

【人事視点】「日用心法」を組織の力に
 
この「日用心法」という考え方は、個人の人生だけでなく、企業組織の成長においても非常に有益です。企業人事として、この考え方を組織開発や人材育成に活かすことができます。

 まず、社員一人ひとりが自分なりの「日用心法」を持つことを奨励する文化の醸成です。これは単なるスキルアップではなく、ウェルビーイングや人間力の向上に繋がります。研修や1on1ミーティングの場で、仕事の目標だけでなく「どのような心持ちで仕事に取り組むか」を対話のテーマにすることで、社員の内面的な成長を支援できます。

 さらに、「日用心法」は組織全体のレジリエンス(逆境への強さ)を高め、ポジティブな企業文化を築きます。
 
例えば、稲盛氏が説いたように、人の長所を認め合う心構えが浸透すれば、互いを尊重し合う心理的安全性の高い風土が生まれます。経営者やリーダーが自ら「日用心法」を実践し、その姿勢を示すことで、それは組織の価値観となり、社員のエンゲージメント向上、ひいては企業全体の持続的な成長の礎となるのではないでしょうか。


人生の玄冬を歩く 五木寛之さん(作家) 帯津良一さん(帯津三敬病院名誉院長)p8

 作家の五木寛之氏と、ホリスティック医学の第一人者である帯津良一氏。共に九十歳前後に達しながらも、今なおそれぞれの分野の第一線で走り続けるお二人が、長年の人生行路で見えてきた老病死を乗り越える秘訣や、日々の活力の源について語り合いました。その対談から、私たちが日々の生活を心豊かに生きるための「日用心法」を紐解いていきます。

 九十二歳にして、今なお複数の連載を抱え、一日も休まず執筆を続ける五木氏。その活力の源は、「目の前の仕事をちゃんとやろう」という極めてシンプルな信条にあります。先のことをくよくよ考えず、ただひたすらに「いま」の原稿に向き合う。ストックを持たず、毎日締め切りに追われる状況に身を置くことで、かえって心身のリズムが整い、活力が生まれると語ります。これは、江戸時代の儒学者・貝原益軒が『養生訓』で説いた「家業に励むことが養生の道」という考え方にも通じるものです。打ち込むべき仕事があること、それ自体が最高の健康法となり得るのです。
 一方、医師である帯津氏も「死ぬまで一所懸命立ち働いて、その日まで酒を飲もう」という目標を掲げ、日々の診療と晩酌を何よりの楽しみとしています。お二人にとって、自らの生業に真摯に向き合うことこそが、揺るぎない人生の基盤となっていることが窺えます。

 健康や長寿への関心が高まる現代において、私たちはつい「〇〇健康法」といった画一的な情報に振り回されがちです。しかし、お二人は口を揃えて、人真似ではない「自分だけの養生法」を持つことの重要性を説きます。
 帯津氏は、西洋医学の限界を感じた経験から、体だけでなく心や魂まで含めた人間を丸ごと捉えるホリスティック医学を提唱してきました。その実践はご自身の生活にも貫かれており、朝食でビールを飲む、好きなすき焼きや昆布出汁を摂るなど、一見型破りながらも、ご自身の体と心、そして「ときめき」を大切にした独自の健康法を確立しています。それは、脳梗塞への不安からナットウキナーゼを摂り始めるなど、ご自身の体の声に耳を傾け、必要なものを取り入れる柔軟な姿勢に支えられています。

 五木氏もまた、「五木式養生」と呼ぶべき独自の方法を長年実践してきました。その一つが、「末端を大事にする」という考え方です。物書きとして手を酷使しないためのケア、転倒を防ぐために足の指を自在に動かす訓練、視力を保つためにまぶたを引き上げる運動など、体の中心部ではなく、手足や目、耳といった末端の機能維持にこそ注力してきました。これは、五木氏の「中心よりも地方」「支配層よりも民衆」といった、物事の捉え方や人生観そのものと深く結びついています。
 健康法とは、単なるテクニックではなく、その人の思想や哲学、生き方と一致して初めて、継続可能で真に意味のあるものになる、と五木氏は語ります。健康法が人生観と地続きであるからこそ、日々の実践が苦にならず、自然な営みとして続けることができるのでしょう。

 人生の最終章である「老い」と「死」。これらをどう受け止めるかという問いに対しても、お二人は示唆に富んだ視点を提供します。
 帯津氏は八十五歳を過ぎた頃から「死ぬのが嫌でなくなった」と語ります。先に旅立った敬愛する人々との再会を思うと、死後の世界がむしろ魅力的に感じられるようになり、その心境の変化が、かえって生きる活力を与えてくれたというのです。帯津氏はこの心境を、老化に抗う「アンチエイジング」ではなく、老化と死を受け入れた上で楽しく抵抗しながら生と死の統合を目指す「ナイスエイジング」という言葉で表現します。「ナイスエイジング」、、、明日から早速使いたい言葉です。さらに、日々の命のエネルギーを燃やし尽くし、その勢いで死後の世界へ突入する「攻めの養生」こそが重要だと説きます。

 五木氏もまた、戦争と引き揚げの過酷な体験を通して、死を常に身近なものとして意識しながら生きてきました。人の死には意味のあるものばかりでなく、無残で無意味な死も数多く存在することを知っているからこそ、どこでどんな最期を迎えようとも、それがその人の人生なのだと達観しています。そして、戦争を生き延びた「奇しくも命長らえて」きたという感謝の念が根底にあるため、生に過剰に執着することもないと語ります。混沌とした現代を生きる私たちにとって、こうした自分なりの揺るぎない死生観を持つことは、日々の不安を乗り越えるための大きな支えとなるでしょう。

 対談を通して、お二人が共通して強調するのは、「いま、この瞬間を精いっぱい生きる」ことの重要性です。過去を悔やんだり、未来を不安に思ったりするのではなく、ただ「きょう一日」を大切に生きる。百年の人生も、「いま」の積み重ねに他なりません。やりたいことがあるなら、先延ばしにせず、いま始める。五木氏が日々の執筆に集中し、帯津氏が「今日の晩酌が最後の晩餐」と心得て毎日を過ごすように、一瞬一瞬を慈しみ、味わい尽くすこと。それこそが、変化の激しい時代を自分らしく、豊かに生きていくための究極の「日用心法」といえるのかもしれません。

【企業人事として】この対談から何を学び、どう活かすか
 
この示唆に富んだ対談は、企業人事として社員のキャリア自律、エンゲージメント、そしてウェルビーイングを考える上で、非常に多くのヒントを与えてくれます。

 第一に、「社員一人ひとりの『マイ養生法(=働き方・キャリア観)』の尊重」です。五木氏と帯津氏が画一的な健康法を退け、自身の哲学に基づいた「養生法」を実践しているように、企業もまた、社員に対して画一的なキャリアパスや働き方を提示するだけでは不十分です。社員が自らの価値観や「ときめき」に基づき、主体的に仕事やキャリアをデザインしていく「キャリア自律」を支援する文化の醸成が求められます。1on1ミーティングなどの場で、個々の社員が何にやりがいを感じ、どのような働き方を望んでいるのか(=マイ養生法)を深く理解し、裁量権の付与や挑戦機会の提供を通じて、その実現を後押しすることが重要です。

 第二に、「『攻めの養生』に見る、エイジレスな組織文化の構築」です。帯津氏の提唱する「ナイスエイジング」や「攻めの養生」は、シニア社員の活躍を考える上で大きな示唆となります。年齢を重ねることを単なる衰えと捉えるのではなく、経験を重ねたからこその円熟期と捉え、彼らが意欲を持って働き続けられる役割や環境をデザインすることが人事の役割です。定年後の再雇用制度を形式的なものに終わらせず、ご本人の「働いて貢献したい」という意欲(ときめき)に応え、知識やスキルを次世代に伝承するメンター役や、新たな挑戦を後押しするポジションを創出するなど、「攻めの姿勢」を支援する制度設計が、組織全体の活性化にも繋がるでしょう。

 最後に、「『いま、この瞬間』を大切にする風土の醸成とレジリエンス向上」です。「先のことはくよくよ考えない」という両氏の姿勢は、変化の激しいVUCA時代を生き抜くためのレジリエンス(精神的な回復力)の要諦です。人事としては、過度に長期的な成果のみを問うのではなく、日々のプロセスや「いま」の挑戦を評価し、称賛する文化を作ることが、社員の心理的安全性を高め、失敗を恐れないチャレンジ精神を育みます。目の前の仕事に集中し、日々の成長を実感できる環境こそが、結果的に持続的なエンゲージメントと組織の成長をもたらすのではないでしょうか。


感謝や好奇心……よき心の習慣が人生を豊かにする 小山明子さん(女優)p19

 今年90歳を迎えた女優の小山明子さん。その明るい笑顔と流暢な語り口からは、少しの衰えも感じさせません。しかしその人生は、決して平坦なものではありませんでした。最愛の夫であり、世界的な映画監督であった大島渚さんの突然の病、17年にも及ぶ介護生活、そしてご自身を次々と襲う大病。数々の人生の四季を乗り越え、今なお若々しく、満喫した日々を送る小山さん。その生き方には、私たちが変化の激しい時代を生き抜くための、豊かさのヒントが詰まっています。

 90歳という大きな節目を迎え、小山さんは初めて「死」を身近に意識したと語ります。昨年、肺がんが再発し、いよいよ残りの時間が限られていると感じた時、小山さんの心は「その間、絶対に元気で楽しく生きてやろう」という決意で満たされました。転んでしまっても「この程度で済んでよかった」と瞬時に考えを切り替える。その若々しさの秘訣は、朝7時半に起き、夜は12時か1時には休むという規則正しい生活と、3食きちんと食事をとるという基本的な習慣にあります。それだけではありません。スケジュール帳は水泳やコーラス、麻雀の会などでぎっしり。特に若い人たちとの交流は、何よりも気持ちが若返る妙薬だと語ります。

 小山さんの人生が大きく動いたのは、61歳の時でした。夫である大島渚監督が脳出血で倒れ、右半身不随と言語障害を抱えることになったのです。仕事も家庭も順調だった日々から一転、小山さんは絶望のどん底に突き落とされます。当時の小山さんには、気軽に相談できる友人がほとんどいませんでした。どこかに「自分は世界的な監督の妻で、女優なのだ」という驕りがあり、地域との関わりを絶っていたのです。そのため、いざ介護という現実に直面した時、完全に孤立してしまいました。先の見えない介護と孤独から、小山さん自身も介護うつを患い、入退院を繰り返すほど追い詰められていったのです。

 そんな小山さんを救ったのは、一冊の本との出会いでした。上智大学で死生学を教えていたアルフォンス・デーケン神父の著書にあった「過去の業績や肩書に対する執着を手放し、新たなスタートラインに立ったつもりで前向きに生きていく」という言葉に、ハッと目が覚める思いがしたと言います。病に苦しむ夫を看る「妻」である自分。そこに「女優」という肩書は何の役にも立たない。そう気づいた時、すっと肩の力が抜け、夫を自宅で最期まで看取るという、今なすべきことに意識を集中させることができたのです。この「手放す」という潔さは、幼少期の戦争体験によって培われたのかもしれません。空襲で家を失い、戦後すぐに42歳の若さで母を亡くすという壮絶な経験。どんなに大変な状況でも「家族さえいれば生きていける」という強さが、小山さんの根底には流れていました。

 夫・大島渚さんとの出会いと結婚生活も、波乱万丈でした。安保闘争をテーマにした映画『日本の夜と霧』が公開わずか4日で上映中止となり、結婚式が決起集会のようになったエピソードは有名です。その後、松竹を退社し独立プロダクションを立ち上げたものの、資金繰りは常に困難を極めました。小山さんは、当時まだ映画俳優が敬遠しがちだったテレビの仕事を積極的に引き受け、家計を支えます。才能がありながらも、それゆえに不遇をかこつ夫の辛さを思い、「自分が支える」という覚悟があったからです。特に、実際に起きた事件をモデルにした映画『少年』の撮影は、忘れられない経験となりました。制作費を切り詰めるため、自ら我が子に当たり屋をさせるという鬼のような母親役を引き受け、スタッフ全員で自炊をしながらロケ地を転々とする日々。当初は好きになれなかったこの役と作品ですが、「同じ釜の飯を食う」という経験を通して、皆で力を合わせて一つの作品を作り上げる喜びを知り、「この映画で私は女優にしてもらった」と、今では夫婦の絆を深めた大切な思い出だと語ります。

 17年間にわたる介護生活は、まさに壮絶なものでした。脳出血の後、今度は十二指腸穿孔で生死の境をさまようなど、次々と試練が襲います。しかし、小山さんは決して下を向きませんでした。どんなに小さなことでも「ありがとう」と感謝を口にする夫の姿。作家の五木寛之さんが語っていた「諦めるということは実は前向きなこと」という言葉。そして、入院中に夢中になった読書で出会った数々の言葉が、小山さんを支え続けました。「主人を社会復帰させることが自分の使命」と心に決め、専門家の力も借りながら、どうすれば夫が元気になるか、その段取りを考えることに集中しました。亡き義母への「恩送り」の気持ちで、夫のオムツを替えた日々。その献身的な介護は、夫が亡くなる2年前に「人生最高のハイライト」として結実します。

 夫が「京都に行きたい」と願っていることを知り、小山さんは裏方に徹して、京都での同窓会への参加を計画します。新幹線の手配から、ホテルの予約、食事のメニューまで、すべてを一人で準備しました。その甲斐あって、同窓会で旧友に囲まれた大島監督は、最後に誰よりも大きな声で若き日に歌った『琵琶湖周航の歌』を熱唱したのです。若い頃の記憶が鮮やかに蘇った瞬間でした。人のために尽くし、その人が喜んでくれることが、これほどまでに嬉しいことなのか。「人の喜びは自分の喜びになる」。小山さんは、この時、心からそう感じたと言います。

 大島監督を見送った後も、小山さんには乳がん、大動脈弁狭窄症、脊柱管狭窄症、そして肺がんと、次々と病が襲いかかります。しかし、小山さんはしなやかにそれらを受け止めています。その指針となっているのが、自身でアレンジした「カキクケコ」という言葉です。は「感謝」と「感動」、は「興味」、は「工夫」、は「健康」、は「好奇心」と「転ばないこと」。夫・大島さんが教えてくれた「マイナスというのは力があるんだよ」という言葉も、大きな支えになっています。誰もが順風満帆な人生を送れるわけではない。問題が起きるのは当たり前で、それにどう折り合いをつけ、明るく前向きに進んでいくかが人生ではないか。限られた命だからこそ、二度とやってこない今日一日を大切に生きていきたい。小山さんの言葉と生き方は、私たちに「よき心の習慣」こそが、人生を真に豊かにすることを教えてくれているのです。

【人事の視点】小山明子さんの生き方を、組織と個人の成長にどう活かすか
 小山さんのインタビューは、企業で「人」に関わる私たち人事担当者にとって、非常に多くの示唆に富んでいます。その経験から得られる学びは、キャリア開発、組織文化の醸成、社員のウェルビーイング向上など、人事の多岐にわたる領域で活かすことができる「生きた教材」と言えるでしょう。

1. 「肩書を手放す」勇気とキャリア自律の促進
 
小山さんが介護という現実に直面した際、「女優」「著名な監督の妻」という過去の肩書を手放したことで、新たな使命を見出し、前進できた経験は、現代のビジネスパーソンにとって重要なメッセージとなります。変化の激しい時代において、過去の成功体験や役職に固執することは、個人の成長を妨げる要因になりかねません。人事は、社員がキャリアの節目(昇進、異動、役割変更など)を迎えた際に、この「手放す勇気」の重要性を伝えることができます。キャリアデザイン研修や1on1ミーティングの場で小山さんのエピソードを共有し、社員が自らのキャリアを柔軟に捉え直し、新たな挑戦に向かう「キャリア自律」の意識を醸成するきっかけとすることができるでしょう。

2. 「マイナスは力がある」― 困難を乗り越えるレジリエンスの涵養
 
「マイナスというのは力があるんだよ」という大島監督の言葉は、失敗や困難な状況をポジティブに転換する「レジリエンス(精神的な回復力)」の重要性を示しています。プロジェクトの失敗、目標未達、あるいは降格といったネガティブな経験をした社員に対し、人事はどのように寄り添い、次への一歩を支援できるでしょうか。この言葉を借りて、「この経験から何を学び、次にどう活かすか」という視点への転換を促すことができます。失敗を許容し、それを学びの機会と捉える組織文化を醸成していく上で、非常にパワフルなメッセージとなります。

3. 「ありがとう」が創る心理的安全性の高い職場
 
小山さんが「魔法の言葉」と呼ぶ「ありがとう」。どんな状況でも夫が感謝を伝えてくれたからこそ、献身的に支えることができたと語っています。これは、職場におけるコミュニケーションの核心を突いています。日々の業務の中で、上司から部下へ、同僚同士で、当たり前のことにも「ありがとう」と感謝を伝え合う文化は、社員のエンゲージメントを高め、心理的安全性の基盤となります。
 サンクスカードの導入や、朝礼での感謝の共有といった施策は多くの企業で行われていますが、その根底にある「感謝が持つ力」を、小山さんの実体験を通して全社に共有することで、形骸化させずに本質的な組織文化として根付かせることができるはずです。小山さんの壮絶な体験から語られる言葉には、研修で語られる理論にはない、人の心を動かす力があります。


生かされて生きる 山髙龍雲さん(大本山 須磨寺 大仏師) p40

 大仏師として77歳のいまもなお、第一線で創作活動を続けられている山高龍雲氏の歩みと哲学についてです。営業マンから仏師へと転身し、数々の試練を乗り越えてこられた山高氏の言葉には、私たちが仕事や人生と向き合う上で大切にしたい心法が溢れているように感じます。

 仏師の家に生まれながらも、若い頃は全く違う道を歩んでいた山高氏。手先が不器用だと思い込み、また、コツコツと木を彫るよりもネクタイを締めてオフィス街を歩く姿に憧れ、高校卒業後は営業マンの道を選びました。仕事は順調で、営業成績も良く、充実した日々を送っていました。しかし、会社から与えられた休暇で訪れた北海道の最北端、何もない海岸でバスを待つ時間に、ふと「このままでいいのだろうか」という迷いが心に生まれます。数字のやり取りや調整事が苦手で、失敗を繰り返していた自分に気づいた瞬間でした。

 旅から戻り、父にその思いを打ち明けたところ、返ってきたのは「仕事は好きか嫌いかで決まるんや」というシンプルな言葉でした。父の話を聞きながら、何気なく仕事場にあった彫刻刀を手にし木片を削ってみると、小気味よく木が切れる感覚が、幼い頃に小刀で遊んだ楽しい記憶と直結しました。その不思議な感覚の中で、山高氏は「仏師になろう」と決意します。20歳の時、会社を辞め、父に弟子入りしたのでした。

 しかし、いざ始まった修業の道は厳しいものでした。昔の職人の世界では、具体的な技術を言葉で教えてはくれません。父も兄弟子も、その技を見せることすらしませんでした。「技は盗むもの」という不文律の中、山高氏は夜、工房の明かりが消えてから、こっそりと父や兄の彫り方を見て学ぶしかありませんでした。幸いにも当時は業界が非常に忙しく、早くから台座などを彫らせてもらう機会に恵まれ、実践の中で腕を磨いていきました。

 そんな中、一所懸命に彫り上げた仏像を父に見せても、返ってくるのは「うん」という一言だけ。良いとも悪いとも評価されず、作品は次々と燃やされてしまいました。父は言います。「わしが彫ったものは十万円。おまえが彫ったものは一万円で売れる。それを許したら、おまえの彫刻は一万円で通ってしまう。せめて相応の値がつくまで売るんじゃない」。それは、息子の成長を心から願う、父の厳しくも深い愛情の表れでした。山高氏が父から唯一褒め言葉として受け取っているのは、亡くなる間際にかけられた「兄ちゃんと喧嘩するなよ」という一言だったといいます。それは、兄に迫るほど腕を上げたという、父なりの最大限の評価だったのかもしれません。

 山高氏の学びは、自身の創作活動の中だけではありませんでした。30代初め、ある寺院の依頼で若い僧侶たちに彫刻を教える機会を得ます。しかし、当初の熱気とは裏腹に、教え方が悪かったのか生徒は次々と辞めていきました。この失敗経験が、後に一般の方向けの教室を開く際に大いに活かされます。「一人もやめてほしくない」という一心で、彫刻刀を研いであげたり、豊富な資料を揃えたりと、誰もが楽しめる環境づくりに徹しました。その結果、教室は45年も続くものとなります。

 そしてこの経験を通して、山高氏は極めて重要な真理に気づきます。「人に教えることによって、改めて自分の技術が確認され、磨かれ、自分自身が上達している」。まさに「教えることは教えられること」だったのです。生徒であった人生の先輩たちから、彫刻の技術を教える代わりに、世の中の道理や人情の機微を教わったことも、大きな財産となりました。

 35歳で独立し、一人の仏師として歩み始めた後、最大の試練が訪れます。38歳の時に挑んだ五大明王像の制作でした。何度やっても雛形すら作れず、「自分には無理だ」と悩み、仕事場から逃げ出しては、各地を放浪する日々。しかし、彫れないから逃げ出すのに、旅に出ると不思議と仕事場が恋しくなる。そんな葛藤を繰り返したある日、奈良の山中で車を走らせていると、まるで啓示を受けたかのように、心がすっと変化します。「彫れなくて逃げている自分」が「彫りたくて仕方がない自分」に生まれ変わったのです。「いまできる最高の仕事をして死ねば本望だ」。そう覚悟を決めて仏像と向き合った時、あれほど苦しんだ雛形が、いとも簡単に彫り上がりました。

 山高氏は振り返ります。人は誰でも「自分の能力はこんなものだ」と、無意識に自分の器を決めてしまう。外から力を加えて器を広げようとしても上手くいかなかったが、心の持ち方を変え、内側から押してみたら器が広がった、と。この経験から、辛い時期も逃げずに向き合うことの大切さを実感したといいます。

 山高氏の哲学の根幹には、「すべては必然」そして「生かされて生きる」という考え方があります。人生に偶然はなく、すべてが決められていた必然であると受け止めることで、仕事や人との出会いへの向き合い方が変わるといいます。また、仏師という仕事は、何百年も生きてきた木の命をいただき、形を変える仕事です。その木が自然のままであれば、どれだけの命を育んだだろうか。材木に関わる人々、依頼主である寺社の方々、数えきれないほどの協力があって初めて、一体の仏像が生まれる。私たちは誰もが、誰かの力を借りて「生かされている」。その感謝を胸に、目にする一木一草、手の中の木片にさえ祈りを込めて向き合う。それが、山高氏にとっての「日用心法」なのです。

 「この道は尽きない」。鎌倉時代の名仏師、運慶・快慶という頂きを目指しても、近づけたと思った瞬間に突き放される。山を登ったと思ったら、さらに高い山が見えてくる。だからこそ、今いる山を一所懸命に登らなければならない。山高氏は、90歳まで現役で彫り続けるための材料をすでに確保しているといいます。「この仕事がいまも楽しくて仕方がない」。その尽きることのない探求心と情熱が、今日もまた、鑿(のみ)を握る力となっています。

【人事視点】山高龍雲氏の哲学を組織と個人の成長に活かす
 
山高氏の歩みと哲学は、現代の企業における人材育成や組織開発に、多くの貴重な示唆を与えてくれます。

 第一に、「キャリア自律」における内発的動機の重要性です。山高氏が営業マンから仏師へ転身した最大の理由は、「好き」という根源的な感情でした。父の「仕事は好きか嫌いかで決まるんや」という言葉は、キャリア論の本質を突いています。企業が社員のキャリア自律を支援する上で、スキルや経験といった外面的な要素だけでなく、本人が「何に喜びを感じるのか」「何に夢中になれるのか」という内発的動機を引き出すための1on1や、挑戦の機会を提供することが不可欠です。

 第二に、「OJTの本質」と「失敗を許容する文化」です。山高氏の修業時代は、一見すると放置型のOJTに見えます。しかし、父が「一万円の仕事」と突き放したのは、安易な成功体験に満足させず、より高みを目指させるための本質的なフィードバックでした。これは、ただ仕事を任せるだけでなく、上司や先輩が本人の成長段階を見極め、時に厳しくも愛情のある指導でポテンシャルを引き出すことの重要性を示しています。また、彫刻教室での失敗を次に活かした経験は、挑戦とそこからの学びを奨励する心理的安全性の高い組織文化が、個人と組織の成長に繋がることを教えてくれます。

 第三に、「教えることによる共成長」の仕組み化です。「教えることは教えられること」という山高氏の気づきは、メンター制度や社内勉強会、ナレッジ共有の仕組みを導入する意義を明確に物語っています。人に教えるというアウトプットの機会は、教える側の知識の定着と深化を促すだけでなく、教えられる側の成長にも繋がり、組織全体の知的資本を高める効果的な施策です。

 最後に、逆境を乗り越える「レジリエンス」の育成です。五大明王像の制作におけるスランプからの脱却は、まさにレジリエンスの発揮そのものです。「自分には無理だ」という自己限定的な思考から、「いまできる最高の仕事をする」というマインドセットへの転換が、壁を打ち破る原動力となりました。
 社員が困難な課題に直面した際に、こうしたしなやかな強さを発揮できるよう、日頃から自己効力感を高めるような関わり方や、挑戦を支える風土を醸成していくことが、管理者として重要な役割であるといえるでしょう。


言葉の質と量が子供の明るい未来をつくる 高山静子さん(東洋大学元教授) 成田奈緒子さん(文教大学教授)p48

 子供の健やかな成長は、すべての親、そして社会全体の願いです。しかし、現代の日本では、親と子を巡る問題や、保育・教育現場における課題が後を絶ちません。どうすれば、子供たちの明るい未来を築くことができるのでしょうか。長年、子供の教育や親子の問題に向き合ってきた東洋大学元教授の高山静子氏と、小児科医で文教大学教授の成田奈緒子氏の対談から、そのヒントを探ります。この記事では、お二人の知見をまとめ、最後に企業人事の視点から、その内容を組織や人材育成にどう活かせるかを考察します。

 現代の保育現場は、多くの課題を抱えています。高山氏は、保育士が専門職として正当に評価されず、養成課程においても子供との関わり方を専門的に学ぶ機会が不足している現状を指摘します。多くの保育士は、十分な知識や技術、そして自信がないまま、過酷な労働環境で多くの子供たちと向き合わなければなりません。その結果、不適切保育や離職者の増加といった問題が深刻化しています。これは、子育てに悩む保護者への適切な支援が困難になることも意味しており、日本の保育・子育て全体の質に関わる大きな問題です。高山氏自身、我が子を預けた保育園での体験からこの問題意識を強くし、保育の道を志すことになりました。
 その原動力となったのが、18世紀の思想家ルソーの著書『エミール』との出会いでした。「子供の未来のために子供時代を犠牲にさせてはならない」という一節に感銘を受け、子供の幸福を第一に考える教育の重要性を痛感したのです。その後、保育現場での実践と、心理学や脳科学など多岐にわたる分野の学習を重ねる中で、優れた実践知を言語化し、体系化して広く共有しなければ、日本の保育の質は向上しないと考えるに至り、研究者の道へと進みました。

 一方で、小児科医である成田氏は、医療の現場から子供の問題にアプローチしてきました。特に、精神的な問題を抱える子供たちと接する中で、その症状の裏には家庭環境が大きく影響していることを実感します。例えば、学校に行こうとすると吐いてしまう子供のケースでは、医学的には自律神経の問題と診断されがちですが、心理士と連携することで、親からの過度なプレッシャーがストレスとなり、身体的な症状として現れていることが明らかになりました。
 このように、医学的な側面と心理学的な側面の両方から多角的に子供を見ることで、問題の根本原因が見えてきます。成田氏はこの経験から、薬による対症療法に頼るのではなく、親子関係や家庭生活のあり方そのものにアプローチする必要性を痛感し、心理士や社会福祉士など多分野の専門家と共に、子育て支援事業「子育て科学アクシス」を立ち上げました。「親が変われば子供も変わる」という信念のもと、親子関係の改善を通じた支援活動を続けています。

 両氏に共通する重要な指摘は、「大人の言葉の質と量が子供の脳の発達に与える影響」です。米国の医学者ダナ・サスキンド博士の研究によれば、家庭内で交わされる言葉の量や質(語彙の豊かさ)が、3歳時点での子供の語彙力に大きな差を生み、それが9歳、10歳時点の学力とも相関することが分かっています。特に、子供の語彙力を伸ばすのは、子供の興味関心に寄り添った肯定的な言葉や表現豊かな言葉であり、逆に指示や命令、叱責は効果が薄いことも明らかになっています。
 ここで重要なのは、一方的な「話しかけ」ではなく、親子の双方向の「会話」、つまり言葉のキャッチボールです。子供が何かに興味を示したら、「大きな犬がいるね。行ってみる?」と尋ね、子供の「あー」「うー」といった反応に耳を傾け、「そうだね、わんわん速いね」と応答的に関わることが、子供の中に言葉を蓄積させ、世界を理解する力を育むのです。
 成田氏はこれを「フルセンテンス言葉」と呼び、物事を省略せず丁寧に説明することの重要性を説いています。また、家庭での会話の質も問われます。「幸福」のような抽象的な言葉も、日々の生活の中で「家族でご飯が食べられるのは幸福なことだね」と親が語りかけることで、子供は実感として理解できるようになります。

 そして、こうした良質なコミュニケーションの土台となるのが、「食事・睡眠・運動」という生活の基本です。人間の脳は、規則正しい生活リズムの中で健やかに発達します。特に乳幼児期は、太陽の光を浴びて起き、暗くなったら眠るというサイクルを繰り返すことで体内時計が整い、脳の発達の基礎が築かれます。しかし、夜遅くまでの活動や、日中もカーテンを閉め切った室内で過ごすといった現代的な生活スタイルは、このリズムを乱し、子供の脳の発達を阻害しかねません。
 また、スマートフォンなどを安易に「電子ベビーシッター」として利用することも、一方的な視覚情報だけが過剰にインプットされるため、語彙力やコミュニケーション能力の発達を妨げる危険性があります。よく遊び、よく食べ、よく眠る。この当たり前の生活習慣を整えることが、子供の心と体を安定させ、親が穏やかな気持ちで子供と向き合うための基盤となるのです。

 お二人が最も強調するのは、子供を思い通りに変えようとすることではなく、「親自身のあり方」こそが最も重要だということです。子供にとって最大の安心は、親が笑顔で幸せそうにしていることです。親が楽しそうに本を読んでいれば、子供も自然と本に親しみます。親が何かに夢中になる姿は、子供の知的好奇心を刺激します。子育ては、日々の丁寧な暮らしの積み重ねの中にあります。変えられるのは他人と過去ではなく、自分自身と未来だけです。親が自ら学び、成長しようとする姿勢を持つこと。そして、何よりも笑顔で日々を過ごすこと。それこそが、子供の幸せな未来を築くための最も確かな方法なのです。社会全体で、子育て中の親が心身ともにゆとりを持てるような働き方や環境を整えていくことも、次代を担う子供たちのために不可欠な課題といえるのでしょう。

【人事視点】「子育て論」を組織と人材の成長に活かす

 この対談で語られる子育て論は、一見すると企業活動とは直接関係ないように思えるかもしれません。しかし、その本質は「人の成長をいかに支援し、可能性を最大限に引き出すか」という点にあり、企業の人材育成や組織開発において応用できる、非常に価値のある示唆に富んでいます。

 第一に、「一方的な指示・命令ではなく、双方向の応答的な会話が成長を促す」という指摘は、そのままマネジメントの要諦と言えます。上司から部下への指示が「~しなさい」という命令形で終始していないでしょうか。部下の状況や関心に寄り添い、「君はどう思う?」「何に困っている?」と問いかけ、その反応に耳を傾ける。こうした丁寧な「言葉のキャッチボール」を実践することが、部下の主体性を引き出し、納得感を持って業務に取り組む姿勢を育みます。これは、1on1ミーティングの質を高める上でも重要な視点です。

 第二に、「食事・睡眠・運動」という生活基盤の重要性です。社員のパフォーマンスは、心身の健康状態に大きく左右されます。長時間労働が常態化し、生活リズムが乱れていては、良質なアウトプットは期待できません。企業として、社員が規則正しい生活を送れるよう、長時間労働の是正、柔軟な勤務体系の導入、休暇取得の促進などを通じて積極的に支援することは、単なる福利厚生ではなく、生産性向上に直結する「健康経営」投資です。

 第三に、「親が笑顔でいることが、子供の安心につながる」という点は、組織における心理的安全性の確保と重なります。上司やリーダーが常に不機嫌であったり、プレッシャーをかけ続けたりする職場では、メンバーは萎縮し、挑戦や率直な意見表明ができなくなります。リーダーが仕事にやりがいを感じ、前向きに取り組む姿を見せること、そしてメンバーの失敗を許容し、安心して挑戦できる雰囲気を作ることが、チーム全体の活力を生み、イノベーションの土壌となります。

 最後に、「変えられるのは自分と未来だけ」というメッセージです。組織や他人の課題を嘆く前に、まず自分自身の言動や関わり方を変えてみる。管理職が自ら学び続ける姿勢を見せることで、部下にも学習意欲が伝播します。

 この対談は、社員一人ひとりが自律的な成長を遂げ、互いに支援し合う、活力ある組織文化を築くための普遍的なヒントを与えてくれています。


日常のレベルを上げる生き方 増田明美さん(スポーツジャーナリスト) 浅見帆帆子さん(作家・エッセイスト)p58

 一冊の本との出会いが、人生を大きく変えることがあります。スポーツジャーナリストの増田明美さんにとって、作家・浅見帆帆子さんの著書『あなたは絶対!運がいい』は、まさにそのような一冊でした。この運命的な出会いを経て、お二人の初めての対談が実現しました。対談の中から見えてきたのは、日々の心の持ち方一つで、日常のレベルを上げ、人生を豊かにしていくための普遍的なヒントでした。

 増田さんは浅見さんの本を読み、「言い訳をしない」「愚痴を言わない」という二つのことを実践しただけで、人生が大きく好転したと語ります。私たちは、うまくいかないことがあると、つい周りのせいにしたり、不満を漏らしたりしがちです。
 しかし、増田さんはこの二つを意識的にやめることで、自身の内面に変化が生まれ、物事が前向きに進み始めたと実感されました。この経験は、私たちの人生が、外的要因だけでなく、自身の心のあり方によって大きく左右されることを示唆しています。本との出会いは、新しい知識を得るだけでなく、このように自分の内面と向き合い、生き方を変えるきっかけを与えてくれる貴重な機会なのです。

 浅見さんは、起こる出来事すべてを肯定的に捉える視点を持っています。それは「すべては最高、失敗はない」という考え方です。例えば、講演で話そうと思っていたことを忘れてしまっても、それは「その話は今日の聴衆には必要なかった」と捉えます。一見、ネガティブに思える出来事や、苦手だと感じる人でさえも、自分を成長させてくれるために現れた「ギフト」なのだと言います。この視点に立つと、日々のハプニングに一喜一憂することなく、すべては自分をより良い方向へ導くための必然的なプロセスなのだと、穏やかに受け入れることができます。

 この「すべては最高」という境地に至るために、浅見さんが大切にされているのが、ご自身の「心の声」に耳を澄ますことです。特に、心が「ワクワク」するかどうかを、あらゆる選択の基準にされています。仕事の依頼を受けるか、誰と仕事をするか、どんな方法で進めるか。そのすべてを「ワクワク」という直感的なセンサーで判断します。これは単に好き勝手に生きるということではありません。自分の本音に正直でいることで、エネルギーの流れがよくなり、物事が自然と良い方向に展開していくという法則を、ご自身の数々の「実験」によって検証されてきたのです。例えば、YouTubeの配信も、テクニックをこねくり回すより、自身が心から楽しんでワクワクしている時にこそ、再生回数やフォロワーが増えるという経験をされています。

 さらに、具体的な行動として「思いついたら48時間以内に行動する」というルールを実践されています。ふと頭に浮かんだアイデアや、行きたいと思った場所について、二日以内に何かしらのアクションを起こす。たとえ小さな一歩でも、すぐに行動することで、面白い展開や引き寄せが起こりやすくなると言います。この習慣は、直感を鈍らせず、チャンスを掴むための重要な心得と言えるでしょう。また、毎晩寝る前にその日あった幸せなことを三つ思い出すという習慣も、心をポジティブな状態に保ち、幸運を引き寄せる土台となっています。

 一方、増田さんは、輝かしい実績の裏で、壮絶な苦しみを経験されています。天才少女と謳われながら、プレッシャーに負けて途中棄権したロサンゼルスオリンピック。帰国後、「非国民」という罵声を浴び、ふさぎ込む日々が続きました。そんな増田さんを救ったのは、故郷の蓮田の泥でした。父親の仕事を手伝い、何気なく泥に手を入れた瞬間、すーっと心が軽くなるのを感じたと言います。理屈ではなく、大自然が自分を包み込み、受け入れてくれた感覚。この原体験と、温かい手紙で励ましてくれた人々の優しさによって、増田さんは再び立ち上がることができました。この経験から、「人を傷つけるのも人、励ますのも人。自分は後者の人間でありたい」という強い思いを抱くようになったのです。

 再起をかけてアメリカに留学した増田さんは、ブラジル人のコーチから「君を見ていると辛くなる。いつも良い結果ばかりを求めている」と指摘されます。そして、「幸せな気持ちでいる時にこそ、良い結果は生まれるものだ」と教わりました。結果を出すことばかりに囚われていた自分に気づき、プロセスそのものを「楽しむ」ことの重要性を学んだこの経験は、増田さんの大きな転機となりました。この学びは、現在のマラソン解説のスタイルにも繋がっています。選手のタイムや順位だけでなく、その選手の背景にある物語やご家族の想いを取材し、視聴者に伝えることで、競技の奥深さや人間の魅力を伝えようとされています。

 対談の中で、お二人の話が深く交わったのが、孔子の『論語』にある「知好楽(ちこうらく)」の考え方です。「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」。物事を知っているだけの人より、それを好きな人の方が優れており、好きなだけの人より、それを楽しんでいる人が最も高い境地に達するという意味です。
 増田さんは、かつての自分は暑さ対策の知識を詰め込む「知」の段階で終わっていたと振り返ります。しかし、本当に大舞台で結果を出す選手は、想像を絶するような練習、つまり膨大な「知」の時間を積み重ねた上で、本番を「好き」になり、心から「楽しむ」境地に達しているのだと分析します。

 この「知好楽」の話に、浅見さんも深く心を揺さぶられます。楽しむことの大切さを語りながらも、自身が向き合っている課題において、楽しむことを忘れかけていたと省みるのです。「知」という土台、つまり地道な努力や探求があってこそ、心から「好」きになり、「楽」しむことができる。この対談は、単なるポジティブシンキングではなく、その根底にあるべき努力の重要性を、改めて浮き彫りにしました。

 私たちの人生もまた、この「知好楽」のプロセスを辿るのかもしれません。仕事においても、趣味においても、まずは知識やスキルを懸命に学ぶ「知」の段階があります。それを続けるうちに面白さや意義を見出し「好」きになり、やがては主体的に「楽」しめるようになる。そうして初めて、最高のパフォーマンスが生まれるのです。

 対談の最後には、他者への関わり方についても語られました。特に印象的だったのは、「心配は、その人がうまくいかないように祈っているのと同じ」という浅見さんの言葉です。私たちは良かれと思って、子どもや部下を「心配」しますが、それは相手の力を信じていないことの裏返しでもあります。本当に相手の成功を願うなら、心配するのではなく、その可能性を信じ、結果に執着せず、どっしりと構えていることが大切なのです。

 失ったものを数えるのではなく、残されたものを最大限に生かす。目の前の出来事をどう捉え、どう調理していくか。幸運とは、特別な誰かにだけ訪れるものではなく、日々の心の持ち方と小さな実践の積み重ねによって、誰もが引き寄せられるものなのかもしれません。この対談は、明日からまた頑張ろうと思える、温かく、そして力強いエネルギーに満ちていました。力をもらいました。

【人事視点】この対談から学ぶ、社員と組織を輝かせるヒント
 
増田さんと浅見さんの対談は、個人の生き方に留まらず、企業の人事戦略、特に人材育成や組織開発において活用できる、非常に価値のある示唆に富んでいます。

 第一に、「知好楽」のフレームワークを人材育成に応用することです。社員の成長プロセスを「知る→好む→楽しむ」のステップで捉え、それぞれの段階に応じた働きかけが重要になります。新入社員や若手には、まず業務知識やスキルを習得させる「知」の徹底が不可欠です。その上で、1on1ミーティングやメンター制度を通じて、仕事の面白さや社会的な意義を伝え、本人が「好き」になるきっかけを作ります。
 最終的に、裁量権を与えたり、挑戦的なプロジェクトを任せたりすることで、自ら仕事の楽しみ方を見出し、主体的にパフォーマンスを発揮する「楽」の境地へと導くのです。この「楽しむ」段階にいる社員は、エンゲージメントが極めて高く、組織のイノベーションの源泉となり得ます。

 第二に、失敗を許容し、挑戦を促す組織文化の醸成です。浅見さんの「失敗はない、すべては成長に必要なこと」という考え方は、現代の企業が目指すべき「心理的安全性」の核心を突いています。人事はとしては、評価制度において減点主義ではなく加点主義を取り入れたり、失敗事例を共有し学び合う「失敗報告会」のような場を設けたりすることで、「挑戦した結果としての失敗」を称賛する文化を育むことができます。このような環境があってこそ、社員は萎縮することなく、新しいアイデアや改善提案を積極的に発信できるようになるでしょう。

 第三に、管理職の役割を「管理者」から「支援者・伴走者」へと転換させることです。部下に対して「心配」という名の管理や干渉をするのではなく、その可能性を「信頼」し、どっしりと構える姿勢が求められます。小出義雄監督のように、日頃から部下をよく観察し、重要な局面でポジティブな言葉をかけ、背中を押す。あるいは原晋監督のように、「ワクワク大作戦」といったポジティブなビジョンを掲げ、チームの気持ちを盛り立てる。管理職研修などで、このようなコーチングやポジティブ・リーダーシップのスキルを学ばせることが有効です。部下の「ワクワク」の源泉を見つけ、それを引き出す関わり方ができるリーダーこそが、これからの時代に求められる理想像といえるでしょう。

 これらの視点を人事施策に落とし込むことで、社員一人ひとりが「日常のレベル」を上げ、自律的に輝き始めるはずです。その結果として、組織全体が活性化し、持続的な成長を遂げることができるのではないでしょうか。ヒントが多い対談でした。



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