【書籍】『致知』2026年1月号(特集「拓く進む」)読後感
致知2026年1月号(特集「拓く進む」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。
巻頭:徳と品格を養い夢を持って新たな年を迎えよう 後藤俊彦さん(高千穂神社宮司)p4
猛暑が過ぎ去り、戦後80年を迎える今年も残りわずかとなる中、11月3日の「文化の日」に際して、かつての明治天皇の御聖徳を偲ぶことには深い意義があります。明治天皇は幼少より学問に励み、多くの御製を残されるなど、広大な心と仁愛の精神を持たれた方でした。その精神性は、現代においても私たちが手本とすべきものです。
本年は、医学・化学分野でのノーベル賞受賞や、米大リーグでの日本人選手たちの活躍など、日本人の精神文化の高さが世界に示された年として描かれています。彼らの活躍は、単なる技術や強さのみならず、その人格やマナー、責任感においても世界から賞賛されました。また、政治の分野では、憲政史上初となる女性総理大臣が誕生したことにも触れられています。これは、高い志を持ち、不断の努力を重ねてきた結果であり、「積善の家に余慶あり」という言葉を体現するものと言えるでしょう。
登山の頂点に立つ者が未踏の道を歩むように、リーダーには覚悟が必要です。偉大な国家とは、独善的な力や富だけで成るものではなく、徳と品格こそが重要な要素となります。「世界の真ん中で咲き誇る日本」という理念は、国民一人ひとりの夢でもあります。そのような夢を胸に、私たちも日々の徳を積み重ね、品格を養いながら、新たな年を迎える準備をしたいものです。
【人事視点】組織の「徳」と「品格」を育むために
今回の記事にある「徳と品格」というキーワードは、企業組織の在り方を考える上でも、非常に味わい深い示唆を与えてくれます。
ビジネスの現場では、どうしても短期的な業績や数値目標の達成に目が向きがちです。しかし、記事中で紹介されている大リーガーたちが技術だけでなくマナーや人格で称賛されたように、企業においても、成果(数字)と同じくらい、そのプロセスや振る舞い、つまり「人間力」や「品格」といった定性的な側面に光を当てることが、組織としての厚みを作る一手になるのではないでしょうか。
評価制度や人材育成の場面において、単に職務スキルを磨くだけでなく、周囲への感謝や誠実さ、あるいは歴史や教養といった「感性」を育む機会を提供することは、一見遠回りのようでいて、長い目で見た際の組織の「格」を高めることにつながると考えられます。
また、「世界の真ん中で咲き誇る」という高い志が語られていたように、企業としても「何のためにこの事業を行うのか」というパーパスや夢を、改めて共有し直してみたいところです。日々の業務に追われがちな年末だからこそ、足元の徳(信頼)を積み重ねつつ、社員と共に未来の夢や誇りを語り合う時間を持つことも、組織の活力を生むための大切なアプローチになるかもしれません。
リード:藤尾秀昭さん 特集「拓く進む」 p10
「拓く」とは未開の地を開拓することであり、「進む」とはその道をあきらめずに歩み続けること。この「拓く進む」という生き方を半世紀にわたり実践し、ノーベル賞を受賞した二人の日本人科学者、坂口志文さんと北川進さんの軌跡には、分野を越えた共通の哲学があります。
坂口さんは、免疫の過剰反応を抑える「制御性T細胞」を発見しましたが、その重要性が世界に認められるまでには長い歳月を要しました。しかし、不遇な時期も「うどんのような太い神経」で耐え抜き、目の前の課題を「一つ一つ」誠実に解決し続けた姿勢が、医学の常識を覆す大発見へと繋がりました。
一方、北川さんは気体を貯蔵できる「多孔性金属錯体」という新材料を開発。「無用の用」を座右の銘とし、一見役に立たないと思われるものの中に潜む価値を見出し、地球環境問題の解決にも貢献する新たな道を拓きました。
二人が共に大切にしているのが「運・鈍・根」の精神です。運とは単なる偶然や神頼みではなく、真摯な学びと準備を重ねた心に宿るもの。そして、研究の99%と言われる失敗をどう解釈するかが、次の一歩を決めると説きます。
記事の結びでは、安岡正篤師の言葉を引き、我々が拓くべき最も困難で奥深い辺境は「自己」であるとしています。社会や他人を責めるのは易しいですが、自分自身をごまかさず、己を尽くすこと(尽己)こそが最も難しいものです。自らの内面を深く耕し、自分がいるその場所で一隅を照らす生き方を全うすること。それによってのみ、人生という道は真に拓かれ、完成へと進んでいくことができるのです。
人事の視点から考える「個の可能性」と「失敗の価値」
企業組織において、成果へのプレッシャーや短期的な効率追求は避けられない課題ですが、今回のお二人の生き様は、人に関わる立場として改めて立ち返るべき大切な視点を与えてくれます。
特に心に留めたいのは、「失敗の解釈」と「無用の用」という考え方です。組織の中で失敗は忌避されがちですが、それを単なるミスとして終わらせず、「次の一歩を決めるための重要なデータ」として捉え直す空気感を醸成することは、組織の心理的安全性を高め、挑戦を促す有効な一手となり得ます。
また、一見業務に直結しない個人の特性や、即効性のない取り組み(無用)の中に、将来のイノベーションの種(用)を見出す視点も大切にしたいところです。効率性や今のスキルだけで人材を判断せず、その人の内面にある「未開の可能性」を信じて待つというのも、人材育成における懐の深い在り方ではないでしょうか。
そして何より、最も未開の地である「自己」を拓くこと。これは社員一人ひとりの自律や内発的動機づけに関わります。誰かからの指示に従うだけでなく、自らが己を尽くして取り組める仕事の意義を見出せるよう支援する。そうして一人ひとりが自分の持ち場で「一隅を照らす」ことができれば、結果として組織全体が明るく照らされていくはずです。そんな好循環を目指して、長期的な視座に立った対話を積み重ねていきたいところです。
純国産量子コンピュータはこうして誕生した 中村泰信さん(理化学研究所量子コンピュータ研究センター センター長)、根来 誠さん(大阪大学量子情報・量子生命研究センター 教授)p12
2025年の大阪・関西万博で注目を集めた技術の一つに、日本が開発した「量子コンピュータ」があります。従来のスーパーコンピュータが迷路の正解を一つずつ順に探すのに対し、量子コンピュータはすべての経路を同時に確認し、一瞬で正解にたどり着くような画期的な処理能力を持ちます。
この技術は、新薬や新素材の開発におけるシミュレーションなどで劇的な成果を上げることが期待されています。この純国産機の開発を牽引したのが、日本の量子研究をリードする中村泰信氏と、そのパートナーである根来誠氏です。
二人の歩みは、決して最初からこの成功を約束されていたわけではありませんでした。中村氏はもともと、NECの基礎研究所で単一電子トランジスタの研究をしていましたが、自身の知的好奇心に従って実験を進める中で、1999年に世界に先駆けて「超伝導量子ビット」を実現させました。当時はまだ「量子コンピュータ」という言葉さえ一般的ではなく、あくまで物理学的な興味からのスタートだったといいます。
一方の根来氏は、大学時代はアメリカンフットボールに熱中するあまり成績が振るわず、たまたま空いていた量子力学の研究室に入ったという異色の経歴の持ち主です。しかし、そこで量子コンピュータの将来性に魅せられ、「頑張れば自分も何かを成せるかもしれない」とこの道にのめり込んでいきました。
今回の純国産機開発プロジェクトにおいて、二人は大きな壁に直面しました。量子コンピュータは極めて繊細な装置であり、配線だけで1キロメートル、数千もの端子を一つも間違えずに繋がなければ動きません。実際、2023年の初稼働に向けた記者会見の一週間前になっても装置は動かず、根来氏は「絶対に無理だ」と諦めかけたといいます。
しかし、そこから奇跡的に問題が解決し、稼働に成功しました。この奇跡について、プロジェクトを見守った北川勝浩教授は「中村先生がこれまで真面目に一所懸命頑張ってきた人徳の賜物だ」と語りましたが、それはチーム全員が最後まで諦めずに最善を尽くした結果でもありました。
特に根来氏は、量子コンピュータを制御する装置が海外製に独占されている現状に強い危機感を抱いていました。「このままでは技術もお金も海外に流出し、日本は貢献できなくなる」と考えた彼は、大学に籍を置きながら自らベンチャー企業を立ち上げ、国産の制御装置開発に乗り出しました。もし失敗すれば日本の量子コンピュータ開発が途絶えてしまうかもしれないという背水の陣で挑んだその熱意が、プロジェクトを強力に推進する原動力となったのです。
開発の過程で中村氏が大切にしてきたのは、「独創性の反対は人真似ではない」という考え方です。何もないところから突然独創的なアイデアが生まれることはなく、地道な学習や模倣(人真似)の積み重ねがあって初めて、新しいものが生まれると語ります。それはまさに、日本の製造業が大切にしてきた「カイゼン」の精神に通じるものであり、日々の小さな積み重ねこそがブレークスルーを生む土壌になると確信しています。
また、リーダーとしての中村氏の姿勢も印象的です。彼は自らが先頭に立ってグイグイ引っ張るタイプではなく、メンバーを信頼して任せるスタイルを貫きました。異なる専門分野を持つメンバー同士が、最初は言葉が通じなくても、互いに歩み寄り、心を一つにしていく「水平分業」のチームワークが、世界と戦うための日本の強みとなったのです。
現在、二人は次世代の人材育成に力を注いでいます。科学は世界のためにあるべきだという信念のもと、得られた知見を「ギブ・アンド・テイク」ではなく「ギブ・アンド・ギブ」の精神でオープンにし、若い世代が新たな道を拓いていけるよう支援を続けています。
人事視点からの考察:組織の可能性を拓くために
今回の記事から、組織づくりや人材育成において参考にしたい視点がいくつか浮かび上がります。
まず、「イノベーション」の捉え方についてです。企業活動において独創性や革新性が求められる場面は多いですが、中村氏が語るように、それは突飛な発想から生まれるとは限りません。「最初は人真似でもいい」「地道な学習の積み重ねが独創性を生む」という視点は、従業員の心理的ハードルを下げ、日々の業務改善(カイゼン)を促進する一つのメッセージになり得ると考えられます。
次に、チームビルディングの観点です。根来氏のような異色の経歴(スポーツ経験や起業マインド)を持つ人材と、中村氏のような研究肌の人材が噛み合った時、組織は大きな力を発揮します。異なるバックグラウンドを持つメンバーが、共通言語を見つけるまでは苦労があったとしても、互いを信頼し合うことで壁を突破できるという事実は、多様性のある組織づくりの重要性を再認識させてくれます。
最後に、リーダーシップと「危機感」の共有です。トップダウンで引っ張るだけでなく、中村氏のように「メンバーを信頼して任せる」ことで、個々の当事者意識を引き出すスタイルも一つの有効な選択肢です。また、「このプロジェクトが失敗したら、日本の未来はない」という健全な危機感と目的意識がチームを結束させました。組織のパーパス(存在意義)を、いかに自分事として従業員に感じてもらえるか、その空気醸成も人事として意識したいポイントではないでしょうか。
一生挑戦 一生勉強 ~現場一筋60年、トヨタ技能系から初の副社長に抜擢された〝おやじ〟の生き方~ 河合 満さん(トヨタ自動車エグゼクティブフェロー)p22
トヨタ自動車で「おやじ」と慕われ、現場一筋60年を歩んできた河合満エグゼクティブフェローの歩みは、単なるサクセスストーリーではなく、仕事への向き合い方そのものを問う深みを持っています。
1948年生まれの河合氏は、中学卒業後にトヨタ技能者養成所へ入所しました。もともと勉強嫌いで、大工や寿司職人への道を志していた少年は、母親の願いと「親父の跡を継ぐ」という口実でトヨタの門を叩きます。
しかし、配属されたのは「きつい、汚い、危険」の3K職場と言われた鍛造部でした。同期たちが自動車整備や組み立てといった花形部署へ進む中、最も避けたかった部署への配属に絶望し、一度は退職を決意します。それでも踏みとどまったのは、周囲からの反対と、何より「負けてたまるか」という反骨心、そして自分の決断には自分で責任を持つという覚悟からでした。ここから、あくなき挑戦の人生が始まります。
入社当時のトヨタは、まだ現在のような巨大企業ではありませんでした。現場では徹底した「改善」が求められ、「トヨタ生産方式」の確立期を肌で感じながら成長していきます。
特に印象的なのは、トヨタ生産方式の要である「かんばん方式」をめぐるエピソードです。ある時、完成した部品を入れる箱がいっぱいになるのを待って運ぼうとした河合氏は、上司である鈴村喜久男氏(後の副社長)から「そのかんばんを花壇に埋めてこい」と激怒されます。理由は「必要な時に必要なだけ造るのが鉄則であり、箱がいっぱいになるのを待つ間に顧客を逃すかもしれないから」でした。この時、理不尽に怒られたと感じた河合氏に対し、後に社長となる張富士夫氏がその真意を丁寧に諭したといいます。厳しく指導する「おやじ」役と、それをフォローする役が見事な連携を見せ、現場に哲学を浸透させていく。この経験が、河合氏の仕事観の原点となりました。
河合氏の真骨頂は、現場での具体的な「改善」の実践にあります。例えば、部品を作る機械の「段替え」作業。当初は2時間かかっていたこの作業を、仲間と共に知恵を絞り、最終的には9分にまで短縮させました。これは単に生産性を上げただけでなく、「仲間が楽になる」「喜んでもらえる」という他者への貢献が最大のモチベーションになっていたといいます。会社には業務改善を提案する「創意くふう」という制度がありましたが、賞金以上に、自分の工夫が誰かの役に立つ喜びこそが、次なる改善への原動力となっていきました。
やがて河合氏は、技能職(現場勤務)出身者として初の部長、さらには副社長へと抜擢されます。学歴社会の壁を超えたこの人事は異例中の異例でしたが、本人は何度も固辞したといいます。
しかし、「後輩たちのために道を拓いてほしい」という言葉に背中を押され、重責を引き受けました。彼がリーダーとして最も大切にしてきたのは「信頼関係」です。「俺は勉強では勝てないが、部下一人ひとりのことは誰よりも知っている」と公言し、個々の性格や事情まで把握した上で向き合いました。信頼があるからこそ、厳しい叱責も「愛の鞭」として届く。逆に信頼がなければ、それはただのハラスメントになる。この信念のもと、一律の目標管理ではなく、個人の能力と努力の度合いを見極めた評価を行い、人を育ててきました。
「きょうのベストは明日のベストとは限らない」。78歳を迎える今もなお、河合氏は朝6時に出社し、現場の空気を肌で感じ続けています。現状維持を嫌い、常に「なぜ」「どうしたらもっと良くなるか」を問い続ける姿勢。
それは、仕事も遊びも「こんなもんだ」と思った瞬間に成長が止まるという哲学に基づいています。嫌いだった勉強も、仕事を通じて一生の挑戦となり、一生の学びへと変わりました。その生き方は、変化の激しい現代において、現場からイノベーションを起こし続けるための普遍的な指針を示しています。
人事視点での活かし方
河合氏の事例から、組織における人材育成や登用について改めて考えさせられる点が多くあります。
まず注目したいのは、学歴や職種区分にとらわれないキャリアパスの可能性です。技能職からの役員登用が、現場の社員にどれほど大きな希望と誇りを与えたかは想像に難くありません。形式的な要件だけでなく、現場での実績や人望、そして「修羅場」を乗り越えてきた経験知を、リーダーシップの資質としてより積極的に評価軸へ組み込んでいくことは、組織全体のエンゲージメントを高める一手となり得ます。
また、モチベーション管理の観点でも示唆に富んでいます。金銭的な報酬よりも「仲間に感謝される」「仕事が楽になる」という内発的動機や貢献感が、継続的な改善活動の源泉となっていました。人事施策として、単に成果を数値で評価するだけでなく、相互称賛の仕組みや、個人の工夫がどのように他者を助けたかを可視化するような風土づくりを支援していくことも有効だと考えられます。
そして何より、「信頼なき指導はハラスメント」という言葉は重く響きます。心理的安全性の重要性が叫ばれる昨今ですが、それは単に優しくすることではなく、個々人を深く理解し、信頼関係を築いた上での厳しさこそが人を育てるという原点に立ち返る必要があります。リーダー層に対し、スキルセットとしてのマネジメント教育だけでなく、河合氏のような「人間臭い信頼構築」の泥臭い重要性を伝えていくことも、組織開発の一環として大切にしたいところです。
安藤百福 時代を切り拓いたその信念に学ぶ 筒井之隆さん(安藤百福発明記念館横浜(カップヌードルミュージアム横浜)前館長)p34
日清食品の創業者であり、「チキンラーメン」や「カップヌードル」という世界的発明を成し遂げた安藤百福氏。その側近として二十年以上にわたり氏の行動を共にしてきた筒井之隆氏が語る、安藤氏の波乱万丈の人生と、その根底にある信念についての物語です。
安藤氏の人生は、順風満帆な成功談ではなく、度重なる逆境からの再起の連続でした。台湾で生まれ、若くして繊維事業などで成功を収めるものの、戦中戦後の混乱で憲兵隊による拷問や巣鴨プリズンへの収監といった苦難を経験します。
そして極めつきは、四十七歳の時、理事長を務めていた信用組合の破綻により、全財産を失い無一文になるという挫折でした。しかし、安藤氏はそこで絶望することなく、「失ったのは財産だけだ。その分、経験が血肉となった」と自らを奮い立たせます。「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でも掴んでこい」という言葉は、氏の不屈の精神を象徴するものであり、その後の発明家人生を支える強靭なバックボーンとなりました。
再起をかけて挑んだのは、48歳にして初めて踏み込む「食」の世界でした。戦後の闇市でラーメン屋台に並ぶ人々の幸せそうな顔という原風景を胸に、自宅裏の小屋でたった一人、即席麺の開発に没頭します。目指したのは、美味しく、保存ができ、手間がかからず、安価で安全な食品。
しかし、最大の壁は麺の乾燥方法でした。試行錯誤の末、妻が天ぷらを揚げる様子から「高温の油で揚げれば水分が抜ける」というひらめきを得て、「瞬間油熱乾燥法」という革新的な技術を確立します。
こうして1958年、世界初の即席麺「チキンラーメン」が誕生しました。「発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない」という言葉通り、一日四時間の睡眠で研究し続けた凄まじい執念が結実した瞬間でした。
安藤氏の非凡さは、単に商品を開発するだけでなく、「新しい事業構造」そのものを作り上げた点にあります。問屋に相手にされなければ自らルートを開拓し、大量生産・大量販売の仕組みを構築しました。「時計の針は時間を刻んでいるのではない。命を刻んでいるのだ」と語り、ラーメンを売るのではなく、調理時間を短縮することで人々に「時間」という価値を提供しているのだという誇りを持っていました。
そして61歳の時、新たな挑戦として「カップヌードル」を生み出します。米国視察で現地のバイヤーがどんぶり代わりに紙コップを使い、箸の代わりにフォークで食べる姿を見たことから、食習慣の違いに気づき、カップに麺を収めるという逆転の発想に至りました。浅間山荘事件の報道映像をきっかけに爆発的なヒットとなりますが、ここでも安藤氏は利益を独占せず、特許を公開して業界全体の発展(森としての繁栄)を優先しました。
晩年もその情熱は衰えることなく、90代で宇宙食ラーメン「スペース・ラム」を開発し、亡くなる直前まで現役を貫きました。側近であった筒井氏が書き留めたノートには、「仕事を戯れ化せよ」という教えが残されています。
自ら企画し、責任を持って取り組む仕事は遊びのように楽しく、疲れを知らないというのです。「人生に遅すぎることはない。六十歳、七十歳からでも新たな挑戦はある」――九十六年の生涯を通じて挑戦し続け、時代を切り拓いた安藤百福氏のこの言葉は、超高齢社会を生きる私たちにとって、未来を明るく照らす力強いメッセージとして響き渡ります。
企業において組織の活性化や人材育成を考える際のヒント
特に「仕事を戯れ化する」という視点は、従業員のエンゲージメントを高める上での重要なヒントになりそうです。これは単に不真面目に楽しむということではなく、自らが主体的に企画・立案し、責任を持つことで仕事に没頭できる状態を作ることを意味しています。トップダウンの指示待ちではなく、社員一人ひとりが「自分のプロジェクト」として業務に向き合えるような環境づくりや、失敗を恐れずに挑戦させる風土の醸成が、結果として組織全体の熱量を上げることにつながると考えられます。
また、「転んでもただでは起きるな」というマインドセットは、レジリエンス(回復力)の高い組織を作る上での鍵となります。変化の激しい現代においては、失敗そのものを避けることよりも、失敗から何を学び、どう次に活かすかという「意味づけ」のプロセスを共有することが、組織の強さにつながっていくでしょう。
さらに、特許を公開して業界全体を育てようとした「森としての発展」という視点は、部門間の壁を取り払い、ナレッジを共有するオープンな組織文化の重要性を再認識させてくれます。そして何より、「人生に遅すぎることはない」というメッセージは、シニア層のキャリア自律やリスキリングを促進する上での強力な指針となり、年齢に関わらず新たな役割に挑戦できる機会を提供し続けることが、組織の持続的な成長にとって大切な一手となるのではないでしょうか。
かくしてV字回復は成し遂げられた 塚本こなみさん(浜松市花みどり振興財団理事長)、堀 一久さん(新江ノ島水族館社長)p52
女性樹木医第一号として知られる塚本こなみ氏と、新江ノ島水族館(えのすい)を率いる堀一久氏。それぞれ植物園と水族館という異なるフィールドで、経営危機に直面した施設を見事にV字回復させた二人のリーダーが、その改革の軌跡と経営哲学を語り合いました。
塚本氏は、造園業を営む夫の仕事を手伝う中で樹木の魅力に目覚め、35歳で独立。その後、樹木医の資格を取得し、前例のない巨木の移植を成功させたことが人生の転機となりました。その実績を見込まれ、栃木県の「あしかがフラワーパーク」の園長に就任した際、塚本氏が直面したのは深刻な赤字経営でした。
しかし、彼女は諦めませんでした。まず徹底的な市場調査を行い、近隣の藤の名所をライバルとして分析。あえてライバル地域の住民に向けて「世界一美しい藤」と銘打ったチラシを配布し、対抗心を刺激して集客を図るという逆転の発想で黒字化を達成しました。さらに、移植時は不可能と言われた大藤を、医師が使うギプス固定のアイデアを応用して成功させるなど、常識にとらわれない手法で困難を乗り越えてきました。
一方、堀氏の祖父が創業した江の島水族館は、老朽化と客足の減少に苦しんでいました。銀行員として働いていた堀氏は、実家である水族館の再建のために呼び戻されます。PFI(民間資金等活用事業)という手法を用いて、行政や外部企業と連携し、2004年に「新江ノ島水族館」としてリニューアルオープンを果たしました。一時は年間180万人まで回復した来場者数も、数年後には徐々に減少傾向となり、東日本大震災の年には125万人まで落ち込みます。
そこで堀氏は、2014年の10周年に合わせて大胆な改革を行いました。水族館としては日本初となる本格的なプロジェクションマッピングの導入です。リアルな生物とデジタルアートを融合させた夜間の演出は、従来のファミリー層だけでなくカップルなどの新しい顧客層を開拓し、再び180万人規模へのV字回復を成し遂げました。
その後、浜松市の依頼で「はままつフラワーパーク」の理事長に就任した塚本氏は、ここでも組織の意識改革に着手します。「近隣に無料の施設があるから、有料の当園には人が来ない」と言い訳をする職員に対し、「有料だから来ないのではなく、魅力がないから来ないのだ」と一喝。職員との対話を重ね、桜とチューリップを同時に楽しませる世界一の庭園づくりや、花の開花状況に合わせて入園料を変える変動料金制を導入し、大幅な黒字化を実現しました。
両氏に共通するのは、現状に満足せず、常に「感動分岐点」を超える価値を提供しようとする姿勢です。塚本氏は「毎年少しずつでも変化させ、進化し続けること」の重要性を説きます。堀氏もまた、相模湾という地域の宝を最大限に活かしつつ、常に新しい展示や企画を付加していくことで、リピーター(ファン)を育ててきました。
組織運営においては、理念の共有が鍵となっています。堀氏は、400名に及ぶ従業員の意識を統一するために「クレド(信条)」を作成。「つながる命」の価値を伝えるというミッションや行動指針を明文化し、朝礼で唱和することで、判断に迷った際の原点としています。また、塚本氏もトップダウンだけでなく、現場のスタッフと共に目標を共有し、小さな成功体験を積み重ねることでモチベーションを高める手法をとっています。
対談の終盤、堀氏は自身の支えとなった言葉として「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」を紹介しました。家業を継ぐという宿命を受け入れ、困難な運命に挑戦し、使命感を持って経営にあたる。その覚悟に塚本氏も深く共感し、互いに「世界一」を目指して歩み続ける決意を新たにしていました。二人のリーダーの歩みは、単なる施設の再生にとどまらず、そこで働く人々の意識を変え、地域全体の価値を高める「場」の創造の物語でもあります。
人事視点からの考察
本記事から読み取れる組織再生の要諦は、制度や設備の刷新以上に、そこで働く人々の「意識の変革(マインドセット)」にあると考えられます。
まず注目したいのは、現状を打破するための「問いの立て直し」です。塚本氏が「有料だから客が来ない」という外的要因への言い訳を退け、「魅力がないからだ」と内部要因に目を向けさせた点は、組織風土改革の重要な一手です。できない理由を探すのではなく、「何があれば選ばれるのか」へと思考を切り替えるアプローチは、閉塞感のある職場において非常に有効な手段となり得ます。
また、堀氏が実践した「クレド」による理念浸透も、多様な人材を抱える組織において示唆に富んでいます。専門職やアルバイトなど異なる立場の従業員が、一つの方向性を共有するための「共通言語」を持つことは、現場の自律的な判断を促す上で欠かせません。さらに、理念を額縁に入れて飾るだけでなく、日々の業務で迷った際の「立ち返る場所」として機能させている点は、エンゲージメント向上の観点からも参考にしたいところです。
そして、「小さな変化の積み重ね」という視点も重要です。一度の大きな改革で終わらせず、毎年少しずつ進化を続けることで、顧客だけでなく、働くスタッフ自身にも新鮮な驚きと誇りをもたらします。「感動分岐点を超える」という目標は、顧客満足(CS)のみならず、従業員満足(ES)を高め、組織の一体感を醸成する原動力になると考えられます。
自立自尊の国、日本へ拓き進め! 稲村公望さん(元日本郵便副会長)、田母神俊雄さん(第29代航空幕僚長)p62
かつて世界第2位を誇った日本のGDPが低下し、国としての活力が失われつつある現状に対し、元日本郵便副会長の稲村公望氏と、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が、それぞれの専門分野から日本の自立と再生への道筋を語り合いました。
二人の対談は、単なる懐古趣味ではなく、現代日本が抱える「郵政民営化の功罪」「移民政策と労働市場」「対米従属と経済停滞」「歴史認識と精神的自立」という四つの大きな柱を軸に展開されます。
まず議論の口火を切ったのは、稲村氏による郵政民営化への痛烈な批判です。稲村氏は、民営化によって日本郵政が保有していた約360兆円の資産のうち、約137兆円もの巨額な減損が生じた事実を指摘します。かつて郵便貯金や簡易保険として国民から預けられた資金は、「財政投融資」という仕組みを通じて、道路や学校などのインフラ整備に低金利で活用され、国民生活の向上に寄与してきました。
しかし民営化以降、その資金は利益追求のために高リスクな海外投資ファンドなどで運用されるようになり、結果として国民の資産が失われ、海外の利益のために流出する構造へと変質してしまったといいます。
さらに、現場の視点からも、地方の特定郵便局が担っていた地域コミュニティの拠り所としての機能が失われ、手数料の値上げやサービスの低下により、国民の利便性が損なわれている現状が語られました。郵便事業は単なる金融ビジネスではなく、本来は国民の生活と財産を守る公益性を最優先すべきであり、行き過ぎた民営化を見直すべき時期に来ているとの認識で両氏は一致します。
次いで議論は、近年加速する外国人労働者の受け入れと移民問題へと及びます。稲村氏は、安易な労働力不足の解消を目的とした移民政策が、賃金の抑制を招き、日本経済全体のデフレ圧力を高めていると警鐘を鳴らします。
田母神氏もこれに同調し、かつての高度経済成長期には人手不足を移民に頼るのではなく、技術革新や生産性の向上で乗り越えてきた歴史を振り返ります。現在の企業が、株主配当を最大化するために人件費を抑えようとし、その手段として低賃金の外国人労働者を求めている構造こそが問題であると指摘します。
また、欧州などの事例を引き合いに出し、文化や価値観の異なる移民の急増が治安の悪化や社会的分断を招くリスクについても懸念が示されました。労働者を単なるコストとして扱うのではなく、まずは国内の雇用安定と処遇改善に全力を尽くすべきであり、外国人を受け入れる場合でも、しっかりとした日本語教育や法整備が不可欠であると論じています。
三つ目のテーマは、日本の経済停滞の根底にある「対米従属」の構造です。田母神氏は、「失われた30年」の原因は、1980年代以降のアメリカによる日本経済弱体化政策にあると分析します。プラザ合意や年次改革要望書などを通じて、日本独自の経済制度や商慣行が解体され、アメリカに有利な形へと変更を余儀なくされてきました。
なぜ日本が理不尽な要求を飲み続けてきたのか。その最大の理由は、軍事的に自立していないことにあると田母神氏は断じます。自衛隊の主要装備やシステムをアメリカに依存している現状では、真の対等な外交関係は築けません。真の独立国家となるためには、防衛装備の国産化を進め、軍事的な自立を果たすことが不可欠であり、それが結果として経済的な自立にも繋がると説きます。経済政策においては、積極的な財政出動と減税を行い、デフレからの脱却を図るべきだという力強い提言もなされました。
そして最後に語られたのが、日本人の精神的支柱となる「歴史認識」と「価値観」の重要性です。戦後、GHQの占領政策によって行われた検閲や焚書、そして教育改革により、日本人は自国の歴史に対する誇りを失い、自虐史観を植え付けられました。
また、伝統的な大家族制度や地域社会の破壊が進んだことで、日本独自の精神性が希薄になったといいます。稲村氏と田母神氏は、日本古来の統治や経営のあり方は、欧米流の「支配と搾取」ではなく、互いに面倒を見合う「共存と信頼」に基づいていたと振り返ります。
グローバリズムや株主至上主義が広がる中で、格差や分断が進む現代だからこそ、先人たちが大切にしてきた日本的な価値観や歴史への誇りを取り戻すことが急務です。他国に盲従するのではなく、自らの歴史と文化に立脚した「自立自尊の国」を築くことこそが、日本の明るい未来を拓く唯一の道であると結ばれています。
企業組織における「人」の視点から
まず、安易な外部労働力への依存に対する警鐘は、そのまま組織の人員計画における示唆として受け取ることができます。目先の人手不足を補うために、コスト重視で外部人材や非正規雇用に頼りすぎることは、短期的には解決策に見えても、長期的には組織内の技術継承やイノベーションの土壌を弱めてしまう可能性があります。
業務プロセスの見直しやテクノロジーの活用によって生産性を高め、既存社員のエンゲージメントと賃金を向上させる方向へ舵を切ることは、持続可能な組織を作る上での重要な一手となるでしょう。
また、欧米型の「株主至上主義」と日本型の「共存と信頼」の対比も興味深い視点です。短期的な利益や効率性を追求するあまり、従業員を単なる「リソース」として扱っていないか、改めて点検したいところです。
かつての日本的経営に見られたような、経営層と現場の一体感や、心理的安全性の高い組織風土は、現代においても強力な競争力の源泉になり得ます。数値を追うだけでなく、社員が安心して長く働ける環境や、互いに支え合うコミュニティとしての会社機能を再評価することも考えられます。
さらに、歴史認識やアイデンティティの重要性は、企業の理念浸透(インナーブランディング)にも通じます。国が歴史を知ることで誇りを持てるように、社員もまた「自社の創業の精神」や「これまでの歩み」を深く理解することで、組織への帰属意識や仕事への誇りが醸成されるのではないでしょうか。過去を否定したり断絶したりするのではなく、自社のDNAとも言える文脈をしっかりと語り継ぎ、次世代の教育に組み込んでいくことも、組織の求心力を高める上で有効なアプローチであると考えられます。
