アンダーマイニング効果の心理学と人事戦略:内発的動機づけを守る組織づくりー川上真史氏の講義から考える
川上真史ビジネス・ブレークスルー大学教授の「企業と心理学 トピックス #41 アンダーマイニング効果」というテーマを取り上げます。
アンダーマイニング効果は、内発的な動機づけで行動していた人が、外的な報酬や評価などにより、逆にモチベーションが低下してしまう現象のことです。意図せずとも人々のやる気を削いでしまう可能性があるため、ビジネスの現場をはじめ、教育や子育てなど、様々な場面で注意すべき重要な心理現象として紹介されています。
動機づけの基礎:行動を動かす二つの力
人間の行動(Behavior: B)を理解する上で、心理学では環境(Environment: E)とその人の持つ個性や内面(Personality: P)の相互作用によって行動が決まる、という基本的な考え方があります。これを数式で B=f(E×P) と表現することがあります。つまり、同じ環境にいても人によって取る行動は異なりますし、同じ人でも置かれた環境が変われば行動も変化するということです。
この考え方を基盤に、人を動かす「動機づけ」には大きく分けて二つの種類が存在します。
外発的動機づけ
これは、個人の外部にある要因、すなわち「環境(E)」を変化させることによって行動(B)を促そうとするアプローチです。具体的な例としては、目標達成に対する報酬(金銭、物品、昇進など)の提供や、逆にルール違反に対する罰則、あるいは上司からの指示や命令などが挙げられます。これらは比較的実行しやすく、短期的には効果が見えやすいという特徴があります。内発的動機づけ
こちらは、個人の内部にある要因、すなわち「人格(P)」、より具体的にはその人の興味、関心、好奇心、達成感、やりがい、楽しさといった内面的な欲求に働きかけることで行動(B)を促すアプローチです。仕事そのものが面白いと感じる、知的な探求心を満たせる、誰かの役に立っている実感を得られる、といったことが動機となります。
川上氏は、動機づけの基本は「内発的動機づけ」にあるべきだと強調しています。外発的動機づけは手軽さゆえに多用されがちですが、いくつかの注意点があるためです。
アンダーマイニング効果とは何か?
ここで本題である「アンダーマイニング効果」が登場します。これは冒頭で紹介したように、「外発的な報酬を与えることによって、もともと持っていた内発的な動機を低下させてしまう現象」と定義されます。
例えば、純粋に「この商品を広めるのが面白い」「顧客に喜んでもらえるのが嬉しい」という内発的な動機で熱心に働いていた営業担当者がいたとします。そこに会社が「販売目標を達成したら特別なインセンティブを与える」という外発的な報酬制度を導入したとしましょう。すると、当初は喜びや更なる意欲につながるかもしれませんが、次第にその営業担当者の意識は「インセンティブをもらうために頑張る」という方向へシフトしていく可能性があります。その結果、もし将来そのインセンティブ制度が廃止されたり、条件が変更されたりした場合、以前は自発的に行っていた活動への意欲そのものが失われ、「報酬が出ないなら、もう頑張る意味がない」と感じてしまうリスクがあるのです。
これは報酬だけでなく、「怒られたくないから仕方なくやる」といった罰を回避するための動機づけでも同様のことが起こりえます。怒られなくなれば、行動する理由が失われてしまうためです。
なぜアンダーマイニング効果が起こるのか?
この現象が起こる背景には、いくつかの心理的なメカニズムが関係しています。
報酬のための行動というジレンマ
人は「お金のためにやっている」「罰を避けるためにやっている」という感覚を持つと、どこか後ろめたさや、自律性が損なわれているような不快感を覚える傾向があります。純粋な興味や貢献意欲といった高次の動機が、「報酬」という外的要因に上書きされてしまうのです。報酬喪失のインパクト
心理学的に、人は何かを得た時の喜びよりも、同じ価値のものを失った時の痛みの方が大きく感じると言われています(損失回避性)。一度報酬を与えてしまうと、それがなくなった時の失望感や不満は、当初の意欲を大きく下回るレベルにまで低下させてしまう可能性があります。自己決定感の喪失
報酬や罰といった外的なコントロールが強まると、「自分で選択し、自分の意思で行動している」という感覚(自己決定感・自律性)が薄れていきます。これは、主体性や当事者意識を重視する現代の組織論とは逆行する状態と言えます。報酬パワーの限界
そもそも「報酬」が持つ他者への影響力(ソーシャルパワー)は、意外なほど限定的であるという研究結果があります。
5つのソーシャルパワーと報酬パワーの位置づけ
ジョン・フレンチとバートラム・レイヴンは、人が他者に影響を与える力の源泉として、以下の5つのソーシャルパワーを提唱しました。
準拠パワー: 魅力や尊敬、憧れによって影響を与える力。
権威パワー: 役職や地位といった公式な権限に基づく力。
強制パワー: 罰や脅しによって相手を従わせる力。
正当パワー: その指示や要求が正しく、従うのが当然だと相手に思わせる力。
報酬パワー: 報酬を与えることで相手の行動を引き出す力。

様々な研究の結果、この中で最も強力な影響力を持つのは「正当パワー」であり、一方で最も影響力が弱いとされるのが「報酬パワー」であるとされています。非常に退屈な心理学実験への参加者を募る際に、「謝礼(報酬)を出すから手伝ってほしい」と頼むよりも、「この実験は面白くないので人が集まらず困っている。どうか協力してほしい」と正直に頼んだ方が、人は動いてくれやすい、という実験例が紹介されています。報酬が絡むと、かえって嘘をつくことへの抵抗感や、やらされている感が先に立ってしまうことがあるわけです。
アンダーマイニング効果を防ぎ、内発的動機づけを高めるために
では、アンダーマイニング効果を避け、人々の内発的なやる気を引き出すためにはどうすればよいのでしょうか。
自律性の尊重
最も重要なのは、「報酬のためではなく、自分自身の意思や判断で、自律的に行動している」という実感を持ってもらうことです。本人の考えや意見に耳を傾け、自己決定の機会を提供することが鍵となります。内発的動機づけ戦略の多様化
安易に外発的報酬に頼るのではなく、内発的動機づけを高めるための多様なアプローチを持つことが重要です。例えば、コーチングの手法を用いて対話を重ね、本人の考えや意欲を引き出す、仕事の意義や社会への貢献度を伝える、挑戦や成長の機会を提供する、適切なフィードバックを与える、などが考えられます。外発的報酬の賢明な活用
もし外発的報酬を用いるのであれば、その使い方に工夫が必要です。定期的で予測可能な報酬はアンダーマイニング効果を引き起こしやすいため、むしろ予期せぬタイミングでのサプライズ的な報酬(イレギュラーな報酬)の方が、内発的動機を損なわずにポジティブな効果を生む可能性があると示唆されています。例えば、特別な成果に対する一時的なボーナスなどが考えられます。長期的な視点の保持
外発的動機づけの効果は一時的で、状況が変われば失われやすいのに対し、内発的動機づけは一度確立されると、環境の変化に比較的強く、長期にわたって安定した行動をもたらします。
まとめ
従業員やチームメンバー、あるいは子供たちのやる気を引き出し、持続的な成長を促すためには、アンダーマイニング効果の存在を深く理解し、それを意識的に避けることが極めて重要です。動機づけの基本はあくまで内発的なものであり、報酬などの外的なインセンティブはその補助として、慎重に、そして賢く活用する必要があります。個々人の内なる興味や関心、成長意欲、貢献感といったものに光を当て、それを育むような関わり方(例えば、対話を通じて本人の意思を明確にするコーチング的アプローチなど)を心がけることが、結果的に個人と組織双方の持続的な成功につながっていくといえるでしょう。
アンダーマイニング効果:人事が知るべき動機づけの落とし穴と対策
従業員のモチベーションをいかに引き出し、維持・向上させるかは、組織の生産性や持続的成長を左右する最重要課題の一つです。その中で、今回解説されている「アンダーマイニング効果」は、良かれと思って導入した人事施策が、かえって従業員の意欲を削いでしまう可能性を示唆しており、人事戦略を策定・実行する上で極めて重要な示唆を与えてくれます。
報酬・評価制度設計におけるアンダーマイニング効果のリスク
多くの企業では、従業員のパフォーマンス向上のために、成果に応じた金銭的インセンティブ(外発的報酬)を導入しています。営業部門の目標達成インセンティブや、業績連動賞与などが典型例です。これらの施策は、短期的には特定の目標達成を促進する効果を発揮することがあります。
しかし、アンダーマイニング効果の観点からは、こうした外発的報酬への過度な依存には注意が必要です。資料で指摘されているように、元々仕事そのものに面白さややりがいを感じていた(内発的に動機づけられていた)従業員に対し、「報酬のため」という動機を植え付けてしまうと、本来の自発性や創造性が失われるリスクがあります。そして、報酬が得られなくなったり、期待値を下回ったりした場合、以前よりもモチベーションが低下し、「報酬がなければ動かない」といった状況を招きかねません。これは、変化の激しい現代において求められる、自律的に考え行動する人材の育成とは逆行する結果となります。
また、評価制度と報酬を強く結びつけすぎることも、アンダーマイニング効果を助長する可能性があります。評価結果を気にするあまり、従業員が失敗を恐れて挑戦的な目標を避けたり、評価されやすい短期的な成果ばかりを追ったりするようになるかもしれません。本来、評価制度は処遇決定の根拠であると同時に、従業員の成長を促し、内発的動機を高めるためのフィードバックの機会でもあるはずです。そのバランスを慎重に考慮する必要があります。
内発的動機づけを核とした人事戦略の必要性
アンダーマイニング効果のリスクを踏まえると、企業人事としては、短期的な外発的動機づけに偏重するのではなく、従業員の内発的動機をいかに引き出し、育むかという長期的視点に立った人事戦略を展開することが不可欠です。
自律性と挑戦を促す組織文化の醸成
従業員が自らの意思で仕事に取り組んでいるという感覚(自己決定感)を持てるよう、裁量権の委譲を進めることが重要です。また、心理的安全性を確保し、失敗を恐れずに新しいことに挑戦できる、そしてそのプロセスや貢献が認められる組織文化を醸成する必要があります。これは、経営層からのメッセージ発信に加え、日々のコミュニケーションや制度運用を通じて、組織全体で意識的に作り上げていくものです。マネジメント層への啓発とスキル向上支援
アンダーマイニング効果を防ぎ、部下の内発的動機を引き出す上で、直属の上司である管理職の役割は決定的です。人事としては、管理職に対し、アンダーマイニング効果のメカニズムを理解させるとともに、部下の話を傾聴し、承認や適切なフィードバックを与え、自律性を尊重するコミュニケーションスキル(コーチングスキルなど)を習得するための研修機会を提供することが求められます。
上述した、「5つのソーシャルパワー」でいえば、単なる「報酬パワー」や「強制パワー」に頼るのではなく、納得感のある指示や説明を行う「正当パワー」や、人間的魅力で部下を惹きつける「準拠パワー」を発揮できるようなマネジメントを奨励すべきでしょう。個の成長と意義を実感できる育成・キャリア支援
画一的な育成プログラムではなく、従業員一人ひとりの興味、強み、価値観に着目し、それらを活かせるような業務アサイン(ジョブ・クラフティングの支援)や、主体的な目標設定(例:OKRの導入検討)、キャリア形成に関する相談体制の整備などを通じて、仕事を通じた成長実感や、組織への貢献実感、仕事そのものの意義を感じられる機会を提供することが、内発的動機を効果的に刺激します。非金銭的報酬の戦略的活用
報酬は金銭だけではありません。承認、賞賛、感謝の言葉、挑戦的なプロジェクトへの抜擢、学習やスキルアップの機会提供、より大きな裁量権の付与といった「非金銭的報酬」は、従業員の内発的動機を高める上で非常に有効です。これらを人事制度や日々のマネジメントの中に意図的に組み込んでいくことが重要です。採用段階での見極め
企業の理念や事業内容、仕事そのものへの共感や興味、知的好奇心、成長意欲といった内発的な動機を持つ人材を見極め、採用後の定着と活躍を促進する視点も重要になります。

まとめ
アンダーマイニング効果は、人事にとって、従業員のモチベーション施策を考える上で常に念頭に置くべき重要な概念です。金銭的報酬という分かりやすい手段に頼るだけでなく、従業員一人ひとりの内面にある「やる気の源泉」に目を向け、自律性、成長実感、貢献感、仕事の意義といった内発的動機をいかに引き出し、育んでいくか。この視点に基づいた人事戦略こそが、従業員のエンゲージメントを高め、変化に強く持続的に成長する組織を築くための鍵となるでしょう。

「アンダーマイニング効果」によるモチベーションの違いを示しています。左側の場面では、金銭的報酬(ボーナス)を手にした従業員が、グレー調の無機質なオフィス空間で一人ぽつんと座っています。表情には活力がなく、散らかったデスクや寂しい雰囲気が、外発的報酬に頼るモチベーション管理の限界と孤立感を象徴しています。
対照的に、右側のシーンは陽光が差し込む開放的なオフィスで、同僚や上司が一人の従業員を言葉で称賛し、チーム全体が一体となって拍手を送っています。ホワイトボードには創造的なアイデアや進捗が描かれ、活気と協働の雰囲気が画面全体にあふれています。この従業員の表情や姿勢からは、自律的に働き、自らの成長と仕事の意義を感じている様子がはっきりと読み取れます。
このメッセージは、「人は何のために働くのか?」という問いに対して、単なる報酬以上に重要な“意味づけ”と“つながり”の価値を訴えかけており、組織作りの根幹をなすインサイトを提供してくれます。
