見出し画像

一厘(いちりん)の仕組み、神一厘!もう一つの真実!

富士は晴れたり日本晴れ

こんにちは。木下です。

日月神示をもう一つの視点で読みながら、日々の気づきを静かに綴っています。

メインのブログとは少し違う、考察を深める場所です。

興味のある方だけ、気軽にのぞいてみてください。

日月神示における「一厘の仕組」の新たな考察

はじめに、神示の全文から、「一厘の仕組」に関する箇所を抜き出してみました。

第一巻 上つ巻 第二十八帖(昭和19年7月1日)

「神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ」

第二巻 下つ巻 第二十一帖(六三)(昭和19年7月24日)

「今の戦はととの戦ぞ、神の最後の仕組と申すのはに入れることぞ。も五ぞも五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とはに神の国のを入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ」

第三巻 富士の巻 第一帖(八一)(昭和19年8月10日)

「どの道通っても、よいと申すのは、悪のやり方ぞ、元の道は一つぞ……それが悪の深き腹の一厘ぞ」

第三巻 富士の巻 第五帖(八五)(昭和19年8月14日)

「今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ」

第四巻 天つ巻 第二十一帖(昭和19年7月23日相当)

「神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ」

第五巻 地つ巻 第二十七帖(一六四)(昭和19年10月4日)

「神の申したこと一厘もちがはんぞ、富士は晴れたり日本晴れ」

第九巻 キの巻 第九帖(二六六)(昭和20年2月)

「一厘のことは云はねばならず云ふてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりて呉れよ、神たのむのざぞ」

第九巻 キの巻 第十三帖(二七〇)(昭和20年3月16日)

「世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ……一�りのことは云はねばならず云ふてはならず……御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐるのざぞ……一厘の所 分かるまいがな」

第十巻 水の巻 第十一帖(二八五)(昭和20年6月11日)

「神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ」

第十四巻 カゼの巻 第八帖(三五九)(昭和20年12月〜昭和21年2月)

「日本の人民もわたりて来た人民も……九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ」

第二十巻 ウメの巻 第九帖(昭和21年11月)

「建替延ばしに延ばしてゐる神の心判らんから、余り延ばしては丸つぶれに、悪のわなに落ちるから艮(とど)めの一厘のふたあけるから、目開けておれん事になるぞ」

第二十二巻 アホバの巻 第十帖(昭和22年8月3日)

「仕組途中でグレンと変り、カラリと変る仕組してあるのぢゃ、其処に一厘の仕組、火水の仕組、富士と鳴門の仕組、結構々々大切致してあるのぢゃ」

第二十三巻 ウミの巻 第十五帖(昭和22年8月23日)

「七つの花が八つに咲くぞ、此の神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。一厘が、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現はれるのぢゃ、現はれてゐるのぢゃ」

第二十四巻 黄金の巻 第二十三帖(昭和24〜25年)

「残る一厘は悪の中に隠してあるぞ」

第二十五巻 白銀の巻 第一帖(昭和24年12月14日)

「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る」

第二十九巻 秋の巻 第二十八帖(昭和27年4月11日)

「これほどマコト申しても、残る一厘はいよいよのギリギリでないと申さんから、うたがふのも無理ないなれど、見て御座れよ。神の仕組 見事成就いたすぞ。一厘のことは知らされんぞと申してあろう。申すと仕組成就せんなり」

第三十巻 冬の巻 第四十八帖(昭和27年5月〜6月)

「世界中を泥の海にせねばならんところまで、それより他に道のない所まで押しせまって来たのであるが、尚一厘のてだてはあるのぢゃ。大神様におわび申してすっかり心を改めて下されよ。神々さまも人民さまも心得ちがひ多いぞ。泥の海となる直前にグレンとひっくりかえし、びっくりの道あるぞ」

五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第一帖

「九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、今が九分九厘であるぞ」

五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第十一帖

「陽あたりのことと、陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、タテコワシとタテナホシが一時にくるのぢゃ……一厘(理云)(リン)の火水でデングリ返して、見事なことをお目にかけるぞ」

五十黙示録 第四巻 龍音之巻 第十六帖

「二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。……一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ」

五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十三帖

「少しでも交じり気があったら先になって取り返しがつかんことになるぞ、今度は一厘の【くるひ】があってもならんぞ」

(一)「一厘」という言葉

神示の中で「一厘」という言葉は、複数の異なる文脈と意味層において使用されています。
まず最も基本的な使用例として、「一分一厘ちがはんぞ」という表現があります。
これは神示の言葉の正確さを強調するための慣用的な用法であり、予言の厳密性を示すものです。
これとは別に、「一厘の仕組」「神の一厘」「残る一厘」「艮の一厘」「一厘のてだて」「一厘のふた」という表現があり、こちらが神学的・宇宙論的な概念としての一厘と思われます。

また「一厘もないぞ」という表現もあり、これは神力の現在における欠乏状態を示していると思われます。
これらを混同せずに読み解くことが、一厘の仕組の理解への第一歩となります。

(二)「九分九厘」と「一厘」

神示はこの二つの数値を常にペアとして使用しています。
九分九厘は悪・混乱・崩壊・行き詰まりの極限状態を表し、一厘はそこに仕込まれた神の最終手段を表しています。
両者は単純な関係ではなく、質的な転換点を挟んだ対称構造をなしています。

第一巻第二十八帖で明示されているのは、「悪の神も元の神の仕組を九分九厘まで知っている」という事実です。
これは神の計画のほぼ全域が悪に筒抜けになっているということであり、だからこそ「残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてある」という言葉が意味を持ちます。
現在、無料で日月神示の全文がネットで読むことができますので、AIを使っている悪の組織に筒抜けになっているといってもよいでしょう。
しかし、悪が知り得る領域と、知り得ない領域の境界が、まさに九分九厘と一厘の間に引かれているのです。

第十四巻では「九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ」と記されており、ここでは九分九分九厘(つまり99.9%)と一厘(0.1%)の組み合わせで初めて成就するという構造が明示されています。
これは一厘単独での力ではなく、極限まで追い詰められた九分九厘の状態があってはじめて、一厘が発動する条件が整うことを示していると考えられます。
この部分が特にあとで考察するうえで重要になってきますので、覚えておいたください。

(三)一厘の仕組:神示の明示と隠蔽

神示は一厘の仕組について「言はねばならず、言っては仕組が成就せず」という矛盾した立場を明言しています。
第二十九巻秋の巻第二十八帖の「一厘のことは知らされんぞと申してあろう。申すと仕組成就せんなり」という記述がこれを示しています。

しかし、神示は完全に沈黙しているわけではありません。
部分的な示唆が随所に散りばめられており、それらを総合することで、ある程度の輪郭が浮かび上がります。

最も直接的な文は第二巻下つ巻第二十一帖にあります。
「一厘の仕組とはに神の国のを入れることぞ」という文ですが、これは霊と肉体、あるいは神の霊魂と物質世界という二項関係を示しているものと解釈できます。
他の帖に書かれてある神示から推察しますと、これは「神の命を肉体(国・世界)に入れること」を意味し、すなわち神の命が世界の中枢に宿ることで世界が根本から変容するという意味を帯びていると考えられます。

五十黙示録龍音之巻第十六帖ではさらに
「二二と申すのは天照大神殿の十種の神宝に(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組」という記述は、「テン(神)を十種の神宝に入れること」が一厘の仕組の本体であると示しています。
これはどういう意味でしょか?
十種の神宝とは記紀神話においても特別な神聖性を持つ物であり、これに天の要素を加えることで完結するという示されています。
私がインスピレーションで浮かんだのは、十種の神宝とは、人体のチャクラを意味しているのではないかということです。
チャクラは七つ八つとされていますが、秘教では十あると言われています。
もしかして、松果体に、テン(神)を入れるのでは、と脳裏に浮かんだ読者は、みろくの世の切符を手にしていると言っても過言ではありません。

(四)「隠し場所」としての「悪の中」

第二十四巻黄金の巻第二十三帖の「残る一厘は悪の中に隠してあるぞ」という神示は、一厘の仕組の理解において最も衝撃的かつ重要な意味をもっています。
この悪というものを、イルミナティとか悪の組織、DSと思ってしまうと、神示の深い意味がわからなくなります。

これは、神の最終手段が悪の内部に潜んでいるという構造を示しています。
イルミナティとか悪の組織、DSの内部に、光のてんし様がいるのでもありません。
悪に神の仕掛けを宿しているという認識は、悪を単純に否定・排除すべき対象とする二元論的宗教観とは根本的に異なります。
神示は繰り返し「悪も御役」「悪を抱き参らせよ」と述べています。
なぜ、悪が神の御用をしているのか、悪を抱き参らせるとか意味がわかりませんね。
人は生まれながらにして善であるという性善説、仏教的な考えもありますが、それとは少し違うように思えます。

悪が九分九厘まで知っていながら、悪の内側に仕掛けられた一厘を知り得ないのは、どうしてでしょう。
一厘は悪の内側にいる。
それは誰でしょう?

以前にメインサイトで、一厘の仕組みはトランプと関係あると書きましたが、一厘の仕組みを発動させるために世界を極限まで追い詰める役目がトランプなのかも知れません。

悪を構成している何か(おそらく神の霊的本質・元の神の命)が転換の種として悪のなかに隠されているという解釈を詳しく次回で考察したいと思います。

悪が極限まで悪を尽くした時、その悪の内側に潜んでいた神の種が発芽する。
「グレンとひっくり返る」
中東から原油が入ってこなくなり、日本も世界もグレンとひっくり返りそうな今日この頃ですね(◎_◎;)

神示には「人間を極限まで追い詰める」と書いてありますので、神示なのか悪示なのかわからなくなっている人もいるのではないでしょうか。
SNSでは、日月神示は、岡本天明が書いた偽書とも言われています。
確かに、日月神示はヨハネの黙示録と同様に、文章だけをそのまま読めば、最終戦争やハルマゲドン、神の降臨に関して書いてあるように思うかも知れませんが、エドガーケイシーがリーディングでヨハネの黙示録を解読したように、私も日月神示を直観的に解読いたしました。
私の解読が正しいかどうかは、読者様に考えていただくことにして、今後も日月神示について綴っていきたいと思います。

日月神示 第二十三巻 海の巻 第十九帖に、
「二十三巻でこの方の神示の終わり、終わりの終わりぞ」と書いてあります。
つまり、岡本天明に直接降ろされた純粋な神示はここまでで一区切りという意味です。

次に「後の七巻は他からだしてあるのだぞ」という一文は重要で、二十四巻以降の七巻については、同じ系統ではない可能性が示唆されています。

「合わせて三十の巻、それがひとつの節だぞ」という部分は、全体として三十巻で一つのまとまりになることを意味しています。
つまり二十三巻が核心であり、残りの七巻も含めて一つの構造を成しているということです。
全三十巻で一つの区切りを成すという内容になっています。
まだ公表されていない七巻は性質が異なると書いてあります。
実は、その七巻は文字で記されているのではなく、私たちの魂のなかに記されているのです。
それに関しても、今後このブログに書いていきます。

それでは、またお会いいたしましょう。
次回をお楽しみに(^^♪




いいなと思ったら応援しよう!