ありがたいのに、休まらない
妻が退院して、自宅での生活が始まった。
帰ってこられたことは、もちろんうれしかった。
病院ではなく、家で過ごせる。
家族と同じ空間で、朝を迎えられる。
それだけで十分ありがたいと思った。
でも、実際の生活が始まると、家の中には思っていた以上にたくさんの予定が入ってきた。
誰かが来てくれる一日

何時に看護師さんが来る。
何時にリハビリがある。
何時に往診がある。
何時に入浴の介助がある。
予定は毎日のように続いた。
専門的な知識がない自分にとって、その支援は本当にありがたかった。
妻の身体のことは分からないことばかりだった。
少し様子が違うだけでも心配になる。
この状態で大丈夫なのか。
今すぐ誰かに相談した方がいいのか。
自分の判断だけでは何が正しいのか分からない。
だから看護師さんが来てくれると安心した。
リハビリの先生が身体を見てくれると少しほっとした。
往診があると、その日まで何とかつないでいける気がした。
大げさではなく、妻を生かしてくれている。
当時はそんな感覚に近かった。
人が来てくれることは助けだった。
間違いなく支えだった。
でも、その安心のために私はずっと時計を見ていた。
次は何時だったか。
その前に何をしておく必要があるか。
買い物に行くなら今しかないか。
帰りが少し遅れたら困るだろうか。
そんなことを考え続けていた。
支援を受けているのだから、楽になっているはずだった。
ひとりで全部やることに比べたら、ずっと助けられているはずだった。
それなのに、なぜか休まらなかった。
ありがたい。
でも、休まらない。
その二つは、同じ一日の中にずっと一緒にあった。
予定の隙間で暮らしていた

退院してからの日々は、予定表の余白を探すような生活だった。
一日の中に、自分が自由に使える時間があるわけではない。
先にいくつもの予定が置かれている。
その間に、できることを差し込んでいく。
買い物に行く。
子どもの送り迎えをする。
食事を用意する。
洗濯をする。
片付けをする。
どれも特別なことではない。
普通の暮らしの中にある、いつもの用事だった。
でも、妻の介護が必要になってからは、その普通が少しずつ難しくなった。
少し座れそうだと思っても時計を見る。
あと何分あるだろう。
今から休んだら、逆に動けなくなりそうだ。
そんなふうに考えて、結局そのまま立っている。
身体は家にいても、頭の中ではずっと何かが動いていた。
介護をしていると、自分の時間がなくなる。
よく聞く言葉だと思う。
でも実際に失っていくのは自由時間だけではなかった。
「自分で一日の流れを決めている」感覚だった。
今日はこれをしよう。
少し遠くまで買い物に行こう。
疲れたから昼に横になろう。
そんな小さな判断が、だんだんできなくなっていった。
生活が自分のものではなくなったような感覚があった。
誰も悪くない。
妻が悪いわけでもない。
支援に来てくれる人が悪いわけでもない。
だから余計に、しんどいと言いにくかった。
ただ慌ただしかった。
気づけば一日が終わっていた。
そして、また次の日が始まった。
夜中のコンビニ

家族が寝たあと、ようやく静かな時間が来た。
本当なら、自分も早く寝た方がいい。
次の朝はすぐに来る。
分かっていた。
それでも、すぐには寝たくなかった。
そのまま眠ってしまったら、今日が終わってしまう気がした。
また朝が来る。
また予定が始まる。
また時計を見る一日になる。
だから家族が寝静まったあと、こっそりコンビニへ行くことがあった。
家の近くを少し歩いて、お酒を買って帰る。
ほんの短い時間だった。
誰かに勧めたい習慣ではない。
身体にいいことでもない。
立派な息抜きでもない。
でも当時の自分には必要だった。
誰かの予定に合わせなくていい。
何時までに帰らなければいけないと考えなくていい。
夜の道を歩いている間だけは、次の予定がなかった。
コンビニの棚を見ている時間だけは、介護をする人でも、送り迎えをする人でもなかった。
役割から少し離れて、ただの自分に戻れる気がした。
家に戻り、お酒を飲む。
静かな部屋でぼんやり過ごす。
何かが解決したわけではない。
明日の予定が減ったわけでもない。
妻への心配がなくなったわけでもない。
それでも、その一時間があることで何とか一日を終えられた。
今振り返ると、自分が欲しかったのはお酒ではなかったのかもしれない。
誰にも呼ばれない時間だった。
何も判断しなくていい時間だった。
自分のためだけに使ってもいい時間だった。
あの一時間を振り返る

介護をしていると、自分のことは後回しになりやすい。
家族のために動くことが当たり前になる。
でも、自分を後回しにし続けると、いつか支えること自体が苦しくなる。
ありがたいと思いながら、休まらないと感じてもいい。
助けてもらいながら、疲れたと言ってもいい。
家族を大切に思いながら、ひとりになりたいと思ってもいい。
その気持ちは矛盾ではない。
弱さでもない。
介護をしながら暮らしていく人が、自然に感じるものなのだと思う。
あの頃の自分に声をかけるなら、もう少し早く休んでいいと言いたい。
ひとりで頑張り続けなくてもいいと言いたい。
介護をしていると、休みたいと思うことに罪悪感を覚える。
でも今は思う。
ひとりになりたいと思うことは、家族を大切に思っていないことではなかった。
あの夜、コンビニへ向かった一時間は、逃げる時間ではなかった。
自分を保つための時間だった。
そして今、誰かの介護をしている人が同じように感じているなら伝えたい。
自分だけの時間を持つことに、理由はいらない。
休むことに、申し訳なさを感じなくていい。
あなたがあなたに戻れる時間も、暮らしの中にあっていい。
