見出し画像

"勝ち"は来ないと気づいた話

現場(訪問看護)を離れてしばらく経った頃、実はけっこう長いこと空白を抱えとった時期があります。今日はその話です。
事務所におっても、どこにおっても、何からすればいいのか分からんくなる。訪問看護が全てやった自分にとって、それが無くなると「あれ?オレって何したらいいんかな?」って思いにふけった時期がありました。
訪問看護って、利用者さんのニーズに応える仕事です。現場を離れると、そのニーズを汲み取る感覚そのものが働かんくなる。場所を変えても、その空白は消えんかったとです。
そこから抜け出せたのは、お半(OAK美容院の社長)と結構一緒におったからです。お半も、ちょうど同じ時期に多店舗展開で現場から離れ始めとって、同じ空白を抱えとりました。コミュ障のお半の会社に頻繁に関わって、採用面接にまで同席したくらいです。今振り返ったら「類は友を呼ぶってこういうことやんね」って思います。同じ悩みを持つ仲間と過ごしたことで、孤独な時期を抜けられたとです。
その空白の中で、ずっと引っかかっとった感覚がありました。「勝ち」という感覚です。
正直に言うと、「勝ち」の意味自体はシンプルです。訪問看護でも美容でも就労支援でも、業界の中で上を見れば凄い人が腐るほどおる。どうせやるなら、上にいきたい。ただそれだけです。
でも、「やりきった!」と強く思っても、数日するとまた何かしらの結果を求めとる自分がおる。勝ちには、終わりがなかとです。
たぶん、これは自分の存在価値がなくなることの恐怖やったんかもしれません。「皆んなを黙らせたい」の奥にあるのは、"結果を出し続けんと、自分の価値が消える"という恐れ。エンジンの燃料は、勝ちたい欲より、この恐れの側にあったんかもしれん。しかもこの恐れ、子どもの頃からのもんやなくて、起業してから生まれたもんです。裏を返せば、看護師やった頃は、結果以外の形で価値を感じられとったんかもしれません。今も「ただの看護師」って自分を名乗るのは、たぶんそこに錨を下ろしとるとです。
そんな中で、少しずつ発想が変わっていきました。
何かさ、オレって大したことないなって、常々思うとです。ネガティブな話やなくて、さゆりさんとか舘岡とか三井とかお半とか、仲良くなればなるほど、その人それぞれにオレよりメッチャ凄いところがある。それやったら、人間やけん、どっちかに良いところ・凄いところがあるんが当たり前で。それやったら、オレ一人で勝ちを追い続けるより、これが5人、10人、50人、100人になったら、もっと凄いことができるやろ、って思うようになったとです。
1人で勝ちを追い続けても、終わりがない。でも、自分は大したことない(ネガティブじゃなく、周りの凄い人を見た上での実感として)っていう自己認識と組み合わさって、「1人でやるより、みんなに広げた方が凄いことができる」という発想に転換できました。
今の経営スタイル、任せること、人を通して事業を広げていくこと。その原点は、たぶんこの空白の時期にあります。勝ちを追いかけて空回りしとった自分が、勝ちには終わりがないと気づいて、そこから「広げる」方に舵を切った。今振り返ると、そういう流れやったんかなと思います。
次は、こうやって一緒に事業を広げていきたい相手ってどんな人か、っていう話を書こうと思っとります。

いいなと思ったら応援しよう!