BAVINT -数字を追う者-第4話「444 ― 守られた福袋 ―」
午前10時15分。 日向晃(ひなた あきら)は、机の上に置いたスマートフォンの録画ボタンを押した。
「今日のテーマは、エンジェルナンバー444です」
画面に向かって穏やかなトーンを作る。 「444は、基盤の安定や、見守られているという安心のサインと言われています。不安を手放し、心が落ち着く場所を見つける。もし最近444を見るなら――自分が何を信じることで安心を得ようとしているのか、静かに確かめるきっかけにしてみてください」
録画を止め、日向は深く息を吐き出した。
安心。安定。守られているという感覚。 人は誰しも不安から逃れたい。だが、その「何かに縋りたい」という純粋な弱さこそが、最も冷酷に利用される隙間になる。昨日の黄色いキッチンカーの周りで、意味も知らず笑顔で写真を撮り合っていた人々の姿が、瞼の裏から消えない。
日向は隔離端末を開いた。 手帳に書き留めた「444」。奴らはすでに次の網を広げているはずだ。
SNSの検索窓に「444」と打ち込み、ここ数時間の投稿ログを抽出する。 すぐに、不自然な盛り上がりを見せているハッシュタグが引っかかった。
『#444生活支援福袋』
物価高や生活不安が続く中、ある特設サイトで「限定444個」としてゲリラ販売された生活応援パック。価格はわずか数百円。中身は米やレトルト食品、洗剤や日用品の詰め合わせらしい。 タイムラインには、当選したユーザーたちの写真付きの報告が次々と流れていた。
『当選した福袋届いた!お米も日用品も入ってて本当に助かる……これで今月は安心して暮らせる #444生活支援福袋』
『シングルで生活カツカツだったから涙出た。見守ってくれてる人がいるって思えた #444生活支援福袋』
『届いた段ボール見て安心したのか、久しぶりにぐっすり眠れた気がする #444生活支援福袋』
高級ブランドや転売狙いの品ではない。 そこに溢れているのは、日々の暮らしに追われ、将来への不安に怯える人々の、切実な安堵の声だった。
だが、日向の目が、投稿された写真の端で止まる。
主婦のアカウントが投稿した、リビングの床に置かれた段ボールの写真。 次に、一人暮らしの若者が投稿した同じ段ボールの写真。
一見すれば、それぞれ全く別の生活空間に見える。画角も、置かれている家具も、フィルターの色味も違う。 (……いや) 日向は二つの画像を並べ、限界まで拡大した。フローリングの木目。右下に小さくついた、わずか数ミリの三日月に似た形をした引っかき傷。別の写真を開く。高齢者を名乗るアカウント。背景の白い壁紙の隅に、まったく同じ形状の微小な染みがある。窓から差し込む光の角度、影の落ちる軌道。
一般の人間なら絶対に気づかない。だが、日向の分析官としての目が、それが同じスタジオで作られた捏造であることをはっきりと捉えていた。
なぜ、そこまでして「生活の安心」を演出するのか。 日向は隔離端末から福袋の特設サイトへ潜行し、応募フォームの裏側を覗き込んだ。 異常なほど簡単にバックエンドの入り口が見つかる。
(……セキュリティが甘いんじゃない。扉が、開け放たれている……)
誘い込まれている。そう気づいた時には遅かった。 画面の奥に表示されたのは、福袋の応募条件として提示されていた「任意アンケート」の集計データだった。
『より適切な支援をお届けするため、現在の状況をお聞かせください』 という名目の下に並ぶ、異様な質問項目。 年齢、家族構成、世帯年収、借入の有無。そして、日頃抱えている「一番の不安」の自由記述欄。
自発的な個人情報の開示。 不安に駆られ、安心に縋りたいと願う人間ほど、自分の弱みや生活実態を正直に書き込んでしまう。
日向の胃の奥が、ぎゅっと冷たく縮み上がった。
通信パケットの奥底を這い回る暗号鍵の羅列。 昨日の屋台の段ボールに印字されていたのと同じ、あの文字列の断片が、システムの奥深くで冷たく脈打っている。 B、A、V、I、N、T。
画面に並ぶ、無数のデータ。 それを見つめているうちに、日向の視界がぐにゃりと歪み始めた。
呼吸が浅くなり、指先から血の気が引いていく。 5年前の記憶が、フラッシュバックする。
――情報機関の地下分析室。 自らが構築したシステム。画面には、保護すべき協力者の行動予測データが表示されていた。
『対象の安全生存確率: 98.7%』
現場からの「様子がおかしい」という危険信号を、日向は数字を根拠に退けた。 「データ上、逸脱の確率は1.3%以下です。作戦を続行してください」
その数時間後、協力者は冷たい遺体で見つかった。 数字を過信し、画面の向こうにいる生身の人間の恐怖を見落とした。 数字は人を守らない。切り捨てるための、冷徹な言い訳にしかならない。
……あの絶望から逃げ出した俺は今、スピリチュアルという形を借りて、また数字の裏に隠れている。
キーボードを叩く日向の指が、小刻みに震えていた。 その時、画面の右上で赤いインジケーターが点灯した。
[SYSTEM ALERT: ACCESS DETECTED]
[INITIALIZING AUTO-WIPE PROTOCOL...]
罠の扉が閉ざされた。 サーバーが自己消去を開始し、画面上のデータが猛烈な勢いで上書きされていく。 日向は必死に画面をスクロールした。 消えゆく文字列の隙間。「特Aランク」とタグ付けされたリストの中に、あるアカウントの文字列が一瞬だけ網膜に焼き付いた。
『NODE_ID: REN_WOODCRAFT』
(……蓮?)
日向は息を呑んだ。 木工作家の、蓮。なぜ、彼のアカウントが。
次の瞬間、画面の全データが黒く塗り潰され、中央にシステムログのような数字だけが吐き出された。
[STATUS: PURGED]
[NEXT_SEQUENCE: 555]
日向はモニタの光が消えた暗い部屋で、荒くなった呼吸を整えようと胸元を掴んだ。画面には、青白く光を失った自分の顔だけが映っている。
日向は手帳を取り出し、「444」の横に、深くペンを走らせた。
「555」
静まり返った部屋に、ペンの走る乾いた音だけが残された。
次回予告 第5話「555 ― 変わる者、変えられる者 ―」 「今回の出店を最後に、すべてをやめます」 人気木工作家・蓮が突如として発表した引退宣言と、不自然な支援金の募集。 彼の身に何が起きているのか。111から始まったすべての点と線が、ひとつの巨大な絵図として結実しようとしていた。
【 物語を読んだあなたへ ―― 444の記録 】
もし今日、あなたが「444」という数字を目にしたとしたら。
それを安心や安定のサインだと受け取ってもいいし、見過ごしてもいい。 数字そのものが、あなたの生活を守ってくれるわけではない。
ただ、その数字を見た一瞬、あなたの胸をよぎった「安心したい」「誰かに守られたい」という思いは本物だ。
その安らぎは、本当に自分の足で立っている実感から来ているだろうか。 それとも、不安から逃れたいあまり、誰かが差し出した甘い檻に身を委ねようとしているだけだろうか。
縋ることで得られる安心は、時に自由を手放す代償になる。 数字の向こうにあるものを見極めるのは、あなた自身だ。
