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自力と思っていた人生に吹いていた他力の風
本日、私は84歳の誕生日を迎えた。
静かに目を閉じると、戦後の焼け跡から始まった人生が、一本の長い映画のようによみがえってくる。

食べるものにも事欠いた幼少期。既成の価値観に反発して飛び込んだ政治運動。未知の世界を求めて渡ったブラジル移住。

そして、記者としてテレビ、ラジオ、新聞、雑誌というあらゆるメディアの現場を駆け回った日々。さらに自ら出版社を立ち上げ、晩年には東洋運勢学という新たな学びに出会った。

振り返れば、私の人生は常に挑戦の連続だった。

若い頃の私は、自分の力で道を切り開いてきた人間だと思っていた。権威に頼らず、組織に従属せず、自ら考え、自ら決断し、自ら行動する。いわば「自力」の人生である。


実際、私の命式にもその傾向は色濃く現れている。四柱推命で見ると、私には印綬が極めて強く現れる「印綬太過」の特徴がある。印綬は学び、知識、精神性、探究心を象徴する星である。また羊刃と帝旺が三重に重なることで、並外れた生命力と闘争心、独立心を与えられている。

この組み合わせは珍しい。印綬だけが強ければ学者肌になる。羊刃だけが強ければ実践家になる。しかし両者が極端に強い場合、理論を語るだけでは終わらず、行動するだけでも終わらない。自ら信じる価値のために立ち上がり、戦い、切り開いていく人間となる。

思えば私の人生は、まさにその命式どおりだった。だが、84年を振り返った今、ひとつの事実に気づいている。私は自力だけで生きてきたのではなかった。

むしろ、人生の重要な局面では必ず誰かの助けがあった。移住先で支えてくれた人々。記者時代に機会を与えてくれた先輩や同僚。出版社設立の際に応援してくれた仲間。人生の岐路で背中を押してくれた恩人たち。

当時の私は、それを自分の努力の結果だと思っていた。しかし今になって振り返ると、それらはすべて「縁」だったのではないかと思うのである。

親鸞は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と説いた。これは単なる宗教的教義ではない。人は自分の力だけで生きていると思い込みやすいが、実は見えない大きな働きの中で生かされているという智慧でもある。

他力とは他人任せではない。自分の力の限界を知り、それでもなお働いている大きな流れに気づくことである。

老子は自然に従うことを説き、孔子は調和を重んじた。マルクス・アウレリウスは運命を愛せと言い、エピクテトスは自分にできることへ集中せよと教えた。東洋も西洋も、結局は同じ場所へ向かっているように思える。

人生は船旅に似ている。
若い頃の私は、櫓を漕ぐ力こそが人生を前へ進めると信じていた。だから全力で漕ぎ続けた。確かにその努力は必要だった。


しかし、どれほど力強く漕いでも、風がなければ遠くへは行けない。
また、風だけを待っていても船は進まない。櫓を漕ぐ自力と、風や潮流という他力。その両方があって初めて船は目的地へたどり着く。

84歳になった今、私はようやくその意味を理解し始めている。

私の命式にある印綬太過と、羊刃・帝旺は、生涯を通じて「自ら切り開く力」を与えてくれた。しかし同時に、この強い星は「自分がやった」という思い込みも生みやすい。

晩年になって学んだ最大の教訓は、自力を誇ることではなく、他力への感謝だった。人生は自分一人の作品ではない。家族、友人、恩人、時代、社会、そして見えない縁の積み重ねが、一人の人間の人生を形づくっている。

84年間の旅路の果てに私が辿り着いた結論は単純である。人は自力だけでは生きられない。しかし、自力を尽くさなければ他力にも出会えない。

だから人生とは、自力を尽くしながら他力に感謝する旅なのだ。

もし再び人生を最初から歩めるとしても、私はきっと同じように櫓を握るだろう。ただひとつ違うのは、その背後に吹いている風への感謝を忘れないことである。

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