1人じゃない。日常のつながりに支えられているけど、それは見えにくい。
小1次男が学校へ行き渋るようになり、1ヶ月以上経ちました。
朝の出社時間や昼休みの家族対応などで職場での働き方に影響が出るので、
チームのグループチャットにて報告しています。
「子どもの学校への行き渋りがあり、午前は在宅に変更させてください」
など…。
(コロナ禍でリモートワークの働き方が浸透したことに本当に助けられています。)
こちらは勤怠関連の必要な報告を行なっているにすぎないのですが、受け取るメンバーは、いろいろ思ってくれていたようです(ありがたい…)。
先日、チームメンバーのみんなで市場観察に街に出かけ、休憩していた時のこと。
在宅していた子どもからちょうど電話がかかってきて、やりとりをし電話を切った後、
「子どもが学校に行き渋っちゃっていて…」と話すと
その流れでの話題となりました。
その時、初めて知ったことには
先輩男性(大分先輩)のお子さんも、そういう時期が中高生の頃に、数年あったとのことでした。その後、克服され今では社会人になっています。
そのことを、長く共に働いてきて、初めて知ったのでした。
先輩がそのお子さんの状況と向き合っていた時期も、私は一緒に働いていたはずです。
その時のことを話してくださり、今の私の状況に共感してくださいました。
周りの自分への想いは見えにくい
たまたま、一緒にゆっくり話す時間があったことで知ったことでした。
私の勤怠連絡を読んで、朝、他のワーママメンバーとちょっと会話をして、2人で気にかけてくれてもいたようです。
何かの出来事に取り組んでいる時、
それに関与している人だけがサポートしてくれているわけではないのだと改めて気づいた出来事でした。
今回のことでいうと、担任の先生や子どもの祖父母、ママ友などは直接的に助けになるありがたい存在です。
でも私が思いもしなかったところで、自分の体験と重ね合わせて気にかけてくれている同僚がいました。
全く思いもよらないところで、誰かが自分のことを想ってくれている、
そういうことがあるのです。
見えにくい。でも、つながっている。
今回の出来事は、同僚という、自分に近い、わかりやすい存在ではありましたが、
同じようなことが日常にあるのだと思います。
それは、知り合いに限らずで。
ショッピングモールで、子どもが腹痛を訴え、小走りに一緒にトイレを探していたことがありました。その時、後ろから追いかけてきてくれて、トイレを教えてくれた通りがかりの方もいました。
場や時間が重なり、交わることで
つながりがあり、誰かの想いが生まれている。
でも、それは分かりやすく見えてはいない。
行動に見えなくても、
支え、支えられている。
(このnoteの場もそのように思います。)
自分のことで精一杯の瞬間は、1人で奮闘している気になることもあります。
でも、後々でもいい、
一側面だけを捉えるのではなく、
膨らみを持って、見えない部分のつながりや想いに目を向けられると、
自分1人じゃないことが感じられ、
感謝の気持ちになります。
人がつながっている膨らみの感覚に気づけ、
心の温もりとなるのでした。
