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私がアルパカになったきっかけ 中編 (大学2年のころ)

あのころ私は、夕方4時から深夜まで、駅前のコンビニでバイトをしていた。実家近くの、オレンジと緑の看板のあの店。

ある晩、静かに入店したスーツ姿の女性が、レジを通らず、まっすぐトイレに向かった。
1時間たっても出てこなくて、不安になってドアをノックしたら、
「……あ、すみません」って、かすかに声が返ってきた。
顔は真っ青だったのに、笑おうとしてた。
私は思わず、バックヤードのイスに彼女を座らせた。
次の日、彼女はチョコ菓子を手に「昨日はホントすみませんでした」と笑った。
「このコンビニ、出禁になったら困るんです」って。

その日から、レジ越しの会話が少しだけ増えた。
「サオリさん、おつかれさまです」
「もじゃくんも、がんばってね!」
私のくるくるの天然パーマを見て、彼女が勝手につけたあだ名は「もじゃくん」。

ヒールでカツカツ歩く、いかにも仕事ができるキャリアウーマンな姿。
「このコンビニに来ると元気が出るんです」と言ってくれたとき、
理由が、缶チューハイでもおにぎりでもなくて、
——私だったらいいな、と思った。

前編はこちらから ↓


アルパカと白いタオルと、ちょっとだけクリスマス

サオリさんは、いかにも「バリキャリ」って言葉が似合う人だった。
ハイヒールでカツカツ歩いて、スーツを着こなして、いつも背筋がまっすぐ。

「残業だるいー」と苦笑いしながらも、きっと誰よりも仕事ができるタイプなんだろうなって思ってた。

……なのに、たまに、ふっと抜けたところを見せてくる。

ある日、レジに並んだサオリさんの買い物かごを見て、
「……あれ?」ってなった。
お弁当、缶チューハイ、そして、男性用のブリーフ。
レジ袋に詰めながら、「あ、彼氏と住んでるのかな」と思った。
ちょっとだけ、胸がチクッとした。

ところが次の日、
「申し訳ないんだけど返品、できるかな……?」とサオリさんがやってきて、手には昨日のブリーフとレシート。

「女性用のと間違えたみたい」
ぽつんとそう言って、ちょっとだけ肩を落とした。

(……いや、どうやったら間違えるの!?)と思いながらも、
その天然っぷりに、つい笑ってしまった。

別の日には、開封済みの犬用ジャーキーを持ってやってきた。

「ねえ、もじゃくんって犬飼ってたっけ?」
「いや、僕は飼ってないけど、他のバイトの子が飼ってますよ」

「よかった?!これ、あげて」
「……これ、うちの商品じゃないですか?」

「そうそう。おつまみだと思って買って食べたら、なんか臭くて。よく見たら“犬用”って書いてあったの」
と、真顔で言ってきた。

(ちょっと紛らわしいパッケージだけど、ペット用品コーナーにあったよね)と思ったけど、
たぶん彼女、ほんとに本気で間違えてるんだなと思って、なんか愛おしくなった。


クリスマスイブも、私はバイトだった。
レジでは「チキンもご一緒にいかがですか?」って言うように、店長から指示が出ていた。

いつものようにサオリさんがスーツ姿でやってきて、レジに並んだ。
言われた通り、「チキンもご一緒にいかがですか?」と聞いてみた。

「そんなもの買って帰ったら、よけい寂しさが増すだけじゃない」
と言われて、彼氏とクリスマスを過ごすんじゃないんだと思って少しうれしかった。

そんなことを思っていたら、レジを終えたあと、サオリさんが紙袋を差し出してきた。

「もじゃくん、メリークリスマス」

中には、白いタオルが1枚。
アルパカの刺繍入り。
ちょっと首をかしげる私に、サオリさんがにやっと笑って言った。

「ねえねえ、これ……もじゃくんに似てない?」

たしかに。モジャモジャ具合は、わりと似ていた。
それまであまり意識していなかったのに、
その日から私は、なぜかアルパカを意識するようになった。

クリスマスプレゼントなんてもらうなんて、もしかして……
勝手に一人で浮足立っていた。
浮足立ったまま、レジに戻った。


アルパカの手と、制服の下のTシャツ

年末年始、私もサオリさんも、ふつうに働いていた。

「正月なんて、どうせやることないし」
と私はレジに立ち続けて、
「大晦日も元旦も出勤よ。地獄」
とサオリさんは、缶チューハイとおつまみをレジに持ってきた。

聞けば、営業の仕事で、三年がかりの案件がついにゴール目前らしい。
資料づくりも根回しも、やることが山のようにあって、
「猫の手も借りたい」
と言っていた。

「アルパカの手じゃダメですかね?」
と言ったら、

「アルパカの手もいいわ!」
と笑ってくれたけど、そのあとに、

「でもこのお店から、もじゃくんがいなくなったら、帰りの楽しみがなくなるからイヤだな」

……そんなことを言ってくれた。

最初は、ただの冗談交じりのやりとりだったのに、
そのうち、なんとなく私は、レジに立ちながらサオリさんの様子ばかり気にしていた。

年が明けたぐらいから顔色が、少しずつ悪くなっていった。
お弁当を買っていたはずが、いつのまにか、菓子パンとか、スナック菓子だけになっていた。仕事が大変なんだろう。

2月のある日、「もじゃくんって彼女いるの?」と聞かれた。

「いないですよ。彼女になってくれるんですか?」
なんて、ちょっとだけ本気で言ってみた。

でも、返ってきたのは軽く流すような笑い声。
「バカね。私みたいなおばさんと付き合って、どうするのよ」

(なんでそんなこと聞いたんだろう)

気になったけど、それ以上は聞けなかった。


バレンタインデーの日、
「甘いもの好き?」と聞かれて「好きですよ」と答えたら、
帰り際に、チョコレートをくれた。
それと、アルパカのTシャツ。

「ねえねえ、これもじゃくんに似てると思わない?」
と、いつもの笑顔で。

次の日、私はそのTシャツを制服の下に着て出勤した。
サオリさんがレジに来たタイミングで、制服のジッパーをすっと下ろして見せる。

「似合ってますか?」

私のモジャモジャの頭と、Tシャツのアルパカを見比べて、
「ほんと、よく似てるわねー」
ってお腹を抱えて笑ってくれた。


それからしばらく、私はホワイトデーに何を返そうか、そればかり考えていた。
何にしよう。どんなお返しがいい?
……って、考えてる自分がちょっと浮かれてるのも、気づいてた。

でもそのころから、サオリさんの声が、少しずつ小さくなっていった。

前は、レジでお客さんが来るまでの時間を、他愛ない話で埋めていたのに、
気づけば、お客さんが来なくても、会話はすぐに終わるようになっていた。

「なんか、嫌われた……?」
いや、でも、特別なことはしていない。
思い当たることも、ない。

だからこそ、
少しずつ、少しずつ、静かに遠ざかっていく気配がこわかった。


デニーズの前で、言葉が涙を追い越した夜

その日、レジの前にいたのは、
ただただ、沈黙をまとったサオリさんだった。
1ミリも口を開く気力もありません…という顔だった。

まわりに他のお客様がいなかったのをいいことに、
私はこらえきれずに聞いてしまった。

「サオリさん、何かありましたか? 最近元気ないし、顔色も悪いですし」

その瞬間だった。
彼女はふいに顔を伏せて、黙り込んだ。

しまった。言うんじゃなかった。
また何か、余計なことを――

そう思った次の瞬間、
ポタ、ポタ、とカウンターに落ちる涙。

顔をくしゃくしゃにして、サオリさんは泣き始めた。

三年かけてがんばってきた案件が、もう少しで成約……というその時に、
突然、担当を別の男性社員に交代させられたらしい。

「なんで今なんですか!」と上司に抗議したら、
返ってきたのは、薄ら笑いとこんな言葉だったとのこと。

「女は使えないよ。どうせ色気しかないんだろ?
あ、でもおまえは色気もないか」

……そんなの、ない。
ないにもほどがある。ひどすぎる。

女を売って仕事をとってきたわけでもない。
ずっと真っ当に、正面から、力でやってきた。

「女だから舐められないように」って、
ずっと、ずっと、踏ん張ってきた。

それを踏みにじるような言葉だった。

「ねえ、もじゃくん。女らしさって何? 男らしさって何? 色気ってなによ」
レジでそんなふうに詰められて、
私は、何も言えなかった。

でも――なぜか、
口からこぼれたのは、こんな言葉だった。

「俺、バイセクシャルなんですよ」

サオリさんが顔を上げた。
え?って顔で、私を見ていた。
ポカンとしていたかもしれない。

「……俺、あと30分でバイト上がるので、
もしよければ、そこのデニーズで待っててくれませんか?」

少し間があって、
彼女は、こくん、と小さくうなずいて、店を出ていった。


シフトを終えて、デニーズに向かうと、真っ暗だった。
あれ、ここのデニーズって24時間営業だったはずでは、

看板には「改装中」の文字。
あーーやっちゃった……と思ったその時、
その看板の横で、ひとり、待っている影が見えた。

サオリさんだった。

花壇のへりに座っていて、私はその隣に腰を下ろした。
夜の風が、まだ少し冷たかった。

開口一番、彼女は聞いてきた。

「さっきの、バイセクシャルって、何?」

私は、話した。
小学生の頃にオカマと呼ばれていじめられたこと。
初めての彼氏ができた時のこと
女の子と付き合ったこともあること。
男とか女とかだけじゃ割り切れない気持ちが、自分の中にずっとあること。

「女らしさとか、男らしさとかって、正直よくわからないんです」
「でも、たぶん……その“どっちか”で決めつけること自体に、無理がある気がしてて」

「だって、俺みたいなのもいるわけだし」

しばらく黙って聞いていたサオリさんに、私は続けた。

「色気って、よくわかんないですけど――
でも、サオリさんは魅力的です。
チャーミングだし、優しいし、
笑ってくれると、こっちも笑っちゃうし」

「女だから、じゃなくて、
サオリさんだから、好きなとこがたくさんあるんです」

彼女は何も言わなかった。
ただ、また顔を下に向けた。

私は、そっと腕を伸ばして、サオリさんを抱きしめた。
声も出さず、彼女は私の胸の中で、ぐずぐずと泣いていた。


それから一週間後の夜。
レジに立っていたら、いつもの酎ハイやビールじゃなく、サオリさんが赤いボトルワインを手に持ってやってきた。

「会社に辞表、出してきたわよ!」

そう言って笑ったサオリさんの顔が、あまりにも晴れやかで、
あの冬のどんよりした空を、いっきに春に変えてしまうようだった。

「もじゃくんの話を聞いて……あ、いろんな生き方があっていいんだなって思ったの。
私、ずっと会社がすべてだと思ってたけど、そうじゃなくてもいいんだよね」

そう言いながら、ボトルワインの首根っこのところを持って振り回す真似をした。

それから2ヶ月後。
サオリさんは退職と同時に、実家に引っ越すことになった。

最後の出勤日の夜。
いつものレジで「これ、もじゃくんに」と紙袋を差し出してきた。

(後編につづきます ↓ )


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