いやらしい、の先にあったもの
ちょっと恥ずかしい話なんですけど……
「性」って、ずっとこわいものだと思っていました。
小学生の頃、保健の授業で赤面してうつむいた自分。
中学生になって、男子たちの下品な会話に笑えなかった自分。
高校に入っても、「彼氏いるの?」って聞かれるのがどこか苦手で、
そういう話になるたび、空気の隙間に逃げ込んでいました。
心のどこかでずっと、「性=いやらしいこと」だと思っていたのかもしれません。
そして同時に、自分が“そういうこと”を考える存在であること自体が、なぜか悪いことのように思えていたんです。
高校3年の冬、推薦で大学が決まって少し気が抜けた時期に、
ふと手に取った一冊の小説がありました。
そこには、
性が“汚いもの”としてではなく、
“生きていること”の一部として静かに描かれていて。
登場人物たちは、身体を通して自分と向き合い、
触れることを通して、誰かを理解しようとしていました。
その本を読み終えたあと、
なぜか涙が出てきました。
物語に感動したというよりは、
「こんなふうに性を描いていいんだ」と、
何かを許されたような気持ちになったからです。
わたしは今でも、性について多くを語れるわけじゃありません。
経験もないし、知識だって偏っていると思う。
でも、少しずつ思い始めているのは──
「自分を大切にする時間」って、性とつながっているんじゃないか、ということ。
眠る前にお風呂で身体に触れること、
お気に入りの下着を選ぶこと、
誰にも見られない時間に、自分の心と向き合ってみること。
それは「いやらしいこと」なんかじゃなくて、
「わたし、ちゃんとここにいるよ」と
そっと確かめるような行為なのかもしれません。
シェアハウスで暮らすようになって、
毎日が少しずつ変わってきました。
大人の女性たちの距離感、
同性同士のなにげない言葉の交わし方、
そして、自分自身をちゃんと大切にしている人たちの姿。
わたしも、少しずつ自分のペースで歩いていきたい。
焦らなくていい。
でも、自分の内側に起きていることから、目をそらさないようにしたい。
たぶん、これって変じゃないですよね……?
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