ドニチカ切符の旅「有島武郎旧邸宅跡」
ドニチカ切符の旅は札幌の地下鉄で土日祝日のみ販売される一日乗車券である。
この日は祝日、東西線から大通駅で乗り換えて南北線で北12条駅で降りる。
この駅は北大のある駅である。
近くを歩くと石碑を発見した。
なんの石碑だろう・・・。
有島武郎旧邸宅跡とある。
有島武郎とは、1878年3月4日 - 1923年6月9日)は、日本の小説家。
学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。
1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。
1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。
代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』がある。

石碑はコンクリート製の台座の上に自然石が置かれており、碑面に北海道を代表する作家の一人である「有島武郎」の肖像のレリーフがはめ込まれていた。
台座の正面には、「「細君は中々いゝものさ。君も早く結婚し給へ」 と仰有るやうに 私はなりたい。 有島安子遺稿集『松むし』より」と記された石板がはめ込まれている
石碑の左側面には、
「文豪・有島武郎は、大正二年(一九一三年)八月から、安子夫人の療養のために東京に移転する大正三年(一九一四年)十一月までの間、この家に住んだ。この間に三男・行三が生まれ、有島にとっては家庭的に幸福な時期であった。
有島没後七十年に当たる本年、自ら設計したといわれる有島の家がこの地にあったことを永く伝えるために、北酒販(株)のご厚志により場所の提供を受けて、有島邸跡を伝える碑を建立するものである。
建立 平成五年十月 北区歴史と文化の八十八選保存会 星座の会 北海道酒類販売株式会社 札幌市 制作 彫刻家 坂 担道 碑文・題字の揮毫 北海道大学総長 廣重 力」
と記されたブロンズ板がはめ込まれている。

「有島武郎邸跡」
「カインの末裔」、「生まれ出ずる悩み」などの作品で知られる文豪・有島武郎(1978-1923年)は、札幌農学校を卒業後、外国留学を終えて明治41年(1908年)、再び札幌の地を踏み、母校である北大で英語を教えるかたわら本格的な文筆活動を開始した。
この家は、大正2年(1913年)8月、札幌永住を決意して新築したもので、大正3年(1914年)11月に妻・安子の病気療養のためこの地を去るまで過ごした。
マンサード屋根を持った洋風の家は有島自身の設計といわれ、ここはその家があった場所である。
後年、この家は、森雅之(有島の長男行光)主演の映画「白痴」(監督黒澤明、昭和26年)のロケにも使用され、現在は、札幌芸術の森に移築・保存されている。
碑文は、安子夫人の死後、有島がまとめた有島安子遺稿集「松むし」から取った日記の一節である。
有島は、あるとき、「細君というものはこんなにいいものならなぜもっと早く貰わなかったと君は思ったかい。」と友人に尋ねられ、「そりゃいい事もあり悪い事もありさ」と答えて笑った。これを聞いていた安子夫人は恥ずかしさと悲しさで泣きたくなり、「細君はなかなかいいものさ。早く結婚したまえ」と夫に言われるような妻になろうと思ったという。」

有島武郎ついてはあまり知らない。
芸術の森へ行くと有島武郎邸へは何度か行ったくらいだ。
今年YouTubeで映画「華の乱」を偶然観た。
吉永小百合が与謝野晶子役で、有島武郎を松田優作が演じていた。
それで少し関心を持って調べた。
有島武郎の最後は心中だった、大杉栄とも交流があったようで・・・。
奥さんは陸軍大将神尾光臣の次女だった。
俳優の森雅之は長男で・・・・。
なんか凄い一族だった・・・。
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