【小説】赤を見る男 ―― 人造の太陽を長く見つめすぎた男の物語
第一章:闇よ、我が旧き友よ1968年、雨の降る長崎。港に近い薄暗いジャズ喫茶の片隅に、ケンジは座っていた。スピーカーからは、サイモン&ガーファンクルの新しいレコードが物憂げなメロディを紡ぎ出している。Hello darkness, my old friend...(ハロー、闇よ、我が旧き友よ……)I've come to talk with you again...(また君と話しにやってきたんだ……)隣の席の学生が、
連れの女性にその歌詞を小さな声で翻訳 して聞かせていた。それを耳にした瞬間、ケンジの背中に冷たい衝撃が走った。色付き眼鏡の奥で、彼の呼吸がわずかに止まる。「闇よ、我が旧き友よ」世界の人々は闇を恐れ、光を求める。しかし、ケンジにとって闇は恐怖ではなかった。それどころか、自分を救ってくれる唯一の避難所であり、最も親しい「友」そのものだった。なぜなら、彼が目を閉じたときに広がるのは、安らかな黒ではない。地獄のような、沸き立つ「赤」だったからだ。1945年8月9日、午前11時02分。浦上天主堂の向こう側で爆発した『ファットマン』の強烈な熱線は、ケンジの視界を永遠に変え果ててしまった。あの凄まじい閃光は、
彼の眼球の内部にある微細な毛細血管を、一瞬にして文字通り「焼き尽くした」のだ。その日、彼の血は体外に流れ出す暇さえなく、眼窩の中で沸騰した。そして組織が瘢痕化(はんこんか)したとき、その泡立つ放射能の赤は、彼の視界の裏側に永遠に閉じ込められた。ケンジが目を閉じると内部の血の海が拍動し、目を開ければ昼の街は反転した緑の地獄と化していた。彼は若き日、溶接ゴーグルや毎夜のキャンバス布による包帯の儀式で光を遮断し、視界の赤を鎮めようとした。時代が変わり50代になった彼は、漆黒の強膜コンタクトレンズ(黒い盾)を手に入れ、昼間に快適な人工の夜を得る。しかし夜にはレンズを外さねばならず、外した瞬間にネオンの残光がまぶたを刺し、
再び赤が発火する恐怖と格闘した。1980年代の長崎。突風で右目の黒いレンズが外れ、ネオンの光が直撃したケンジはパニックに陥り、古い木造家屋の路地裏へと這い込んだ。そこで残りのレンズも外した彼を待っていたのは、包帯なしでも目を優しく包み込む古い日本家屋の完璧な陰翳(いんえい)だった。光と闇が調和する中で、35年間沸騰し続けた赤は静かに凪いでいった。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に見出したように、ケンジは光を完全に拒絶するのではなく、明暗のあやの中に真の救済を見出す。「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」ケンジは初めて包帯のない夜を迎え、静寂な影の国に迎え入れられた。(了)
エピローグ:タイトルについての注釈 誰かが「激怒する」と言うと、世間はすぐにそれを盲目的で激しい怒りの比喩として理解する。人の「血が沸騰している」と言うのは、皮膚を突き破りそうなほど激しい怒りを表現することだ。しかし、ケンジには怒りは残っていない。「赤を見る男」というタイトルは、彼の気質を表すものではなく、彼の存在そのものを表す言葉なのだ。彼の血は、あの8月の朝に起こったことへの恨みや憎しみで沸騰したのではなく、流れ星の熱によって、文字通り、自分の目の中で沸騰したのだ。彼が抱えていた赤は、復讐の炎ではなく、網膜に焼き付いた悲劇の凍りついた残響だった。彼は光に怒り狂ったのではなく、影と和解したのだ。そして、闇の深く普遍的な静寂の中で、沸騰は止んだ。
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