【再発防止の罠?】人は増えない。チェックリストが増えていく。
【語り部の部屋】
ようこそ……。
今夜も、よくいらっしゃいました。
今夜は、少し身近な話をいたしましょう。
宇宙の果てでも、確率の話でもありません。
あなたの日常に、非常に近い場所の話です。

ある職場で、事故が起きたとします。
大きな怪我ではなかったかもしれません。
けれど、一歩間違えればそうなったかもしれない。そういう出来事です。
現場の人たちは、こう言いました。
「人手が足りません」
「今の作業量では、無理があります」
……ごく、まっとうな訴えですね。
さて。
その後、会社側の対策として現場に降りてきたものをご紹介しましょう。
ヒヤリハットの記入。
QC活動の徹底。
二人以上によるダブルチェックの義務化。
チェックリストの作成義務化。
動画視聴による、事故防止教育の実施。
人は、増えませんでした
仕事も、減りませんでした。
増えたのは。
「事故対策をする」
という、新しい仕事だけでした。
……どうして、こうなったのでしょうか。
今夜は、その理由を辿ってみましょう。
さあ、ページを捲りましょう。
「対策した」という対応の向こう側へ。

【第一章:事故が起きて、仕事が増えた】
もう一度、整理してみましょう。
現場が望んだものは、二つでした。
人数を増やしてほしい。
作業量を減らしてほしい。
少なくとも、本来検討すべきだったものも、それに近いものでした。
人員を効率よく適材適所に配置し直すこと。
人数と業務量のバランスを見直すこと。
そして、偏りのない、無理のない休暇の与え方を、整えること。
……けれど。
実際に対応として指示されたのは、先ほどお伝えした、あの五つでした。
……お気づきでしょうか。
現場が訴えた問題と、
検討すべきだったことと、
実際に行われた対策が見事にずれています。
……誰か一人が、意地悪をしたわけではありません。むしろ、それぞれの持ち場が、それぞれに真面目な判断をした結果です。
この、ズレの正体を。
今夜は解いていきましょう。

【第二章:対策したと、証明できますか】
少し、意地悪な問いを立てましょう。
組織にとって。
「人員配置を、全面的に見直します」
……これは、とても、大変なことです。
予算が必要です。
部署間の調整が必要です。
新規採用や、配置転換も必要です。
作業量そのものを減らすなら、売上や納期にまで、手を入れなければなりません。
……では、こちらは、どうでしょう。
「全従業員に、安全教育を実施しました」
こちらは、とても、扱いやすいのです。
実施日が、記録に残ります。
受講率が、数字で出ます。
監査のときに、そのまま見せられます。
報告書には、こう書けます。
「再発防止策を、講じました」
……ただし。
ここで、上にいる者を安易に悪者にするのも、また違います。
その人にも、その人の上司がいます。
そのさらに上には、経営を預かる者がいる。
会社によっては、親会社があり、取引先があり、監督する機関があり。
ときには、株主に説明しなければならない者もいるでしょう。
「事故が起きました」
そう報告すれば、当然、次に問われます。
「それで、何か対策はしたのですか」
……すると。
「現場をよく観察しながら、半年かけて、人員配置と業務量を見直します」
という答えよりも。
「明日から、ダブルチェックを義務化します」
「全員に、再教育を実施します」
「新しいチェックシートを、導入します」
という答えのほうが。
早く。
分かりやすく。
報告しやすい。
……そういう事情も、あるのでしょう。
誰かが、無責任だから起きるとは限りません。
それぞれが、自分のいる場所では合理的な判断をした結果、組織全体としては不合理なものが、出来上がることがあります。
……ここに、今夜のいちばん大切な区別があります。
事故を、本当に減らす対策。
そして。
事故対策をした、と説明しやすい対策。
……この二つは、同じではありません。
……そして、もう一つ。
本来、対策というものは、事故を防ぐための手段であったはずです。
けれど、いつの間にか。
チェックリストを埋めること。
研修を受けること。
ダブルチェックをし、サインすること。
……それ自体が、目的になってしまうことがあります。
「なぜ、これをするのか」ではなく。
「そう決められているから、する」
……手段が、目的に、入れ替わるのです。
「事故を防ぐ」が、目的だったはずなのに。
いつしか、「対策を実施する」ということそのものが、目的になってしまうのです。

【第三章:紙の上の仕事と、実際の仕事】
もう一つ、大切な視点があります。
例えば手順書の上では、こう書かれています。
「この作業には、三分かかります」
……けれど、現場では。
電話が鳴ります。
誰かが、急に休みます。
締め切りが、迫ってきます。
……三分のはずの作業は、現実の中ではそう単純には進みません。
これが、想定された仕事と実際に行われている仕事の、ズレなのです。
想定されたのは、静かな部屋で、一つの作業に集中できる状況でした。
実際にあったのは。
電話を取りながら、隣の作業も頼まれ、締め切りに追われながら、チェック欄も埋めていかなければいけない状況でした。
ルールだけを増やしても、この、現場の条件そのものが変わらなければ。
……どこかで必ず、帳尻合わせが始まります。
チェックリストは、
真面目に読まれなくなります。
動画は、
早送りで再生されます。
ヒヤリハットの用紙には。
当たり障りのない、同じような言葉が、毎回並ぶようになります。
……ルールを守っている、という記録だけが、静かに積み上がっていきます。

【第四章:安全のための仕組みが、安全を食らう】
ここで、少し不気味な話をいたしましょう。
チェック項目が、
積み重なって五十個以上になったとします。
……そうなると。
「チェックすること」そのものがもはや独立した新しい仕事になります。
二人で確認する、というルールも。
お互い「相手が、ちゃんと見ているだろう」と思ってしまえば……
確認は、ただの儀式に変わります。
誰も見ていない、ただの通過儀礼に。
サインをする欄が、二つ並んでいます。
一人目は、こう考えます。
(どうせ、二人目がもう一度見るのだから)
……ろくに目を通さないまま、いつも通りに名前だけを書きます。
二人目は、こう考えます。
(一人目が見て、何もなかったのだから)
……こちらも、ほとんど見ないまま、隣にサインを重ねます。
……結果。
誰も。
何も。
確認していません。
二人になったはずなのに……。
確認をした人の数は、ゼロのままなのです。
似たような話は、他の場所にもあります。
……あるところでは、情報漏洩を防ぐために、こう定められました。
PCのパスワードは長くすること。
複雑にすること。
頻繁に、変更すること。
……結果、何が起きたか。
モニターの縁に。
小さな付箋を貼る人が現れました。
パスワードそのものが、書かれた付箋を。
……安全のために積み上げたはずの規則が、かえっていちばん見られてはいけない場所に答えを晒してしまう。
これは、単に人が怠けてルールを破るから、というだけの話ではありません。
守りきれないほど重いルールは人に、そのルールを回避するやり方を探させることが往々にしてあります。
……人には、注意できる量にも限りがあります。
重要な警告が、十個だけあるのと。
重要なものも、些細なものも含めて百個あるのとでは。
後者のほうが、安全とは限らないのです。

【第五章:本当に変えるべきだったもの】
ここで、一つ有名な小話をご紹介しましょう。
「アメリカの宇宙開発機関は、莫大な費用をかけて無重力でも書けるペンを開発した。一方、当時のソ連は、鉛筆を使った」
……よく出来た話です。
ただし、これは史実ではありません。
実際には、無重力でも書けるペンは民間の会社が独自に開発したもので、宇宙開発機関はそれを試験し、あとから購入しただけでした。
そして、米ソどちらも、最初は鉛筆を使っていた時期がありましたし、ソ連側も、のちにはそのペンを使うようになっています。
鉛筆には、芯の粉が舞ったり、折れた芯が機内を漂ったりする危険もあったからです。
……では、なぜ、こんな話がこれほどまでに残ったのでしょう。
……人は。
複雑な問題に、複雑な対策を重ねた結果、単純な目的の方を忘れてしまう話が、
……どうやら、大好きなようです。
おそらく、思い当たる節があるからでしょう。
……では本当は、何を優先すべきだったのでしょうか。
人数です。
配置です。
休暇の取り方です。
作業量そのものと、優先順位です。
設備であり、工程そのものです。
人に、もっと注意させることや、チェックリストを増やすことだけではありません。
……人が、一瞬間違えたとしても、本当に事故にまで届きにくい仕組みを作ること、です。
チェックリストに効果がないとは言いません。
ただ、事故を生んだ条件そのものが変わらなければ、本質は何も変わらないのです……。

【語り部の部屋:最後に】
さあ……。
今夜の話は、ここまでにいたしましょう。
事故のあとに、本当に確認すべきなのは。
対策をいくつ増やしたか、という事ではないのでしょうね。
その対策によって、
事故が起きたときと比べて現場の一日は、何が変わったのか。
もし、変わったものが。
チェック欄の数だけでしたら……。
……少し、考え直したほうがよいのかもしれませんね。
……ああ、そうそう。
帰り際に、こちらの確認チェックリストへの、ご記入もお忘れなく。

どうぞ、お気をつけてお帰りください。
それでは、良い、夢を……。
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