最も内向的なヒロイン
背中で泣いているドラゴン・タトゥー
スティーグ・ラーソン原作のベストセラー小説『ドラゴン・タトゥーの女』は、『ミレニアム三部作』の第一作目にあたる。この作品は、二度映画化されている。最初の映画化はスウェーデンの監督ニールス・アルデン・オプレヴによるもので、二度目はハリウッドで作られた。監督は、『ファイト・クラブ』や『セブン』といった問題作を世に送り出したデヴィッド・フィンチャーで、007シリーズでジェームス・ボンド役だったダニエル・クレイグが出版社記者ミカエル役を、ドラゴン・タトゥーの女(リスベット)をルーニー・マーラが演じている。彼女は、『ソーシャル・ネットワーク』で主人公の恋人役をやったかわいい女優であるが、本作では印象が一変して、超内向的な謎のハッカーを演じている。
私はハリウッド版を最初に見て、その着想の面白さに嵌まり込んでしまい、その勢いで、スウェーデン版の三部作も一気に観てしまった。
どちらも大変によくできた面白い映画に仕上がっている。脚本がいいということもあるが、最大の魅力はやはり、ヒロイン、リスベットの異形の登場である。鼻と、唇にピアス、髪の毛は逆立てて、背中いっぱいにドラゴンの入れ墨。目は隈取り。こんな主人公は前代未聞である。当初は異形の女だったリスベットが、映画が進むうちに、なんともピュアで、健気で、可愛い女に見えてきてしまうところが、この映画の最大の魅力であり、演出のみそだろう。
リスベットが何故、これほど異様な風体をしているのか。彼女は、実父から虐待され、後見人からも凌辱され続けた過去を持つ。異形の髪型も、刺青も、彼らから身を隠す抹消記号であり、自己を守るための鎧なのである。リスベットは、映画史上最も内向的かつ繊細なヒロインだろう。
ハリウッド版と、スウェーデン版のどちらがいいのかは、好みが分かれるところだろうが、わたしはスウェーデン版を推す。原作も舞台もスウェーデンということで、この陰鬱な物語と、スウェーデンの寒々しさと、曇天の空が実によく溶け合っているのである。
そして、スウェーデン版のリスベット役のノオミ・ラパスという女優が、不幸な過去によって、極度の人間不信に陥った女性が、雑誌編集者による事件調査に協力しているうちに、男に特別な感情を抱いていくようになるまでのひりひりするような心情の変化を、
味わい深く演じている。
スウェーデンへの親和性
『ドラゴン・タトゥーの女』は、ストーリーも、役者も秀逸な作品だが、私がこれほど惹きつけられた理由は、陰鬱といってもよいような背景の景色や、人々の醸し出す空気、息遣いといったものによる。こういう、雰囲気の映画、最近はほとんど観ていなかった。
わたしのオールタイムベストは、ラッセ・ハルストレムの『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』という映画である。ライカ犬、思春期の戯れ、50年代の空気、イングマルという名前など、さまざまなイコンが散りばめられた傑作である。特に、「(人工衛星で打ち上げられた)あのライカ犬よりは、ぼくは幸せだ」と自分を慰める少年のセリフは、いつまでも心に残る。
映画の主人公の名前は、イングマル。この時代のスウェーデンで、イングマルと言えば、誰もが北欧初めての世界ヘビー級チャンピオンになったイングマル・ヨハンセンを思い浮かべるはずである。彼は、ちょうど、日本の戦後復興のひとつのイコンになった世界チャンピオン白井義男のような存在だった。
映画のラストでは、雪深いスウェーデンの田舎町の家々で、ラジオに聴き耳を立てる人々の姿があった。ラジオからは、フロイド・パターソンとイングマル・ヨハンセンの世界タイトルマッチの実況が流れている。ヨハンセンの勝利が決まったとき、人々は家々を飛び出して歓声を上げる。
この映画が、わたしの心に強く残った理由は、自分たちをボクシングに重ね合わせるような喜怒哀楽の世界を、わたしもまた経験していたからであり、このときの少年イングマルが、ちょうどわたしと同い年であったことによるのかもしれない。わたしもまた、ソ連が打ち上げたスプートニクが天空を横切るのを、空想の中で見上げていたのである。
以来、わたしはハルストレム作品を見続けてきた。スウェーデンと密接な関係にあるフィンランドには、わたしの最も好きな監督である名作『浮き雲』の監督であるアキ・カウリスマキがいる。そして、このたび、まったくジャンルのことなる映画である『ドラゴン・タトゥーの女』に出会って、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』や『浮き雲』と同じ匂いを嗅いだのである。
いや、こういったサスペンスものにこそ、スウェーデンの空気は似つかわしい。このスウェーデンの空気への親和性は、どこからくるんだろうと考えてみた。よくわからないのだが、主人公が皆、内向的であることは、その大きな要素のひとつかもしれないと思う。
