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僕は、病院で働いていることになっていた

ひきこもっていた頃、僕の生活は不規則だった。

寝る時間も起きる時間もバラバラ。

朝はなかなか起きられなかった。

でも、朝も昼も夜も分からなくなっていたわけではない。

昼になればテレビをつけて、ワイドショーを見る。

当時の僕は、なぜか政治にずいぶん関心を持つようになっていた。

昼の番組で政治の話題を仕入れて、夜ご飯のときに家族へ披露する。

外にはほとんど出ないくせに、

「今の政治はさあ」

なんて、家の中ではやたら世間を語っていた。

今振り返ると、なかなか不思議なひきこもりだったと思う。

一人でいるのが怖かった

食事は、母と妹と一緒に食べていた。

僕は一人でいるのが怖かった。

一人になると、専門学校のことを思い出した。

先生への怒り。

学校そのものへの憎しみ。

そして、

「これから自分はどうなるんだろう」

という将来への不安。

それらが一気に押し寄せてきた。

でも誰かが目の前にいれば、その人の話に集中できた。

その時間だけは、学校のことも、自分の将来のことも忘れることができた。

だから僕は、ひきこもっていたけれど、人から離れたかったわけではなかった。

むしろ、

誰かのそばにいたかった。

家族との食卓

食卓では、特別な話をしていたわけではない。

テレビの話をした。

くだらない冗談も言った。

夕方の情報番組で紹介された地元の店を見て、

「ここのご飯、美味しそうだね」

なんて話もした。

自分ではほとんど外に出ないのに、テレビで紹介された地元の店には妙に詳しかった。

政治の話をしたり、食べ物の話をしたり、家族と笑ったりする。

そういう時間は、普通だった。

少なくとも僕にとっては、家の中まで真っ暗だったわけではなかった。

「働きなさい」と言われたことは、一度もなかった

ひきこもっていた間、家族から

「働きなさい」

「いつまで家にいるの」

と言われたことは、一度もなかった。

当時の僕は、その理由を知らなかった。

あとになってから、いろいろなことを聞いた。

父は、僕が本当は心理学を学びたかったのに、自分の希望する進路へ進ませたことを後悔していたらしい。

母には、

「もう、立ち直るまで待つ」

と話していたという。

母は母で、一度は自分の勤めていた病院を辞めて、僕の復帰を支えようと考えていた。

そのことを勤務先の院長先生に相談した。

すると先生は、

「仕事は辞めない方がいい」

と母に言ったそうだ。

自分自身を守れる場所を残しておかなければいけない。

あなたの息子さんなら大丈夫だ。

ここまで一生懸命育てて、精一杯愛情を注いできたのだから、きっと立ち直れる。

自分は何も心配していない。

そんなことを言ってくれたらしい。

母は、その言葉を信じた。

仕事を続けながら、僕には何も言わずにそばにいてくれた。

二世帯住宅に住んでいた祖母も、母を責めることはなかった。

祖母は、

「あの子は大丈夫」

と言っていたらしい。

二本の手と足がある。

掃除の仕事でもいい。

家で内職をしてもいい。

仕事なんて何だっていい。

今は、あの子が自分でやりたいことを見つけるまで待てばいい。

そう母に話していたという。

僕がそれを知ったのは、ずっと後になってからだった。

当時の僕は、そんな話が家族の中で交わされていることなんて知らなかった。

ただ、誰からも急かされなかった。

僕はその家の中で、ただ毎日を過ごしていた。

一人だけ、友達が残っていた

外の世界には、中学時代から付き合いのある友達が一人だけ残っていた。

モンハンをしたり、カラオケに行ったりした。

その友達といる時間は楽しかった。

学校のことも、将来のことも、その瞬間だけは少し遠くなった。

ただ、その友達にも、本当のことは話していなかった。

僕は専門学校を卒業して、

浜松の病院で働いていることになっていた。

友達も、それを信じていた。

勤務先は浜松。

そこまでは決めていた。

でも仕事の話は、なるべくしないようにした。

どこの病院なのか。

どんな仕事をしているのか。

詳しく聞かれれば、嘘をまた一つ重ねなければならない。

だから、できるだけ昔と同じ話だけをした。

ゲームをする。

カラオケに行く。

それだけでよかった。

外に出るのが怖かった理由

その友達と一緒なら、外に出られた。

でも、怖さが完全になくなっていたわけではない。

誰か知っている人に会ったらどうしよう。

「今、何してるの?」

そう聞かれたらどうしよう。

その一言で、僕が作った

「専門学校を卒業して、浜松の病院で働いている僕」

が全部壊れてしまう。

だから、外出するとしてもカラオケやゲームだったのだと思う。

人に会いたくなかったわけではない。

本当の自分を知られるのが怖かった。

同窓会の電話

友達の連絡先は、その一人を残してほとんど消していた。

そんなある日、同窓会の連絡が来た。

電話には出た。

でも、怖かった。

話している間、動悸が止まらなかった。

僕は、

「今は浜松に住んでいるから行けない」

と嘘をついた。

電話を切っても、罪悪感は残った。

本当は友達が嫌いだったわけではない。

会いたくなかったわけでもない。

ただ、

ひきこもっていることを知られたくなかった。

僕には、逃げるしかないように思えた。

楽しい時間のあとに戻ってくるもの

友達と遊んでいる時間は楽しかった。

モンハンをして、カラオケに行っている間だけは、昔と同じ自分に戻れた気がした。

でも家に帰ると、現実が戻ってきた。

僕は病院では働いていない。

今日もまた、本当のことを言えなかった。

罪悪感があった。

そして、それ以上に怖かった。

この嘘を、いつまで続けられるんだろう。

いつか仕事のことを詳しく聞かれるかもしれない。

いつか別の知り合いに会うかもしれない。

そして本当の僕を知られたとき、この友達まで離れていくのではないか。

そんなことばかり考えた。

最後まで、本当のことは言わなかった

結局、その友達に本当のことを話す日は来なかった。

僕が大学へ行くことが決まった頃、友達も勤務先が変わった。

それから、会うことがなくなった。

だから彼の中では、

「専門学校を卒業して、浜松の病院で働いていた僕」

が、そのまま残っているのかもしれない。

今振り返ると、不思議な気持ちになる。

僕は、友達を騙したかったわけではない。

自分を立派に見せたかったわけでもない。

ただ、

普通の自分でいたかった。

家の中では、家族とくだらない話をして笑えた。

誰かと一緒なら、将来への不安も学校への怒りも少しだけ忘れられた。

でも、家の外では本当の自分を隠さなければならないと思っていた。

僕は人が嫌いだったわけではない。

人と関わりたくなかったわけでもない。

ただ、

本当の自分を知られることが、怖かった。

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