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考えたら負けだった。カメラの話

カメラを買う、という話をするときに、
ひとつだけ思ってはいけないことがある。
それは、
ちゃんと考えよう、という姿勢だ。
カメラは高い。
それは事実だし、無視できない。
数字としてそこにある金額は、こちらの気持ちを一瞬で現実に引き戻す。
考えた瞬間、
頭の中では会議が始まる。
スマホで十分じゃないか。
最近そんなに写真を撮っていただろうか。
使わなかったらどうする。
防湿庫は?
レンズは?
そもそも置き場所はあるのか。
買わない理由は、
なぜか驚くほど雄弁だ。
「考えてから買いなさい」
そう教えられて育ってきた。
衝動買いは悪。
無駄遣いは愚か。
欲しい、だけでは足りない。
たいていの物において、
それは正しい。
でも、カメラに関してだけは、
どうも噛み合わない。
カメラという道具は、
合理性の対極にある。
効率を求めるならスマホでいい。
記録なら、なおさらだ。
軽くて、早くて、失敗もしない。
それでも人は、
わざわざ重くて高くて不便なものに惹かれる。
たぶんカメラは、
楽しむために不合理である必要があるからだ。
シャッターを切る理由は、
役に立つからではない。
残さなければならないからでもない。
ただ、
撮りたいと思ったから。
その気持ちは、
考え始めた瞬間に消えてしまう。
だからカメラは、
欲しいと思ったその場で、
箱を抱えて帰るしかない。
考える前に。
迷う前に。
正しさが追いつく前に。
考えるな。
勢いだ。
買ったことは失敗かもしれない。
結局あまり使わないかもしれない。
棚の上で、静かに埃をかぶるかもしれない。
でも、その失敗すら含めて、
カメラを楽しむということなのだと思う。
失敗を恐れない遊び。
無駄を許す余裕。
意味がなくても、ただ好きであること。
それが許せなくなったとき、
人は何も買えなくなる。
私は、よくカメラのことを考える。
どのメーカーがいいか。
どのレンズが合うか。
今の自分に本当に必要か。
考えれば考えるほど、
正しい答えが見つかる。
そしてその正しさは、
いつも同じ結論を連れてくる。
——今はやめておこう。
結果、
私は今日もカメラを買っていない。
たぶんまた考える。
そしてまた、買えない。
それでも、
カメラのことを考えている時間だけは、
少し楽しい。
だから今日も私は、
買えないまま、
カメラのことを考えている。

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