ぼくものがたり【第28話】「功さん、死んでしまいますよ!」――中岡さんの警告
昭和20(1945)年7月。
僕が疎開にきて3か月たった時、
うちの貸家を借りていた中岡さんが、
疎開している自分の子どもたちに会うため、
鹿教湯温泉まで面会にやってきた。
4年生の女の子と、6年生の男の子。
2人は僕とは違う宿舎だった。
上級生だったので、2年生よりもご飯はもらっていたから、
痩せてはいたけれど、わりと元気に過ごしていた。
面会の帰り際、中岡さんはふと僕のことを思い出した。
「そうだ、ついでに功ちゃんにも会っておこう」
その足で、わざわざ僕の宿舎まで立ち寄ってくれた。
僕の部屋まで入って来てくれた中岡さんは、
あたりを見まわしているけれど、僕に気付かない。
そのとき僕は、部屋の隅っこで、力なく転がっていたんだ。
中岡さんは、周りの子に聞いて、
「あそこにいるよ」
と言われた先の僕を見て、すごく驚いた。
「あなた……功ちゃんなの?」
骨と皮ばかりになった僕の姿に、言葉を失っていた。
疎開前のふっくらとした僕がいるものとばかり思っていたから。
「大変…… このままでは、死んでしまう」
そう思った。
中岡さんは大急ぎで東京に帰り、
自分の家に帰るより先に、まっすぐ親父の元へ向かった。
そして、ものすごい剣幕で言った。
「功さんが大変です!
とにかく長野へ行きなさい!
今すぐにです!」
親父は、中岡さんから僕が死にそうだと聞いた。
しかし、親父は、
「先生たちもいるのに、そんな酷いことになっているものなのか?」
と、半信半疑だった。
また、すぐに行きなさいと言われても、
親父は警防団として、町を守る仕事もしなきゃいけない。
東京では大空襲が続き、被害甚大で、
死体処理や瓦礫の撤去といった作業が、まだ続いていた。
なので親父が「今は動けない」と言うと、
中岡さんは大声で怒鳴ったんだ。
「何を言ってるんですか!
功さんがどうなってもいいんですかー!」
女学校の先生で、長刀の師範でもあった中岡さん。
その迫力と気迫がものすごかったんだ。
なので、親父も押された。
そして駅に行って、駅員に切符を買いたいと言ったら、
「切符?
ありません、ありません」
と、ピシッと扉を閉められた。
人が殺到していたため、発券が制限されていたんだ。
親父がそう説明すると、中岡さんは再び、
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!
とにかく行きなさい!
すぐに行きなさーい!!」
と、それは猛烈な勢いで、親父を怒ったんだ。
困った親父は、考えに考えた末、
知り合いを総動員して、どうにか切符を手に入れる方法を探し回った。
ただ、まだこの時点では、お袋には何も話していなかった。
僕のことを知らせたら、心臓の弱いお袋が先に倒れてしまうかもしれない。
そう思って内緒にしていた。
お袋に気付かれぬよう、あちこち訪ね歩いたら、
親父の小学校時代の同級生が、国鉄の工夫をしているとの情報を得た。
その同級生は、阿佐ヶ谷の北に住んでいた。
親父はその人の家まで行き、
なんとか切符を手に入れる方法はないかと聞いたら、
「俺が行けば売ってくれるんじゃねぇかな。
俺にまかせとけ!」
と言ってくれた。
当時、国鉄社員は権力があったんだ。
鉄道は戦争を続けるために重要な役割を持っているから、
民間人とは違った、お役人的存在だった。
その人と窓口に行ったら、
やっと扉を開けてくれて、中に入ることが出来た。
そして、運のいいことに、
その同級生はうちと同じ苗字だったから、
自分の息子に会いに行くと言って、
どうにかこうにか切符を取ってくれたんだ。
この人も、僕の命の恩人だ。
戦争中、生きるか死ぬかは自分のせいではなく、運命だった。
もし、あの切符がなかったら、僕は生きていなかった。
そうして親父は、何気ないふりをしてお袋に言った。
「たまには功に会いに行ってくるよ」
親父は鹿教湯温泉へ向かった。
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