見出し画像

ぼくものがたり【第53話】幻のあさがや茶・戦争で消えたカイコ

戦争でなくなってしまった、身近なものはいくつもある。
その中で、あまり知られていないのが、茶畑と養蚕だ。

阿佐ヶ谷には、いくつかの茶畑があった。
春になると、茶摘みの光景が見られたんだよ。
想像できるかなぁ。

阿佐ヶ谷茶は、本当にあったんだ。
とはいえ、大量には作ってはいなかったので、
広く市場に出回るほどではなかったんだ。

鍬太郎爺ちゃんの若い頃は、産業としてもう少し盛んだったそうだけれど、
その頃は商売というより、自分たちで飲む分を作っていた。

今の文大杉並高校のあたりに、茶畑が広がっていたんだ。

中央線から見る茶畑は、
緑が鮮やかで、まるで風景画のようだった。

茶畑を持っていた地主さんの家のまわりでは、
初夏になると、
お茶を炒る、あの独特の香りが、ふわっと漂ってきた。
なんとも、いい匂いだった。

しかし戦争で食糧難になって茶畑は、
サツマイモやカボチャの畑に変わってしまった。
国が「腹にたまる作物を育てよ」と指示したから。

茶畑は、すっかり姿を消してしまった。

あさがや茶――幻のお茶。

養蚕

養蚕も鍬太郎爺ちゃんの若い頃に杉並で産業として盛んだった。
だいぶ少なくはなっていたけれど、
養蚕を副業にしている農家もいくつか残っていて、僕の家もやっていた。

蚕(かいこ)の幼虫が入った箱が、天井裏にいくつも並べてあって、
そこに桑の葉を与えて育てていた。

屋根裏は仕切りが無いから広くて、陽もよく入り、
いつも温かいから、カイコを飼うにはちょうどよかった。

何百、何千匹って言うくらい幼虫がうじゃうじゃいて、
そいつらが一斉に葉っぱを食べ始めると、すごい音だった。

バリバリ、ジャリジャリ……
大雨みたいな音が天井の真上から聞こえてきて、
その音が、一晩中やまなくて、うるさくて眠れない日もあった。

家の裏に桑の木がいくつかあった。
親父はそれを取って来て、食べやすいように太い枝を切って与えていた。

ものすごい食欲で葉っぱを食べ続けて、
1か月もすると、数ミリだった体が6〜7㎝にまで大きくなる。

5歳くらいの僕が、桑の葉を触ってカイコを床に落としてしまったとき、
親父は「踏むんじゃないぞー」と笑って言った。

そんなふうに大切に育てていると、段々静かになって、
最後は音が止んで、シーンと静かになる。

それで「ああ、繭になったんだな」と分かるんだ。

そうして出来た繭を売っていた。
戦前は、わりと良いお金になったそうだ。

しかし戦争が始まると、
アメリカへの生糸の輸出は途絶えてしまった。

それで需要が激減し、
作っても、以前のようなお金にはならなくなった。

日本の絹は最高級で、
アメリカでもとても人気があったのに。

さらに戦後、桑畑も食糧難でサツマイモ畑へと変わってしまい、
幼虫への餌も確保できなくなった。

それで、養蚕はできなくなってしまったんだ。

5歳年下の弟、タケヒロは、
僕と思い出の景色がまったく違うんだ。

終戦の時、弟は3歳。

茶畑があったことも、蚕の音も知らない。
弟が知っているのは、戦争が終わったあとの景色だけだ。

でも、僕は、それはきっと、良いことだと思っている。


―― 続けて読む(下の文字をタップできます) ――
次の話【54第話】
阿佐ヶ谷にもチンチン電車があった

連載目次(案内所)はこちら
前の話【第52話】
おひげの軍医さんとお医者さまたち

いいなと思ったら応援しよう!