ぼくものがたり【第44話】神社とお寺とキリスト教――ぼくらのおやつ道中
戦後すぐは、ジープに乗った進駐軍が、お菓子を配ってくれた。
でも、だんだん配らなくなってしまった。
理由はいろいろと言われていた。
「物で子どもを手なずけるのは道徳的に良くない」とか、
「配られるのが都会の子どもばかりで不公平だ」とか。
中には、
「チョコを食べた犬が具合悪くなった」
という話まであった。
それが本当の理由かは分からないけど、
僕たちの「ギブミーチョコレート」は、数年でなくなってしまった。
戦後は日本人はみんな貧乏で、食べてゆくだけで精一杯だった。
子どもたちは、最大の楽しみだった、甘いお菓子にありつけるチャンスが、すっかりなくなってしまったんだ。
ヤンキーからもらったお菓子の味が忘れられなくて、
「母ちゃんお菓子ちょうだい」
と言っても、
「そんなものないわよ!」
って、言われた。
「甘いもの、食べたいなぁ」
って、心底思っていた。
でも、子供たちのアンテナは鋭い。
新たにお菓子をもらえる場所を見つけ出したんだ。
もちろんタダで。それは…、
キリストの教会だ。
阿佐ヶ谷には、戦前からいくつかあったけれど、僕の家は仏教だから、その存在を全く気にしていなかった。
ある日、教会に通っている友達から、
「教会にいくとお菓子がもらえるんだよ」
って言う情報をこっそりともらった。
僕も何とかしてもらいたかったから、よく話を聞くと、日曜のミサに参加するともらえるそうで、それは「教会の日曜教室」と言われていた。
ちょうど僕が通いはじめた学習塾の中に、教会があった。
学習塾の部屋の奥に、小さな礼拝室があって、そこが教会になっていた。
先生がクリスチャンだったんだ。
さっそく僕は先生に、「教会にも通いたい」と言って、毎週日曜日に通うことになった。
それまでは、
「アーメン、ソーメン、冷やそうめん」
とか言って、ふざけて面白がっていたけれど、牧師さんの話を聞いていればお菓子をくれるから通っていた。
何を言ってるか内容はわからなかったけれど、
「天にまします我らが父よ、願わくは◯◯したまえ……」
とは聞こえたから、
「たまえ〜」
だけ言って、もういちど最後に、
「アーメン」
とだけ言っていた。
お祈りや讃美歌を歌い終えると、クッキーやチョコレートをもらえた。
近所の人は
「よくお菓子なんてあるわねぇ」
と心配していたけれど、教会の日曜学校は、進駐軍の支援物資を受けていたと、あとからわかった。
そして、戦後2~3年すると世の中は少し落ち着いてきて、
お菓子をくれる場所は教会のほかに、もう2か所できた。
神社とお寺だ。
阿佐ヶ谷は天祖神社(現在の神明宮)って言う神社と、世尊院というお寺が隣り合ってる。
神社でまちがって、
「なんみょうほうれんげきょう」
って言うと、
「ここはお寺じゃないよ!」
って怒られた。
神社からは戦争中、太鼓の音と、
「天皇陛下、万歳!万歳!」
って声が聞こえてきた。
でも、戦後は、神社から
「天皇陛下、万歳!」
と聞こえると、近所の人たちは怒っていた。
神社では、祭りなどの行事があると、饅頭やお餅をくれた。
とくにお神輿を担ぐと、袋に入ったいくつかのお菓子がもらえた。
だから、祭りの日となると、子供たちは喜んで神輿を担いだんだ。
それはそれは大勢の子が集まったんだよ。
そしてお寺。
僕は、お寺は人が死んだらみんなで行くところで、泣いてもいい、優しいところだと思っていた。
ふだん僕たちは、
「男は泣くな!」
って、言われていたから。
お寺は小さい子どもたちにも開かれていて、自由に遊ばせてくれた。
調子に乗って自転車を二人乗りして、怒られたこともある。
子どもがよく集まっていた世尊院は、後に幼稚園になった。
お寺でも、花まつりには甘茶といって、砂糖がいっぱい入っている甘いお茶を飲ませてくれた。
また、檀家の子として、お盆やお彼岸には饅頭がもらえた。
どれも甘くて美味しかった。
僕のなかでは、
お寺=お葬式
神社=お祭り(太鼓と万歳三唱がつく)
と、いうようにとらえていた。
教会、神社、お寺の3か所回れば、どこかしらでお菓子をもらえた。
まさに神様様様だった。
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