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ぼくものがたり【第39話】闇市――悪いと知りつつ買った米

終戦後、物資が極端に不足し、
配給だけじゃまったく足りなかった。
ご飯をお腹いっぱい食べるなんて、夢のまた夢。

そんな中で、街のあちこちに自然にできていったのが、
「闇市」だった。

正規の流通とは別のルートで、いろんな物が売られていた。
食べ物、衣類、薬、煙草、工具、書籍……
なんでもあったけれど、どれも驚くほど高くて、
どこから来たのか分からない品も多かった。

盗品や、軍の横流し品なんかも混じっていた。
でも、人々は生きるために、そこに頼らざるを得なかった。

荻窪の駅周辺にも、闇市はいくつかあったんだ。
戦前、賑やかだった駅前の商店は、
建物疎開で壊されたり、空襲で焼けたりで、
まともに営業できる店舗はほとんどなかった。

荻窪駅のはずれ、阿佐ヶ谷寄りの空き地にあった小さな闇市に、
お袋と一緒に行ったことがあった。

焼け跡から集めたトタンやベニヤを屋根にして、
柱を付けただけのバラックが立ち並んでいた。
ごった返す人の中で、
「はぐれないように、ちゃんと手をつないでいてね」
そう言ってお袋は、僕の手をぎゅっと握り、片時も離さなかった。

「なんでも市」のように、とにかく色んなものがあった。
品物の多くは使い古し。焼け跡から出してきた品々。
それでも、クギ1本から自転車まで売っていたから、
欲しいものはたいてい見つかった。

また、そこの闇市には古本がたくさんあったんだ。
だから多くの人が立ち読みに来ていた。

僕もゆっくり本屋を見たかったけれど、
お袋は、「はいはい。よけいなものは見ない」
と、先に進んだ。

そしてその日、お袋はこっそり米を買った。

お米が山盛りの店のおじさんに、
お袋はちょいと米を指さして、小声で値段を交渉し、
そっと米とお金を交換した。

それからすぐに、米の入った小袋を胸元にしまい込み、
何事もなかったような顔をした。

ほんの一瞬のやりとりだったけれど、
僕は何となく、それがいけないことだと分かった。

少し汗ばんで、冷たいお袋の手。
その手から、緊張がじんわりと伝わってきた。

「本当は、こんなことしたくなかったんだけどね……」
そんなふうにおふくろが小声でつぶやいた。

闇市で買ったお米は「ヤミ米」と言われて、
警察に見つかると没収されてしまった。

荻窪は中央線の要所だったから、警察もあちこちにいたんだ。
だから駅のはずれの入り組んだところにあった闇市は、
警察の目を盗んで「ヤミ米」を取引するには好都合な場所だった。

今思うと、大変なことをさせてたんだなぁと思う。
僕も弟も「お腹空いた」ってばかり言っていたから。

屋台からは、いろんな匂いが漂っていた。
立ち食いしている人も多くて、僕もつられて足が向きそうになったけど、
「だめ。ばったもんだから」
「何が入ってるか分かんないよ」
って、お袋は絶対に食べさせてくれなかった。

「残飯シチュー」って呼ばれる屋台もあった。
米軍の残飯を煮込んで出してるという触れ込みで、
たしかにおいしそうな匂いだったけれど、
噂では、タバコの吸い殻や、噛み捨てたチューインガムが入っていたとも聞いた。
本当に残飯だった。

砂糖はまったく手に入らなくて、お袋は代わりにサッカリンを買っていた。
サッカリンは、ほんの少しで舌がしびれるほど甘い。
ちょっと、1ミリくらいなめてみたら、あまりの甘さに驚いた。

お袋はそのサッカリンを使って、お汁粉を作ってくれた。
お汁粉といっても、ほんのちょっとの小豆に、たっぷりのお湯。
でも、当時としては御馳走だったんだ。

けれどその後、
同じように甘味料として使われていたズルチンは、
体に害があるとして使用が禁止された。
ズルチンで中毒になった人も出たと、新聞にも出ていた。

そんなふうに、体に良くない食べ物がいっぱいあった。
それでも、美味しかった。あの味は今でも覚えている。

お酒も危険だった。
闇市のアルコールは飲むアルコールではなくて、
もっと安い工業用のアルコールを、
水で薄めて出しているところもあった。
密造酒っていって、
何から作ってるのか分からないような酒もあった。

親父はお酒が好きだったけれど、
闇市の酒だけは決して飲まなかった。

「下手すりゃ目が見えなくなるぞ」って。
実際に、失明した人もいたらしい。

警察もはじめは厳しく取り締まっていたけれど、
だんだんと見て見ぬふりをするようになった。
闇市を潰したら、人々の生活が成り立たなくなってしまうから。


その日、帰り道もお袋は僕の手を離さなかった。

家に帰ったお袋は、ホッとして、そのまま仏壇へ行き、
「お許しください」と手を合わせた。

それから数日は、わずかなお米が入ったお粥が食べられた。


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