ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?
※ネタ漏れします。
この映画の存在を知った時から「観にいかな、あかんな」と思っていた。いざ公開となって、来週あたりに行こう…と呑気に構えていたのだが、公開スケジュールが短縮されたり、上映をとりやめた映画館もある…と聞いて慌てて観に行った。何らかの圧力がかかったのだろうか?上映を求める署名運動も始まったというが、それは誰への嘆願なのだろうが?
土曜日の映画館は満員御礼だった。小さいハコではあるが、こんなにいっぱいなのは見たことがない。観客も熱を帯びているように感じた。ベトナム戦争、しかも黒人部隊を描いた映画にはスパイク・リー監督の「ファィブ・ブラッズ」がある。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」に比べればやや商業的ではあったが、腹をえぐられるような映画だった。
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」はベトナムから帰還し、PTSDに苦しむアラン・ネルソンの描写から始まる。舞台は戦場と家庭を往復し、精神科医とのやりとりや戦争体験を語るようになるまでの葛藤を描く。まるでドキュメンタリーのようなシリアスさで、ベトナムの小さな村に臨場しているような気分になる。
私が一番興味を持っていたのは沖縄のパートだ。前夫の父マッコイがまさにアランと同じく沖縄で訓練を受けたあとベトナムに送られたのだ。彼はベトナムについては一切語らなかったが、沖縄に関しては「スケベネエサンガイッパイイテタノシカッタ」とニコニコしていた。ところがアランの一派はスケベネエサンにもタクシードライバーにも金を払わない。それどころか暴力で相手を黙らせる。え?マッコイは?マッコイはまさかそんなことしてないよね…?
当時のアメリカ兵はアジア人のことを「グーク(奴、畜生の意味)」と呼び、同じ人間と思っていなかった。そこに厳しい訓練、戦場への恐怖が重なるのだから兵士のストレスはMAXであったはずだ。さらに人種差別の問題もある。白人はコザ吉原で遊び、黒人は銀天街に集まる。白人が黒人と同じ場所に行くのを嫌ったからだ。そして沖縄での訓練が終わると、黒人部隊はベトコンの巣窟となった一番ヤバイ戦場に配備される。それがベトナム戦争のルールだった。
なぜ戦争をしてはいけないのか?なぜ人は人を殺してはいけないのか?私の周りの人々なら「それはあたりまえのことだから」と言うと思う。人が人を殺したら、必ずや何らかの罪を負う。国が国を攻撃したら双方に多大な損害がでる。それはわかりきったことだ。なのに日本は武器商人の道を歩み出した。トランプもネタニヤフもプーチンも世界のトップたちが戦争をやめない。それは…彼らが戦場に行くことはないからだ。色々と戦争の必要性を説いてくるけれど、それは机上の空論で死んでいくのは私たち庶民だ。ドローンに追いかけ回され、ミサイルに怯え、家族や友人に連絡もつかず、食べ物もなくなる。
日本のシェルターの普及率は0.02%らしい。いつか沖縄でJアラートが鳴った時、知人が「逃げるとこないのにどうしろと」と言っていた。防衛費を増やすなら、アメリカの型遅れの兵器買うよりはシェルター作ったほうがいいんじゃないかと思う。軍備拡張はイヤですけどね。
ベトナムのネルソンさんは追い詰められて人を殺してゆくのだけど、そのうち「仕事」として抵抗が薄まっていく。そして「ある事」をきっかけに人間らしさを取り戻すのだが、それがまた彼を苦しめる。「罪の意識」と「戦争だから仕方ない」という感情がせめぎ合い精神の限界を迎える。
昔、さんまちゃんが主演した沖縄戦のドラマ「さとうきび畑」では、米兵と出くわした彼が結局引き金を引けず殺されてしまう。「私は人を殺すために生まれてきたのではありません」という言葉を残して。
自分ならどうかな…とずっと考えている。恐怖で反射的に撃ってしまいそうだ。死にたくないし、仲間の復讐もしたいだろう。兵器の標的となれば人はプルプル震えるプリンみたいなものだ。この映画では銃器を扱う側の人間もメンタルはプリンなのだな、と感じた。銃を手に取って強くなった気がしてもそれはまやかしで、破壊を尽くすほどに兵士の内面は壊れて行く。手がつけられないほどに。
この映画が早めに打ち切りになるのかどうか今のところわからないが、本来ならロングランになるべき映画だと思う。機会があったら是非映画館へ。世界中の人が見たほうがいいと思うよ。
#ネルソンさんあなたは人を殺しましたか
#塚本晋也
#ベトナム戦争
#沖縄
#ファィブブラッズ
#PTSD
#スパイクリー
