【ピリカ文庫】返る日、返す日、蛙の日
母方の祖母が亡くなった。
今朝、祖父から母に連絡があったそうだ。祖母は先月から体調を崩して寝込んでいて、母は実家に戻って祖父母の面倒を見ていたのだけれど、昨晩は祖母が小康状態になったというので久しぶりに帰ってきていた。
「圭子。お葬式、行く?」
母がぽつりと言った。そんなことを訊かれるとは思っていなかったので慌てた。
「い、行くよ、もちろん。なんで?」
「おじいちゃんがね、お葬式、人を呼んでやりたくないみたいだから」
「家族葬ってやつ?」
「うん、そうなんだけど、おじいちゃんは自分ひとりでやりたいみたいなんだよね」
「えー!それは勝手過ぎない?私、おじいちゃん、嫌いになっちゃう」
「私は、行ってもいいのかなぁ」
「何言ってるの?当たり前じゃない、娘なんだから」
「それは、そう、なんだけど、ね」
「お母さんが行かないってマジで意味分かんないよ。お母さん、疲れてない?少し休んだ方がいいよ」
「でも、おじいちゃん、すぐにお葬式始めるって言ってるの。早く行かないと終わっちゃう」
「嘘でしょ、マジでおじいちゃん嫌いかも!いつのまにそんな勝手ジジイになっちゃったのよ」
「おばあちゃんが亡くなったのよ。勝手にもなるでしょ」
「だからって……」
「早く行きましょう。お葬式、終わっちゃうから」
慌てて身支度を整えて、母の運転で母の実家に向かった。助手席で黙って座っている間、むしゃくしゃして出張中の父に少し意地悪なLINEを送ってしまう。
おばあちゃん、亡くなったって。
どれだけ忙しいか知らないけど、昨日帰ってくれば良かったね。
これからお母さんとお葬式行ってきます。家族葬で、すぐやるって。だから、帰って来なくて大丈夫だよ。
お仕事、頑張ってください。
父からの返信は意外な内容だった。
昨日持ち直したと聞いていたけど残念です。
お葬式、お母さんから遠慮するように言われていてね。圭子は参加できるならよかった。お父さんの分もお別れしてきてください。遠くからおばあちゃんの冥福を祈っています。
どういうこと?隣で車を運転している母を見る。無表情。何を考えているのか分からない。
「お母さん。お父さんにLINEしたんだけど、来ないでって言ったの?お葬式」
母は一瞬こっちを見て、また前を向いた。
「来ないでとは言ってないけどね。『遠慮してくれる?』って」
「言ってるようなもんだよね。どうして?」
「さっきも言ったけど、おじいちゃんがさ」
「ひとりで葬式やりたいって、今日言い出したんじゃないの?」
「うん、おばあちゃん倒れてから、ずっと言ってる」
「信じらんない」
祖父がそんな自分勝手な人とは思わなかった。だけど、母も母だ。どうして祖父のわがままを簡単に受け入れるのか。父は、まあ優しい人だから母に言われたら仕方ないか。でもな。
ひとり、助手席で悶々とする。
◇
確か小学四年生くらいからだったと記憶しているのだけれど、夏休みになると母の実家に泊まりに行くようになった。きっかけはなんだったか忘れてしまったが、父は仕事でどこにも連れて行ってくれなかったし、母の実家での生活は気分転換にもなって、それなりに楽しかった。
祖母は、肌の色が白く若々しかったので母とは姉妹のように見えた。誰よりも私に優しくしてくれたし、珍しいお菓子を作ってくれたりしたので、私は祖母のことが大好きだった。
母の実家での生活で困ることがひとつだけあった。夜眠る時間になると田んぼの蛙が大合唱を始めるのだ。祖父は大地主で、家の周りに大きな田んぼがいくつもあった。何匹いるのか知らないが、田んぼに住んでいる蛙が一斉にいつまでも鳴く。初めて母の実家に泊まった時、私は眠れないどころか、だんだん怖くなってきて泣きながら母に「帰りたい」と訴えた。その様子を見ていた祖母は「眠れないなら起きてこっちにおいで」と私を呼んだ。
「蛙の鳴き声が怖いのかい?」
「うん。だってすごい大きな声で、ずっとなんだもん」
「そうか、おばあちゃんには歌っているように聞こえるけどね。蛙の歌、学校で習わなかったかねえ」
「習ったけど、こんなんじゃないもん!」
「ほっほっほ、そうかい。迫力が違うものねえ。ウチのは大合唱団が歌ってるから。こっちの方が本物だけど、なんでも本物っていうのは怖いところがあったりするもんだからねえ」
「……よく分かんない」
「ごめんごめん、変なこと言って。今日はね、おばあちゃんとお母さんと三人で手を繋いで寝ましょ?いいわよね?」
祖母がちらりと母の方を見た。母は黙って頷いた。
「んじゃ、ここにお布団敷きましょ。圭子、お布団持って来れる?」
私が布団を持ってくる間に祖母と母は居間を片付けて布団を敷けるようにしていた。布団を三組、横に隙間なく並べて敷くと、祖母はにっこり笑って言った。
「圭子は真ん中よ。大の字で寝て、大の字で」
言われた通りにすると、祖母が私の右隣の布団に仰向けに寝て、私の右手を左手で握った。母は私の左隣の布団に寝て、私の左手を右手で握る。その後は、しばらく蛙が鳴くのを黙って聞いていた。
「圭子、寝た?」祖母がそろりと訊いてきたので「寝てないよ!」と元気良く答えた。
「あらま、やっぱり眠れない?」
「うん。だって、うるさいし、ずっと鳴いてて怖い」
「ふーん。蛙は圭子のこと、嫌いで鳴いてるわけじゃないんだけど、圭子は蛙の歌が嫌いみたいやなぁ。まとめてわーっと聞くとうるさく思うかもしれんけど、好きな声の蛙はおらんか?」
「好きな声って言われても。みんな同じに聞こえるよ」
「たとえば、こんなのは?」
急に祖母が蛙の鳴き声の真似をした。引くほど似ていて驚く。
「あはは、おばあちゃん、めっちゃうまい」
「何年も聞いてるからな。どう?似た声の蛙、おらんか?」
目をつぶって蛙の大合唱の中から祖母の鳴き声を探す。いた!少しずつ昇っていくような、高く澄んだ歌声。
「見つけたみたいやね。蛙の歌声は似ているようで、ひとつひとつ違うんよ。それが折り重なって不思議なリズムが産まれていってな。そのリズムが次第に壮大な空間を作り出していくんよ。まるで宇宙みたいな。その宇宙に身を委ねていると、だんだん……」
私は祖母の話を最後まで聞いていられず寝落ちした。不思議なもので、次からどんなに蛙が大合唱していても眠れるようになった。
◇
母の実家に到着して車を降りると、母と一緒に走った。お葬式、終わってませんように!
家の中に入ると電気が点いておらず、真っ暗だった。母は手探りで廊下の電気を点けて、まっすぐ居間に向かって歩いていく。居間の電気が点くと、テーブルの上に木で出来た棺があるのが見えた。すぐそばに祖父が座っている。
「おお、来たのか。葬式みたいなものはもうやったよ。坊さんには来てもらわなかった。お経は俺が唱えてやった」
なんて勝手なんだろうと思ったけど、祖父の沈んだ様子を見ると何も言えなかった。
「せっかく来たんだ。顔、拝んでやってくれ」
母が頷いて、棺の小窓をゆっくり開いた。私もおばあちゃんの顔を見ようと中を覗いて息を呑んだ。
小さな白い蛙が仰向けにひっくり返っている。
「ああ、悪い。こうしてやった方がいいな」祖父はそう言いながら、白い蛙の遺体を表にして姿勢を整えた。白い蛙は今にも飛び上がりそうに見えた。
「俺が先に死んだら、元のところに返っていいって約束してたのによ」
母はなぜか一言も話さない。
「おじいちゃん、いつから知ってたの?」
「知り合って、わりとすぐだな。俺の最初の女房、お前のお母さんの母親はな、お前が生まれる前に病気で死んでしまったのさ。それで落ち込んでたら若くて白い女が声かけてきてな。一緒に住みたいって。そんで、初めて一緒にお風呂入ろうって時に、やたら嫌がってよ。湯船には入らないって約束で一緒に入ったんだけど、イタズラにお湯をザバッとかけたら、この姿になったんさ。ははは」
「別れようとは思わなかったの?」
「そんなこと思うわけねえ。こんないい女、他にいねえもの。死んじまって、もうどこにもいねえけどな」
突然、蛙の大合唱が始まった。
「俺、明日返してくるわ。今日は泊まっていけ」
翌朝、目を覚ますと祖父がいなくなっていた。祖母の遺体も。祖父はそれっきり戻って来なかった。
年に一回、お墓参りで母の実家に行くと、相も変わらず隣の田んぼで蛙が鳴いている。なんだか誰かに視られている気がして振り向いても誰もいない。
(3411文字)
今回のピリカ文庫の編集長を担当されている椎名ピザさんより依頼をいただき、書かせていただきました。テーマが「蛙」と聞いた時は、「ど根性ガエル」しか思い浮かばなかったのですが、自分なりの蛙小説を書けたかなとホッとしています(笑)。
ピリカ文庫は、一緒に書く方のお名前は確か内緒だったと思うのですが(私の勘違いみたいです🙇♂️)、今回は教えてもらえてラッキーでした!
武川蔓緒さんです!
武川さんの作品、読ませてもらったのですが、「蛙」をテーマにすることを決めたピザさんを胴上げしたいくらい、素晴らしい作品でした(良すぎて私は五回読みました!)。
こちらです。
ご一緒させていただけたことが嬉しく、「何か記念になることを」と考えて、今回の私の作品、ほんのちょっぴり、武川さんの真似をさせていただいた箇所があることを告白します(どうでも良すぎてごめんなさい)。
あとがきが長過ぎるのもよくないと思うので、この辺でやめます。お読みいただき、ありがとうございました。
