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八月の終わりに、平和を考える。― 9月1日になったら、何が変わるのだろう

今日は、8月31日。



八月、最後の日です。

8月6日。
8月9日。
そして、8月15日。



毎年この時期になると、
戦争や平和についての記事やニュースを
目にする機会が増えるように感じます。



お盆の時期とも重なっているからなのかもしれません。



私自身も、一年前の八月、
「平和」について記事を書きました。



そして、もうひとつ。

同じ頃に書きながら、
公開するタイミングを逃して、
そのまま眠っていた文章があります。



一年経った今、
その文章をもう一度読み返してみました。



すると、

あのとき書きたかったことが、
少しだけ見えてきた気がしました。


答えを出すためではなく、問いを残すために。
八月最後の日に、少しだけ振り返ってみます。


🎧 Instrumental|August 31
よろしければ、八月の終わりの音とともに。

✎______________


8月15日を過ぎたあと



8月6日、9日、15日。

その日が近づくと、
私たちは過去を振り返ります。



思い出すこと。

知ろうとすること。

手を合わせること。

どれも、とても大切なことだと思います。



けれど、8月15日を過ぎると、
少しずつ話題を見かけなくなるようにも感じます。



なぜだろう。

そして今日、8月31日。

明日になれば、9月1日です。



では、

9月1日になったら、何かが変わるのでしょうか。

もちろん、そんなことはないはずです。



暦の数字がひとつ変わるだけで、
昨日まで考えていたことが
急になくなるわけではありません。



むしろ最近、少し気になるのは、

「戦争が終わった日」よりも、
そのあとの時間です。


✎______________


「終わった」そのあとに


終戦の日を迎えたからといって、
すぐに以前の日常へ戻れたわけではなかったはずです。


食べること。

眠る場所。

家族。

仕事。

暮らし。



私はその時代を経験していないので、
簡単なことは言えません。



ただ、

戦争が終わった瞬間から
すべてが元通りになったわけではない。



むしろ、

そこから日常を取り戻していく時間が始まった。



そんなふうに想像します。



もしかすると、

「終戦」というひとつの大きな区切りの陰には、
その翌日から続いていた
数え切れないほどの小さな日々があったのかもしれません。



私は、その時間のことを
これまであまり考えてこなかった気がします。



記念日を思い出すことは大切です。

でも、そのあと、

自分は何を考え、
どう過ごすのか。



そちらの方が、
実は長い時間なのかもしれません。


✎______________


小さな景色が、わたしの中の平和になった日



一年前。

スーパーからの帰り道で、
ふと足が止まりました。



ビルの隙間から見える空。

そこには、

何度も絵の具を重ねたような
深いオレンジ色の夕暮れが広がっていました。



その上を、

誰かが筆でなぞったような雲が
ゆっくりと流れていく。



ただ、それだけの景色です。

特別な出来事があったわけでもありません。



けれど、

その瞬間だけ、

「だいじょうぶだよ」

と、どこかから言われたような
不思議な安心感がありました。




空を見上げる。

夕暮れを見る。

風を感じる。

家へ帰る。


そんな当たり前のことができる時間。


Alors que je rentrais chez moi à pied,
comme d'habitude, je me suis arrêté net.



もしかすると、

私にとっての「平和」は、
こんなところにあるのかもしれない。

そう思いました。


✎______________


平和は、そんなに単純な言葉ではない


戦争は、ない方がいい。

私はそう思います。



ただ、

世界はきっと、
そんなに単純な仕組みではありません。



国があり、

産業があり、

仕事があり、

そこで生活している人たちがいる。



ひとつの出来事を、

「こちらが正しい」

「こちらが間違っている」


と簡単に分けられないことも
たくさんあるのだと思います。



私には、

その答えを出すことはできません。



だからこそ、

大きな世界の答えを探す前に、

ひとつだけ考えてみます。



自分は、どんな風景を残したいのだろう。


✎______________


10年後にも、残っていてほしいもの



Ce que j'espère voir encore exister dans dix ans


たとえば、

10年後。

同じような夕暮れを
子どもたちが見上げられること。



「争いのない世界」

と言うと、
あまりにも大きな言葉に感じます。



それよりも、

「おかえり」

と言える場所があること。



明日がちゃんとやってくると
信じながら眠れること。


好きな人と話せること。


くだらないことで笑えること。


スーパーへ行って、

帰り道に空を見上げられること。



そんな、

あまりにも当たり前で、
普段は気にも留めないもの。

その「あたりまえ」が
続いていく未来であってほしい。

私は、そう願います。


✎______________


戦わないために、思い出しておきたい風景


いつか、

誰かに話してみたい景色があります。


「ねえ、きみも見てた?

あの夕暮れの色を」

そんなふうに。



平和について考えるとき、

歴史を知ることも、

過去を忘れないことも、

もちろん大切です。



でも、

私たち自身の中にある

失いたくない風景を覚えておくこと

も、大切なのかもしれません。



青い空。

白い雲。

夕暮れ。

誰かの声。

「おかえり」と言える場所。



それを失いたくないと思う気持ちは、

とても小さなものかもしれない。



けれど、

その小さなものを守りたいと思うところから、
何かが始まるような気もしています。


✎______________


思い出すことと、そのあと



L'intérieur du panier est encore vide.

八月になると、

平和について考える。



きっと来年も、
似たようなことを考えるのだと思います。



それでいいのかもしれません。



ただ、

今年はもうひとつだけ、

自分に問いかけてみたい。



思い出した、そのあとに何をするのだろう。



大きな行動でなくてもいい。


誰かの話を聞くことかもしれない。


少しだけ相手の立場を想像することかもしれない。


怒っているときに、
ひと呼吸置くことかもしれない。


自分の近くにある風景を
大切にすることかもしれない。



一年前の私は、

日常の小さなやさしさを
「平和の種」のように考えていました。



一年経った今も、

その感覚は、それほど変わっていません。



ただ、

「願う」だけではなく、

そのあとどう生きるのか。



少しだけ、
その先を考えるようになった気がします。


✎______________


8月31日に、残しておきたいこと



平和とは何でしょう。

一年考えても、

私には、やっぱり答えが出ません。



きっと、

ひとつの答えにできるものでもないのでしょう。



それでも、

考えることはできます。

思い出すこともできます。

疑問を持つこともできます。



そして、

昨日とは少し違う行動を
選ぶこともできるかもしれません。

8月31日と9月1日の間に、

本当は境界線なんてありません。



日常は、

そのまま続いていきます。

戦争について考える日も。

平和について考える日も。

誰かと笑う日も。

夕暮れを見上げる日も。

全部、

同じ時間の続きです。



だからこそ、

答えを出すことより、問い続けること。



それもまた、

人間らしさのひとつなのかもしれません。



明日から、9月です。


でも、

八月に考えたことまで
八月に置いていく必要はない。



今日考えたことを、

一年後の自分にも届くように。

ここに、そっと置いておこうと思います。


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