【短編】とある電話の盗み聞き、または聞き耳という天与の義務
聞きたいか聞きたくないかにかかわらず、人の話し声というのは耳に入ってきてしまうものです。それもただ単に入ってくるだけならともかく、言葉というものは意味を伴っているので、入ってきた以上どうしてもその意味を追ってしまうことになります。特別追うつもりがなくても、です。意識して聞き耳を立てているわけではないのに、結果的に聞き耳が勝手に立ってしまう、そんな不具合が人間にはあるようなのです。その不具合を起動させてしまうことになる、この意味というものの有無こそ、雨音や虫の声といった環境音と、人間の話し声の決定的な違いと言えるかもしれません。そうした話し声の中でも特にこちらの耳をひくひくさせるのが、電話をしている人の声だ、という人も多いでしょう。電話をしている人というのは、機械の中から聞こえてくる電話相手の声に集中しているせいかなんだか無防備で、こちらが近くで聞いているということに対する警戒感が多少薄れてしまっているようにも見えます。聴覚ががんばっている分、他の感覚がおろそかになってしまうのでしょうか。また、電話の向こう側で何を言っているのだろうかとか、片方の人の言葉しか聞こえないので話が断片的かつ虫食い状態なため、「ちょっと待て、今のはなんの話ぞ?」という穴埋め問題的な好奇心もそそられ、やたらと気になるものです。つまり電話での話し声のそうした特性からして、聞き耳という神が与え給うた感覚器官との相性がすこぶるいいのです。そう、先程はそれをさして人間の「不具合」と表現しましたが、見方によっては聞き耳は天与のものとも言えるのです。耳とはそうした二面性をもった二つのやつなのです。そんなわけで今日あなたが聞くことになる、そして脳の仕組み上どうしても勝手に意味を追うことになる、どこからともなく耳に入ってくる会話も電話の声で、それは次のようなものです。これは楽しいか楽しくないかの問題ではありません。音声吸引機である耳と、意味収集機である脳味噌の仕組みに従う時間です。ほら、話し手に近づくとあなたの聞き耳が自動的にぴんっ。まるで近寄ると跳ね上がるETCのバーみたい。
「んー………
あ、もしもし?いま電話大丈夫?ああほんと?そっか、よかった!
ねぇ私いま、どこにいると思う?ははっ、大した場所じゃないんですけどね、とある道の駅にいるんですよ。ちょっとした旅に出てるってわけで。突然ふと思い立って、出てきちゃったんですよ。
…あ、本当に今大丈夫?ダメだったらダメって言ってね?すぐに切るから。いい?
でー、まぁ本格的な旅からみたら近場をうろついてるだけなんだけど、とにかくいつもとは違う場所に来たかったんだよね。そしてなにより、旅の夜風ってものに当たりたかった。とても感じやすいあなたならわかってくれると思うけど、この風って、なにか特別なものですよね。うっとりするような解放感があるように感じるんだなぁ。もっとも、一体何から解放されてるのかわかりませんがね。
え?…うん、ああ、まぁそれもあるよね。私たちは普段、フン族のテントの中に捕らえられているような、笑っちゃうような野蛮の中にいるのはたしかだからね。あの息苦しさからの解放感か。たしかに、そうかもしれない。行儀良くしろアッティラ・ザ・フン!旅先には付いて来るなよ、だね!
で、なんか、旅の夜風って歌にもなってるらしいよね。それくらいこの風って詩情に満ちているように思うんですよ。旅先、ここにいる人たちのことを私は誰も知らないし、向こうも私のことを知っている人は誰もいない。どこの土地に行っても生活があり、人生があるのだと感じつつ、そしてそれらについての観察を楽しみつつも、それらにこちらが住民としてギュウと縛り付けられることはないのだという、観劇的気楽さ。その軽やかな孤独とでもいうべき感覚の表面を撫でる、ひんやりとした夜風。そう、夜風!肌を通して心で感じるのは痛みのような、安心感のような。寂しさのような、幸福感のような。ああこれこれ、この感じなんだよね!今もまさに吹いてますよ!これを、まさにこれを感じたいがために、ガソリンをまき散らかして来てしまいましたってわけですよ!まぁもちろん、さっきも言ったけどちょいと隣県まで、ちょいと長野までチョロチョロまいてきただけですけどね。いや、私は思うんだけど、いったい今までタンカー何隻分のガソリンが、この旅情という甘い痛みを味わいたいがためにぶちまけられてきたことだろう!UAEの夜を彩るいくつかのタワーは、このふとした旅への誘いを財源として建てられたに違いないね!まさにだな、まさに!あ、でもこんなことを言うからって、私が目の血走った環境活動家だなんて思わないでほしいね。で、さらに、そんな活動家のくせして自家用車を乗り回している、言行不一致の偽善者だなんて思わないでいただきたいね。
え?そんなことわかってる?ああ、ありがとう。あなたは私の理解者ですよ。毎度よくわかってくださいますよ、ええ。私は改めて言っておくけれど、あなたと話している時間だけが、文句無しで無駄じゃないって言い切れる時間なんですよ。…うん、うん、ああ、ほんと?ははっ、それは照れますな!
それで、まぁ、やっかいな問題ですが、油、どうせいつかはなくなっちゃうなら、文化的に、あくまで文化的に、使って使って使い切ってから『人類ここにあり!』ってな具合に地球史のエンドロールを流せばいい、とか言ったらたぶん怒られるんでしょうね、おっかない顔した正義の人たちから。排ガスで汚した分、文化で美しくしてから滅べばトントンだというのは、乱暴な足し算だということになってしまうんでしょうね。横断幕を掲げ、正義の公式を発見したとおっしゃる人たちから見れば。…んー…まぁ…何と言うべきかわからないけど…そもそも、こんな道の駅からの電話で、そんな巨大な問題の解決策が出てくるわけはないっ、と居直ってもいいですか?ああどうも。助かりますな!じゃあこの話題はこのあたりにして……そう、旅です、旅の話!そのとおりです!
すぅーーーっ、はぁーーーー。
ああ、やっぱりこの旅の夜、この空気、たまらないなぁ。千回だって言わせてもらいますよ。たまらないたまらないたまらない。素晴らしい夜風、たまらないたまらない!千一回目を言ったら島流しだって宣告されていても、たぶんうっかり言っちゃうだろうね。そのくらい、たまらない。
あっ、でもこの前、旅に関して嫌な出来事があったんだよね。聞いてくださる?ある日の夕方、私が前橋駅の近くを歩いていた時のこと。ホテルから高校生と思しき数人の少年たちが出てきたんです。その格好から察するに、どうも何かしらの運動部の合宿で他県から来ているようだった。ま、そういう意味じゃ彼らにとってはちょっとした旅であり、前橋は旅先ということになりまさぁね。で、そいつらのうちの一人が……あ、『そいつら』って言ってる時点で、私が彼らのことが大好きだってこと察してくださいね。というか私は高校生くらいから大学生くらいまでの男に関してはほぼ全員、カッコをばっちり付けた意味での『大好き』かもしれないわけだけど!まったく、あの落ち着きのないホルモン過剰の鬱陶しさよ!……で、ね?本線に戻っていい?そいつらのうちの一人が他の連中に対して言うわけですよ。
『いやいや(笑) 岡山よりはマシ岡山よりはマシ。群馬なにもないとか岡山を見てから言えよ(笑)』
ねぇあなた、ガキって好きですか?またその話になっちゃいますけどね。仮にクソガキとガンコジジイが並んで路上にぶっ倒れていたら、私はどうもガンコジジイの方を助けそうな気がするんだなぁ。そいつが老害界の百年に一人の逸材で、二十年連続MVPだったとしても、私はそいつの方に駆け寄るだろうと思う。そんでもってシワの寄った意地悪そうな額をペチペチやって『やい老害、大丈夫か?』って元気づけてやるね、たぶん。
…あ、で、ねぇ聞きました?『なにもない』んだそうですよ。おガキ様曰く『なにもない』んだそうですよ、え?『なにもない』とはよく言ったものですな。…うん、でしょ?はたして『なにもない』とはなんでありましょうか。私はその手の評価を聞くといつも思うんですよ。よそから来た人やその地の住民が、その地を嘲笑ったり卑下したりするために『なにもない』と言うのを聞く度にいつも思うんです。『なにもない』のではなく、何かを感じ取る感性がお前にないだけだろう馬鹿たれが、ってね。この観察眼をくり抜かれた彷徨えるガイコツが、ってね。これは何も私の愛郷精神が傷つけられたことによって、ムキになって突然飛び出してきた悪態というわけじゃないですよ。要は次のような具合だと、日頃から冷静に、自分で言っちゃいますがいたって冷静に思ってるんです。ニューヨーク、ロンドン、パリ。そんな具合に世界中を駆け回ろうと、結局は自分の脳味噌を連れ歩くしかないわけで、そうなれば当然各地で何を感じるかはその脳味噌の出来に左右されるわけでしょう?仮にその脳味噌の出来が牛糞のレプリカかと見紛うようなものだったとしたら、彼はこの世のどこに行ったところで『なにもない』と感じる以外にないってことになるわけさ。もしくは単純明快かつド派手なランドマークを見つけて『あ、あった!』とはしゃぐ以外に、その地を味わう方法を知らないということになるわけですよ。そんな奴がはたして、どこかよそへわざわざ行く必要があるんですかね?その脳味噌を持参している限り、あらゆる土地のすべての色合いが消え去ってしまうのだとしたら、です。まぁ、回りくどい言い方になっちゃったけど要はですね、一通りグラウンドを走り回るなりボールを蹴るなりして、合宿とかいう親の財布を軽くするだけでほぼ意味のない行事を終えたら、さっさと帰れこの可愛げのないガキどもめ、ってことなんですよ、私が言いたいのは。やつらの地元はそれはそれはさぞ、なんでもあるエルドラドなんだろうからね。塾の近所にスタバが200軒くらいあって、駅前にマックが1500軒以上あるんだろうからね。まさに『帰れば都』ですよ。よくわかんないけど。ついでに言っておけばこれはガキどもに限らず、『なにもない』人種に共通して言えることだけど、連中こそ日本文化に寄与するところまったくの無であると言いたいね。ほんと、『なんにもなし』ですよ。その低劣で口半開きの寝ぼけた感性によって豊穣の国土を更地に変えてしまう、愚鈍をエンジンにした無のブルドーザー。当然、日本史に価値ある新たな何かを付け足すこと『なにもなし』。いや、無ならまだしも、マイナスですらあると言いたい。歴史という最高級の織物の糸を一本ずつ抜いていってしまう湿気たコソドロ、そうやって徐々に徐々に国を潰してしまう迷惑な万引き野郎どもなんだな、あの手の連中は……
んあっ、ちょっと待って。虫がたかった!
うわわわ、どっかいけ!
いぃぃぃ!
ほれっ!ほれっ!
うわぁぁっ、もうっ!
ほれっ!
…ははは!今ね、ちょうど自販機の前をウロウロしながら電話してたらね、虫さんが私に抱きついてきてしまってね!いやぁびっくりした!ははは!まったく、旅先での一期一会ってこうも鳥肌が立つもんなんですかね!
え?突然大きい声出して何かと思った?ははっ、つまりは一期一会だったわけですよ。旅の途中で訪れた突然の出会いだったわけです。で、そんな出会いからのデコピンによる早速の別れだったわけです。こんばんはそしてさようなら!知らない土地の知らないお方!
それでね、日本文化ね。へへ、忘れてませんよ。その名も『岡山よりはマシ』という、この前あった笑うべき一期一会の一幕から私がひねり出した文化論ね。『なにもない』人種こそが日本文化衰退の、その退廃の、原因となっている罪人たちであると私は言いたいんだな。どうもあの立派な方々が数において優勢なせいで、この世の多くがあの人達に合わせて作られているように思うんだ。つまりはわかりやすく刺激的、ビックリドッキリサプライズの色がいっぱいでわぁたのしー!みたいな具合にね。街を見渡せば万事がその調子です。それはまるで彼らに合わせて作られたド派手な色の子供服。中間色に無限の豊かさを感じる大人の落ち着きなどは、現代から消え去ったんだよ。すべてを繊細に愛でることができるような豊かな感性は、無愛想な文明の歯車につまづいて倒れ、スタバが『あるか、ないか』という崇高な判断基準にその上からのしかかられて下敷きになり、もはや回復不能なまでにぺちゃんこになったのだよ!こうして人間精神の平板化、平準化は確固たるものになったのである!つまりは例の、愚鈍というエンジンを積んだ無のブルドーザーが最終的に勝利し、いまや颯爽と、かつボケっとしながら、プレハブまがいの凱旋門をくぐっているのだ!
………うわ、いやいやいや。ちょっと待ったちょっと待った。あっは、なんでしょうね、これは。なんか、私ずいぶん偉そうなこと言ってますよね?いやいやいや、何を言ってるんだか。今ね、ふと我に返りましたよ。ふと我に返って周りを見てみたら、ここ道の駅じゃないですか!そんな道の駅で、しかも現代がどうのこうのって、さっきまで虫がたかってた私がですよ?あっは、これはまずいなぁ!文化文化と偉そうに、お前何様なんだって話だよね!所詮シェイクスピアは福田恆存の翻訳でしか読んだことないくせしてさ。万葉集は這々の体で岩波版の三巻まで辿り着いたあと、これまた這々の体で四巻から逃げ帰り、それから五年以上も放置してるくせしてさ。で、もう一回言っておくと、さっきまで虫にたかられてたくせしてさ!それも道の駅にある、コカ・コーラ印の自販機の前で!
……ん?……いや、ありがとう。…うん、そっか。やさしいですね。でも、ふと我に返るってことも大事だよね、たぶん。特に夢中でベラベラ喋ってる時にはね。もしも今の会話を、私の馬鹿げた演説を聞いている人がいたとしたら、その人はどう思うだろうね。あ、ちょうどいい、これは私が長年温めてきた持論なんですが、そのへんで聞く他人の会話というのは、大抵の場合つまらないか不快なものだと思うんです。ま、『大抵』はさすがに言い過ぎかもしれないけどね。たとえばコンサート会場で、たとえばスポーツイベントで、入場のための列に並んでいる時なんかにそれは顕著で、そういう時に列の前後の奴らが話している会話のクソつまらなくてクソ不愉快なことときたら!そしてあの口調のうざったさ。ゲロ吐いちゃうよ!それも止めどなく川の流れのように!おい、ここ幕張メッセはoasisのライヴ会場でもなく、ここ鈴鹿サーキットはF1日本GPの開催地でもなくて、ゲロ会話の全国大会の会場なのか!?と叫びたくなるほどに、本当に私にとって、耐え難いものが多いんですよ。内容が空疎かつクソで、お調子づいたような口調は最悪の気持ち悪さで、笑う要素のない話のはずなのにその笑い声は下品で……おぉぉ……。
で、で!『で』なんですよ!だからこそ私は思うんですが、たぶん、おそらく、いや、間違いなく、私の会話も他人から同じように思われてるだろうってことなんですよ!自分に甘めに言ってみても、そう思われてる可能性が大いにあるってことなんです。だからこそ我々は注意しなきゃいけない、気持ちよくベラベラやってる時には尚更ね。『おやおやさっきから聞いてれば、文化が社会が精神がと偉そうにのたまっているくせに、お前の話はそもそも文意不明瞭でまとまりがなく、ジャングルの中のウッキャッキャの声とさして変わりがないじゃないか。崩れ行く文明社会の哀しき守護者みたいなツラして警世のお言葉を述べておられるが、その偽善的お口にはバナナを突っ込んどくのがお似合いというものさ。ああ、こんな与太話を列に並んで無理やり聞かされた日には内心で、こんな感想を吐くしかないし、感想を吐く前にまず、ゲロを吐くしかないよバカ野郎。おえっ』
こうした批評は当然受けるべき批評として、我々は常に意識していなければならないよね。外で話す以上はさ。他人の会話を聞いてゲロゲロって思うのなら、きっとその他人側でも、こちらの会話を聞いてゲロゲロって思ってる。それはまるで夏の夜の田んぼで鳴き交わす、カエルくんカエルちゃんたちみたいなもの。ゲロゲロっ、ゲロゲロっ。だから、なんていうか…ははっ。これを聞いている人がいないことを願うよ。まぁ、誰も聞いてないと思うけどね。
………ん?…あ、え、帰ってきた?ああ、じゃあもう切らなきゃだね。そっか。
はぁ〜、私たちにはいつだって時間がないね!話したいことは山ほどあるっていうのに!
わかったわかった、じゃあ最後に急いでまとめさせて。
きっとあのガキに言わせれば夜の長野、それも道の駅になんて『なにもない』ってことになるに違いないけれど、少なくとも私にはこの旅の夜風があるし、旅の夜風があるということは、つまりすべてがあるってことだよ。このひんやりとした空気に包まれた時間の中に、すべての感情や思い出が、澄み切った形であるってことなんだよ。そしてなにより!ああ、私にはあなたがいる。あなたがいればすべてがあるのと同じことです。あなたがいてくれるって思うと、実はすべてがあるこの世界の中で、たしかに生きているって感じられるんです。そういう意味じゃ、あのガキの言うことも正しいのかもしれない。なぜならあのガキにはあなたがいないのだから。そしてあなたがいなければ、たしかにどこに行こうが何をしようが『なにもない』のといっしょなのだから。というわけで!もう切るね。おやすみ。今度はもっと話せるといいね。うん、じゃあまた」
おやおや?ここまで辿り着いたということは、結局全部聞いてしまいましたね!聞き耳が立つにまかせて、脳味噌が意味を収集するにまかせて、他人の電話とその言葉を最初から最後まで聞ききってしまいましたね!キキキっ!いやいや、いいのです。人間にはそもそも最初から付属品として、聞き耳が付いているのですから、付いているものは使った方がいいという道理です。さらに、最初から付いているものというのはきっと天与のもので、何かしらの良き意味があって神様によって付けられたものなのですから、その使用はもはや、義務や使命とさえ言えるかもしれないのです。
でも…ちょっと待ってください。読者のあなたが、いや、聞き耳者のあなたが、先程の会話を聞いていた、そして聞けていたということは、当然あなたはそこにいたということになるわけですが、あれ、何で長野の道の駅なんかにいたんですか?りんごでも買いに行ったのですか?えぇっ、まだ時期が全然早いですよ!さらに言えばあなたは、どこに隠れて聞いていたんですか!虫がいっぱいの、コカ・コーラ印の自販機の裏側にですか?おつり取り出し口の中に入ってですか?はたまた自販機のコスプレをして真っ赤なメイクを施して、自販機になりきってですか!?うわぁっ!それって天与の義務のためならなんだってする、中世的精神を感じさせますね!
とはいえ、もう夜も深くなりました。先程の電話の方も車に乗り込んで、長野を縦断して山梨の方に向かおうとしています。彼の旅が良いものになることを願いつつ……はい、というわけですので、そろそろ神様からもらった聞き耳をぺたんと畳んで、これまた神様からもらった純正のケースにないないすることにしましょう。大事なものですので、丁寧にしまっておきたいものですね。もっとも、生きている以上はたぶんすぐにまた使うことになると思うので、ケースはバッグの奥の方などに突っ込んでしまわずに、取り出しやすい右のポッケあたりに入れておくのがいいでしょうね。入れましたか?はい、ではまた使うことになりましたら、その時は。
