【優しい奇跡】第50話 ― 嵐 〜前半〜 ―
守ると決めた、その瞬間から、
世界は、優しくなくなる。
沙羅の決断は、
静かに、しかし確かに広がっていった。
祝福ではなく、ざわめきとして。
理解ではなく、憶測として。
それでも彼女は、
声を荒げることなく、前を向こうとする。
嵐は、もうすぐそこまで来ている。
* * *
ーー城東市民病院。
病室に沙羅、真尋、相良。
重い沈黙の中、沙羅が静かに口を開いた。
「……私、産みます。」
小さな声。
でも、揺れていなかった。
相良は目を伏せ、ゆっくり頷く。
「分かった。」
一拍置いて、顔を上げる。
「じゃあ、私は最後まで沙羅ちゃんの味方でいる。」
真尋が深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
相良は微笑む。
その目の奥に、覚悟が宿る。
「でもね……」
窓の外を見つめる。
「嵐は、来るよ。」
* * *
ーー芸能事務所「Lueur(リュール)」。
社長は長い沈黙のあと、低く言った。
「……そうか。」
「決断したのか。」
「はい。」
相良の声は固い。
「それと……契約解除を望んでいます。」
「出産後は、子育てに集中したいと。」
社長は天井を見上げる。
「……そうか。」
「これからが、本番だな。」
机を指で叩く。
「スポンサーは動く。
マスコミも黙っちゃいない。」
「だが……」
視線を落とす。
「最終的に決めたのは、あの子だ。」
静かに、重く。
「守りきれるかどうかは、俺たち次第だ。」
* * *
ーー数日後。
事務所から各社へFAXが送られた。
ホームページに掲載された文字。
“契約解除のお知らせ”
数分後。
ニュース速報。
SNSの通知音。
《人気モデル、突然の契約解除》
《父親は誰?》
《事務所の管理体制に疑問》
コメント欄が、荒れ始める。
――無責任だ
――イメージ崩壊
――ファンを裏切った
――プロ意識がない
文字が、刃のように並ぶ。
* * *
ーー城東市民病院。
「こちらにモデルの沙羅さんが入院されてますよね?」
「妊娠は事実ですか?」
「父親は誰なんですか?」
受付でシャッター音が鳴る。
カメラのフラッシュ。
ざわめき。
廊下に、足音。
* * *
ーー病室。
真尋のスマホが震える。
「母さん?どうした?」
電話口の声が震えている。
「真尋……家の前にカメラを持った人たちが来てるの。」
「“妊娠してるって本当なのか”って……」
真尋の喉がひりつく。
「外に出るな。」
「インターホンも出るな。」
「絶対に。」
電話を切る。
部屋の空気が、重くなる。
テレビから流れる速報。
「人気モデル、電撃契約解除」
「未成年妊娠の可能性」
「父親不在の出産」
その言葉が、部屋を刺す。
沙羅はテレビを見ていない。
両手で、そっとお腹を抱えている。
指先が、わずかに震える。
「……私のせいだよね。」
その一言が、静かに落ちる。
真尋はすぐに首を振る。
「違う。」
「俺たちが選んだ道だ。」
沙羅は小さく息を吸う。
「……怖い。」
小さな声。
「これから、どうなるの?」
沙羅の呼吸が浅くなる。
でも、声は出さない。
(悠斗くんは、いないんじゃない)
(ここにいる)
お腹に、そっと手を当てる。
窓の外。
カーテン越しに、フラッシュが瞬く。
その瞬間。
涙が、一粒だけ落ちる。
嗚咽はない。
声もない。
ただ、静かに崩れていく。
* * *
ーー記者会見場。
相良がマイクの前に立つ。
「すべての責任は事務所にあります。」
「彼女は今、精神的にも不安定です。」
「これ以上の取材は、どうか控えてください。」
毅然と。
だが、目は赤い。
病室で、
沙羅は小さく口だけ動かす。
「……ごめんね。」
真尋には聞こえない。
だが、その唇を見て、隣に座る。
「謝るな。」
静かな声。
「俺と……悠斗がお前を守る。」
沙羅は、目を閉じる。
外では、嵐が吹き荒れている。
それでも――
お腹の中だけは、温かかった。
* * *
ーー第51話へ続く。
【作者コメント】
第50話は、
「決意の代償」を描く回です。
守ると決めることは、美しい。
でも、その先には現実があります。
世間の声。
マスコミ。
SNS。
イメージという言葉。
正しさだけでは進めない世界で、
それでも守ろうとする人たちの姿を書きました。
沙羅は強くあろうとします。
でも、強い人ほど、静かに崩れることがある。
今回のテーマは
「嵐の中で、声を出さない強さ」です。
次話では、
その強さが試されます。
第51話はこちら↓
https://note.com/hisa_yasuhiro/n/n2f0225d47569?app_launch=false
