教えることが、育てることとは限らない
先日のコーチング研修で、こんな質問を受けました。
「知識や経験がまだ十分ではない部下から、『わからないので教えてください』と言われたとき、どう関わればいいでしょうか?」
そこで、私から聞いてみました。
「そのとき、『あなたはどう考えたの?』『今の時点では、どう判断している?』と聞いていますか?」
答えは、
「聞いていません」
でした。
このやり取りが、少し印象に残っています。
もちろん、本当に知識がなければ判断できないこともあります。
安全に関わることや、初めて経験する仕事なら、上司がきちんと教えた方がいい。
だから、「教えない方がいい」という話ではありません。
ただ、正しい答えを知らなくても、
今ある情報のなかで考えることはできる。
私はそう思っています。
たとえば、正しいかどうかは別として、
「私は、こうした方がいいと思います」
と仮の判断をしてみる。
もし、それすら難しいのであれば、
「どんな情報があれば判断できそう?」
と聞いてみる。
すると、自分に何が足りないのかを考えることができます。
考えてみると、
「まだ若いから判断できない」
「経験がないから、こちらが教えなければ」
という見方には、少し不思議なところがあります。
判断する経験を積んでいない人に対して、
「まだ判断できないから」と答えを与え続けていたら、
その人は、いつ判断できるようになるのでしょう。
泳げないからと、ずっとプールサイドにいたら、なかなか泳げるようにはならない。
判断する力も、それに少し似ているのかもしれません。
そして、ここで大切なのは、質問のテクニックだけではないように思います。
「あなたはどう考える?」
と聞けるかどうか。
その背景には、
目の前の人を、どんな存在として見ているか
があるのではないでしょうか。
「まだできない人」と見るのか。
それとも、
「今の時点でも、自分なりに考えることができる人」と見るのか。
同じ部下を見ていても、その前提が違えば、かける言葉も変わってきます。
とはいえ、私自身も、つい答えを言いたくなることがあります。
その方が早い。
自分が知っていることなら、なおさらです。
そして、教えると相手の役に立てたような感じもする。
でも、人に関わる仕事をしていると、
「今、この人のために必要なのは、答えだろうか。それとも、考える時間だろうか」
と立ち止まることがあります。
答えを渡すことが、その人を助けるときもある。
問いを渡すことが、その人を育てるときもある。
どちらかが正解なのではなく、そのときの相手を見ることが大切なのでしょう。
「わからないので、教えてください」
そう言われたとき。
すぐに答える前に、一度だけ、
「あなたは、どう考える?」
と聞いてみる。
その小さな問いによって、相手が考え始めるかもしれません。
そして同時に、
自分は、この人をどんな存在として見ているんだろう。
そんなことに、こちら側も気づかされるのかもしれません。
