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60代、ひび割れた茶碗で生きる!

今から二年前のことです。

NHKのある番組で初めて金継ぎという日本の伝統工芸を知りました。

壊れた陶器を漆を使って接合し、修復する日本古来からの技法です。

金継ぎは、諸説あるようですが、室町時代から続いている茶の湯と共に発展し、そこには日本の侘び寂び、不完全の美が隠れているのです。

それは単に復元するのではなく、新しい命を吹き込む作業なのです。

どこか金継ぎのことが私の心の片隅にありました。

すると不思議なことに後日実際に金継ぎ師として活躍されている方との出会いがありました。

私はお話を伺ったときに、瞬間的に自分の人生と重なると感じたのです。

振り返りますと私にも人生において、様々な挫折や失敗がありました。

あの時ああしていれば良かったとクヨクヨしたり、必要以上に取り越し苦労をして明け方まで眠れずに苦しんだことも度々ありました。

でもその苦しみが私の人生に彩りを与えていたことも事実でした。

平坦な人生であったならば、仏縁を得ることもなかったでしょう!

以前の若くて健康で輝いていた頃の自分に完全に戻ることはできません。

60代をひび割れた茶碗で生きると腹をくくったときに星野富弘さんのこの詩と偶然出会ったのです。

私はこの作品の中に自力から他力に転じた星野さんの感性を感じるのです。

親鸞聖人の説かれた自分は悟ることの出来ない無力な存在であるという、

煩悩具足の凡夫と御同朋のメッセージ感じるのです。

絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。

欠けている者同士が、

一枚の画用紙の中に収まったとき調和のとれた作品になるのです。

これは私たちの家庭も社会も同じような気がします。

欠けていることを知っている者なら、助け合うのは自然なことです。

星野富弘氏著「ことばの雫」いのちのことば社より


 

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