藤原藥子の死に様
延暦(七八二年〜八〇六年)の御代よりして、長岡、平安と遷りゆく宮廷の奧深き帳のうちに、妖しきまでの美貌と底知れぬ野心をもつて男どもの心を狂はせ、遂には權勢の階段をのぼりつめたる女性ありき。
藤原式家の種繼が女、藥子これなり。
藥子は若くして同族の藤原繩主に嫁し、そのあひだに三男二女を儲けたり。
その長女が皇太子安殿親王の東宮に入るに及び、藥子もまた東宮宣旨として宮中に仕へ、親王の身邊に近侍することとなれり。
しかるに、やがて親王の心を捉へたるは娘にあらずして、その母なる藥子自身なりき。
安殿親王は年長にして既に人妻たる藥子を深く寵愛し、その關係は遂に父帝桓武天皇の知るところとなり、一時藥子は東宮より遠ざけられたりといふ。
されど、その情愛は斷たれず、親王が大同元年(八〇六年)に即位して平城天皇となるや、藥子は再び宮廷の深處へ返り咲き、尚侍の重職に就きたり。
かくて天皇の寵愛を一身に浴び、兄なる仲成と相結びて朝政に强き影響を及ぼすに至れり。
宮中の除目も政務も、すべては藥子の紅き唇より出づるが如く、公卿百官もその氣色を窺ひて平伏する有樣なりき。
されど、人の世の榮華は夢のまた夢、かりそめの花にすぎず。
みづからの美色と才智とを恃み、至高の權力に魅入られし女の前に、やがて音もなく暗き破滅の淵が口を開きそめたり。
大同四年(八〇九年)四月、平城天皇は病弱なる御身を理由として、皇弟神野親王に皇位を讓り給ひぬ。
嵯峨天皇の御世の始まりなり。
この讓位こそ、藥子の運命を暗轉せしむる決定的なる一打たりき。
主上みづからの御意志による御退位なりとはいへ、藥子にとりては晴天の霹靂ともいふべき事態なり。
みづからの權勢の源泉たる天皇が玉座を降り給ひし事實を、女の驕慢なる心は俄かには受け容れがたかりき。
尚侍として內裏に君臨し、萬機の奏上を左右せし日日は、一朝にして過去のものとなりぬ。
新帝たる嵯峨天皇の側近には、藤原北家の冬嗣ら才氣あふるる若き官人が集ひ、藥子や仲成らの專橫を苦々しく思ひゐたる者どもも、次第に新帝のまはりへと集ひ寄りたり。
昨日まで藥子の草鞋の塵を拂ふがごとく追從せし者どもが、いまや冷淡なる眼ざしをもつて遠卷きに見送るのみ。
朝廷におけるみづからの地歩が砂を握るが如く崩れゆくを、藥子は肌身にしみて覺りたり。
焦燥と怨嗟、そして權力への執着が、毒蛇の如くその胸中を噛み苛みはじめぬ。
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