「明治の義民」と呼ばれた男を。 田中正造
あなたはご存じだろうか。「明治の義民」と呼ばれた男を。
上州・佐野。農家の長男として生まれた少年は、幼くして農村の苦しみを身に刻んだ。
その名は――田中正造。

彼はやがて政治の道に進み、衆議院議員として名を馳せる。だが、田中正造の志は、地位や名声ではなかった。
「民を救う」――ただその一心であった。
時は明治。近代化の旗印のもと、日本は富国強兵へと突き進む。
だが、その陰で足尾銅山から流れ出す鉱毒は、渡良瀬川を下り、田畑を荒らし、人々の命を奪っていった。
誰も声を上げぬ中、田中正造は立ち上がる。議会で叫び、政府を糾弾し、真実を訴えた。
「議会は利権の巣窟なり! 官吏は人民を顧みず!」
その怒号は権力を震わせた。
だが、国の政策に刃向かう者は孤立する。仲間は去り、地位を失い、ついには議員の座も捨てた。
それでも田中正造は退かなかった。
明治34年、彼はついに直訴を決意する。天皇への直訴――それは死罪を覚悟した行動だった。
雨の中、宮城へと進み出た田中正造の姿は、まさに「命をかけた義民」の化身であった。
直訴は失敗に終わり、彼は投獄される。
だが、その不屈の精神は人々の胸を打ち、やがて渡良瀬川流域の公害問題を国家の課題へと押し上げた。
その不屈の精神は、人々の胸を打ち、渡良瀬川流域の公害問題を国家の課題へと押し上げた。
田中正造は晩年もなお、被害農民と共に歩み続けた。布団にくるまり、粗食に耐え、最後まで民の苦しみを我が苦しみとして生き抜いた。
田中正造。
明治の義民。
その生涯は、権力に抗い、民衆とともに苦しみ、正義にすべてを捧げた、ただ一人の政治家の証である。
