私がnote再始動を決めてもう一度書き始める3つの理由
止まっていたnoteをまた書き始めます
あらためまして、ひすいです。
新月に背中を押され、
止まっていたnoteをまた書き始めることにしました。
更新を止めてしまった理由は
忙しかった
何を書いていいのか迷った
結果、時間だけが過ぎていった
そんなありふれたものです。
くわしく説明しても仕方ないので
今日は
「なぜ、もう一度書き始めようと思ったのか」
について書いていきます。
理由1: noteの風が吹いてきた
noteに力を入れている人が私の周りに増えました。
「最近始めたんだ」と教えてもらうことも。
読みに行くと、とっても面白い。
次にお会いした時
「読んでます、すごく面白かったです」
と声をおかけすることも多いです。
その流れで
「……ひすいさんも書いたらいいのに」
「あ、書きます!がんばります!」
そう返事することも増えてきました。
これが単純に、理由のひとつです。
誰かの文章を訪ねて読むのも楽しいけれど、
行きたかったけど行けなかったライブや、ちょっとハードルが高いイベント(今なら大阪万博など)について検索して読むのもnoteは楽しいです。
テーマやハッシュタグが同じでも、
書く人が違えば、まったく違う景色が見える。
飽きない。
ということで
しょっちゅう来るのだから時々書こう
というのが理由その①。
理由2: どんな私も、ここにいていい
私はX(旧Twitter)での発信を続けて、今年で4年目。
ありがたいことに最近では、
SNSのつながりからリアルな場で人と会ったり、
お仕事をご一緒することも増えてきました。
時々、そういう人たちとお話していて
「そっか、この人には私のことをほとんど伝えていないんだな」
と気づくことがあります。
もちろん、それでもいいんです。
お互いの住まいやプライベートを知らない中で
(本名さえわからない人もたくさんいます)
楽しくお話できたり
スムーズに仕事ができるのは心が通っている証。
むしろ、奇跡みたいにすばらしいことです。
問題なのは
「私自身が、過去の自分を見て見ぬふりしていること」
なのです。
ちょっと過去の出来事に触れます。
少し長くなりますが、お付き合いください。
私は、10年前に夫を亡くしています。
発見も治療も難しいがんでした。
体調がすぐれず病院に行った時は
かなり進行して厳しい状況で
半年間の闘病の末、夫は旅立ったのですが
その時、私は
職場で激しいいじめと追い出しに遭いました。
理由は
通院の付き添いで有給を定期的に取っていたこと
そして
「辛気(しんき)くさい奴がいると職場が暗くなる」
という理不尽なものでした。
別に職場で泣いていたわけではありません。
淡々と仕事をこなす日々でした。
でも、闘病中で入退院を繰り返す家族がいるという事実が、社長や上司の中で重く引っかかっていたのでしょう。
「あんたがいると、みんなの気持ちが上がらない」
「帰っていい、もう来なくていい」
「ダンナの病気がうつったんだろう、あんたも病気だ」
と、心ない言葉を容赦なく浴びせられました。
(念のため書いておきますが、がんは人にうつりません)
毎週、夫の容態を報告するよう呼び出され
「で、結局ダンナの余命はいつまでなんだ」
と詰め寄られ
このままでは私のメンタルが持たないと思った頃に
夫は亡くなりました。
……あれから10年。
私は、穏やかに暮らしています。
亡くなった時の夫の年齢を数年前に越えました。
ずいぶん年上だと思っていたのに。
夫が亡くなったばかりの頃は、精神的にも経済的にも生きるのでせいいっぱいでしたが、今は少しだけ余裕が出てきました。
でも余裕が出てくると思わぬ弊害もあるものです。
贅沢をおぼえたり、意味もなく不安になったり。
人によってその弊害はいろいろだと思いますが
私の場合は
心に余裕が出てきたことで
周りと自分を比較するようになってしまいました。
完璧な人生なんてない。
やることなすこと成功しているあの人も
欲しいものはすべて持っていそうなあの人も
人知れず苦労した時期が必ずある。
頭ではそうわかっていながらも
誰かのキラキラした人生と自分を比べて落ち込む。
その時に
『自分の過去を消そうとする自分』に気づいたのです。
生まれてこのかた順風満帆だった『フリ』
イジメや人間関係のトラブルとは無縁だった『フリ』
悲しいことや苦しかったことなんて『なかったフリ』
それって
あの時の職場の人間と同じことをしているのではないか?
と思ったのです。
「過去の自分を思い出すと、気分が滅入る」
「自分の話をすると、場が暗くなりそう」
「消えていい、もう思い出さなくていい」
当時の自分に、今の自分がそう言っている気がしてハッとしました。
10年前の自分が
今の暮らしを築いてくれたのに
10年後の私は
なんてひどいことを考えているのだろう。
悩んだ自分も泣いた自分も
ここにいていいんだよ。
あんなに必死で、ここまで来たのだから。
そのことを
自分の言葉で
自分自身に伝える必要があると思いました。
こんなに長い自分語りは、Xではやはり難しい。
なのでnoteに書くことにしたのです。
長くなりましたが、これがふたつめの理由です。
理由3: 「人生のシナリオは自分で書く」書きたいけれど、うまく書けない時に
人生はクローズアップで見ると悲劇だが、
ロングショットで見ると喜劇だ
――チャールズ・チャップリン
いや、そうでもない。
というのは置いといて……
人生を舞台や演劇に例える気持ちはわかります。
さらにいうと、夫が亡くなってからの私は
「自分の人生のシナリオは自分で書く」
という心意気で生きてきました。
脚本も演出もやる、主演女優(!)です。
とはいえ、シナリオ通りにいくことばかりではありません。
そもそも出演者たちは
セリフ通りに喋らないし、
突然ヘンな奴が現れて
わけのわからないアドリブで
場をぶち壊すこともあります。
最後まで舞台に出てくれると約束したはずの夫は
ずいぶん前にいなくなってしまいました。
「夫さんのお墓ができたらまた来ますね」
と言ってくれた友達は
どういうわけかお墓ではなく
夫に会いに行ってしまいました。
夫が亡くなったあと
2人5脚(?)で支え合ってきた愛犬も
4年前に天寿を全うし、舞台にはいません。
でも私はこれからも、人生のシナリオを書き続けます。
自分の人生を、誰にも委ねず、自分で決めるために。
そして、
人生は表舞台でスポットライトを浴びている時ばかりではありません。
隠れるように入り込んだ、誰もいない暗い会議室
涙で曇ったフロントガラスと運転席、車の匂い
明かりを消したくない、心細いひとりの部屋
人生には、そんな『絵にならないワンシーン』も数多くあります。
ほんの少し、穏やかな気持ちで息をつけたら。
そんな時も、人生にはあるものです。
まとめ、そして再始動
再始動にあたり、noteでの名前も変えることにしました。
英語で「楽屋」を意味する "Greenroom" に。
人生の舞台があるなら、楽屋があってもいい。
そこでひと息ついたりお茶を飲んだり、
美味しいものをひとくち食べたり、
次のシナリオを書いたりしたい。
『私の人生』という作品はまだ途中なのです。
さらにいうと
人生の舞台は人の数だけあり、楽屋は無数にあるはずです。
私の舞台から去った人は
どこかの楽屋でひと休みしているだけかもしれません。
そして、私の楽屋とあなたの楽屋は意外と近くにあって
ふとした休憩でばったり顔を合わせることがあるかもしれません。
そんなことを思いながら──
再始動します。
これからも、『私の物語』を書くために。
人生の楽屋からは以上です。
