自分の機嫌を自分で取る話
『自分の機嫌は自分で取る』という言葉をネットでよく見かけます。
もとは誰の言葉なんだろう?
なんて調べてみたら、こんな記事を見つけました。
(この記事の妙に明るいトーンが『機嫌の取り方の難しさ』を逆に教えてくれている…)
そうそう!思い出しました。
この頃は私もまだテレビを見ていて、この言葉をテレビで見かけた気がします。
今回はこの言葉がテーマです。
というのもこの前、知り合いの女性と食事をしていて仕事の話になり、彼女が
「ほら、『自分の機嫌は自分で取ろう』っていうじゃない?しょうがない、うまく付き合っていこう、って思ってるわけよ」
と言ったのです。
「そうですねえ」
と私は相槌を打ちながらも、なぜかちょっとモヤッとしました。
私、なんでモヤッとしたんだろう?
今日はそのあたりを言葉にできたらと思い、これを書いています。
とかく「こうあるべし」という文脈で語られがちな『自分の機嫌は自分で取る』という言葉。
でも苦手な人もいるようです。
「『自分の機嫌は自分で取らないと…』と自分を追い詰めてしまう」
「落ち込んだままの自分を見て『自分の機嫌すら取れないなんて』とさらに落ち込む」
「感情まで『自己責任』を強要する社会はどうなのか」
みたいな反対意見を見かけて、うんうん、それももっともだ、と思う私です。
だいたい、不機嫌な態度を周りにぶつけるような人(今は”フキハラ”っていうんでしょ?)には、『自分の機嫌は自分で取る』なんて言葉は目に入りません。
結局、フキハラ人間の不機嫌でダメージを負った人が、『自分の機嫌は自分で取らなきゃ…ううう…』と自分を追い詰めている構図が浮かんでくるのです。
『自分の機嫌は自分で取る』という言葉で、思い出すことがあります。
むかしむかし、私が大学生の頃。
母が入院したことがありました。
検査で不調が見つかって、手術することになったのです。
見た目は元気だし、母自身も「自分でも噓でしょう!?って思ってる」と言うほどだったのですが、手術と聞くとやっぱりショックで。
その頃、私はお付き合いしはじめた他大学の男の子がいて、時々一緒に出かけていました。なので「次はどこ行く?」という会話の流れから母の話をして「だから来週は無理かも」と伝えました。
そうしたらその人、聞くなり
「えー?お母さん、ヤバいの?」
って言ったんです。
いや、その聞き方。
って思ったら、サーッと気持ちが冷めてしまって。
次の日その人に「もう会うことはない」と電話をして、そのまま大学も休んで、私はさっさと実家に帰ってしまいました。
母の手術はうまくいき、退院後も私はしばらく実家にいて、一緒に買い物に行ったりおしゃべりしたりしてのんびり過ごしました。
1か月後。
大学に戻り、授業を受けた帰り道、友達が声をかけてきました。
「ひさしぶり。ずいぶんサボってたじゃん」
いや、いろいろあったのよ、と私。
友達は笑いながら
「あ、言い訳?なになに?聞くよ」
と言って、このひと月の出来事を聞いてくれました。大学から駅まではけっこう距離があったので、ぶらぶら歩きながら。
母が入院したこと。
付き合いかけていた彼氏と別れたこと。
母の退院後は、実家でのんびり過ごしていたこと。
最後まで話し終わると、友達は
「ちょっと、そういうのダメだから」
と言いました。そして
「そういうことはちゃんと話してよ、……いや、自分から言いづらいなら『そういう顔』をしててよ。
感情を隠して、何ごともなかったような顔をしてたら、俺らはいつもみたいに接しちゃうじゃん。
悲しい時は悲しい顔をして、頭にきてたら怒ってていいんだよ。
そうしてくれれば、俺はさっきだって『どうしたの?何かあった?』って話しかけたのに」
って言ったんです。
その時、私はなんて答えたのかなあ。
私はそれまで、泣くとか怒るという行為は、負の感情を爆発させる『悪いこと』『みっともないこと』だとずっと思っていました。
私はよく泣きよく怒る、面倒な子どもだったので、両親にも「怒るんじゃない」「泣かないの!」と叱られることが多かったし、くやしい時も悲しい時も、過呼吸になりそうになりながら、涙や怒りをこらえていたものでした。
要は言葉こそ違えど「自分の機嫌は自分で取れ(コントロールしろ)」と言われてきたわけです。
その思い込みを、友達は軽々と乗り越えてきたのです。
だから、本当にびっくりして。
なんて答えたかは思い出せないけど、強く印象に残っています。
LINEで本人に聞いてみようかとも思ったけど、きっとこの出来事そのものを、友達は覚えていないだろうなあ。
『自分の機嫌は自分で取る』ことは大切です。
大切ですし、自分の機嫌を自分で取れたら自分もラクです。
でも自分の機嫌を自分で取れることはあくまで理想で、本当に大切なのは『人間はそう単純じゃない』と知ることなのではないか、と思います。
『自分の機嫌を自分で取れたらいいのにね』くらいの感じで考えたらいいんです。
そして、みっともなくて面倒な自分を認めること。その上で、若干みっともなく面倒な状態になっている誰かを、ちょこっとだけラクにできたらいいな、と思うのです。
話は最初に戻って。
私がモヤッとしたのはたぶん、適当に聞き流してしまった自分のせいです。
あの時
「まあ、そうは言いますけど難しいですからね。またこうやってごはんでも食べに来ましょうよ」
と言えばよかったんだ、と気づいたら気持ちがすっきりしました。
連休後に、今度は私から連絡してみようかな。
