天へ向かって飛翔するいのち——サマネちゃん
〔6月6日付 日記〕
昨晩、イランにいる義弟の家に、女の子の赤ちゃんが無事に生まれたことを知った。
「サマネ(Samaneh)」ちゃんと名づけられたそうだ。
「سما(Sama)」――“空” や “天” を意味する言葉に由来し、「高み」「天空のようなもの」「崇高さ」「天上の」といった響きを持つ名前だという。
ヘブライ語の shamayim や shamayi とも語源を同じくする、あの “天” の感覚。
天翔けゆくいのち。
死と破壊の厚い雲に覆われている現在のイラン。
しかし、そのような闇には一切触れることなく、ただ天へ向かって飛翔するようないのちが、この地上に生まれてきた。
そのことに、闇を突き破ってなお差し込む、神の光の輝きと希望を感じている。
サマネがこの世に生まれて、一か月半ほどが経った。
これまでに分かったことが二つある。
一つ目。
この子は、何かこの世のものではないような愛らしさのオーラに包まれていること。
二つ目。
この子が、先天性の障害を持って生まれてきたこと。
おそらくダウン症、あるいはそれに類するものではないかと言われている。
聞くところによると、敬虔なイスラム教徒であるサマネのパパとママは、
「どんな子であれ、胎に宿った子は神様からの贈り物」
と信じ、出生前に、その子が健常児であるかどうかを調べる検査をあえて受けなかったという。
どのような姿で生まれてきたとしても、その命を預かる者として、大切に育てたい——。そう願う家族の元に、サマネは生まれてきた。
戦時下の今のイランでは、子どもを授かっても、経済的困窮によって苦しい選択を迫られる夫婦が少なくないときいている。
戦争、貧困、社会的不安。
さまざまな重圧の中で、数知れない小さな命がこの世に生まれる前に失われている。
そして、もしお腹の胎児に障害の可能性があるならば、その命がこの世界を見る前に絶たれてしまう可能性は、さらに高まる。
写真の中で、ベビー服にすっぽりと身を包まれたサマネが、大きな澄んだ目でこちらを見ている。
「サマネちゃん、すごいね。」
私は、この小さな命に向かって語りかける。
あなたの周りは、四方八方、死の力に囲まれていたはずなのに。
あなたはまるで、きらきらと輝く光の塊のように、厚い死の層を突き抜けて、この世界へやって来た。
生命に満ちて。
喜びに満ちて。
狭い狭い命の関門をくぐり抜けてきた、いのちのトップランナー。
サマネちゃんのおじいちゃんは、ムッラー(mullah)。
ターバンを巻き、立派なひげをたくわえたイスラム聖職者。
そのおじいちゃんも、今、孫娘のサマネちゃんに夢中なのだという。
そして、おばである私だって、ムッラーじいじに負けないくらい、サマネちゃんに夢中だ。
サマネちゃんは、その愛くるしい存在を通して、
私たち大人の間に立ちはだかる、
分厚い政治的・宗教的な分断線に、
一瞬にして、かわいい橋を架けてしまった。
そう。
イランの髭のムッラーと私は、
「サマネ・ラブ」
という共通の愛の対象によって、あれよあれよという間に結びつけられてしまったのだ。
サマネを中心に世界を見ると、ものごとの見え方がまったく違ってくる。
人間が作ったさまざまな分断線や対立軸は、決して天にまで届く絶対的なものではない。
そのことが、理屈ではなく、実感としてわかる。
人間が引いてしまった境界線。
引かざるを得なかった境界線。
しかし、そのすべてを超え、今、一つの小さないのちが私たちを結び合わせている。
この世で最も小さく、弱いものを通して顕される、
圧倒的な神の愛と力。
汚れなき、無垢なたましいは、
翼を広げ、
分断線の山々や死の谷々の上を軽やかに駆けてゆく。
そして今日もこの世界に、
愛なる方の存在を、
静かに、力強く、
歌い続けている。
