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歯が痛い|5月16日~23日|伏屋敦

●歯がずっと痛い
水平埋伏智歯というらしい、横向きで歯肉の中に埋まった親知らずの下敷きになった、さらに奥まった肉の中に埋まっている臼歯を、16日の午後にすごくがんばって抜いてもらった。そんなことできるんですか?と聞いたら、やると決めたら気合いでやるしかないんです、と言っていた。建物を破壊するとき、塵をおさえるために水をぶっかけながら作業しているが、あれとほとんど同じことが口の中でおこなわれており、同じような轟音が響いており、おそろしかった。それからずっと歯茎や頬や顔のあちこちがすごく痛い。そのことはもちろん快適ではないのだが、不幸せというわけでもなかった。信頼できるお医者さんに診てもらっているし、治りは悪くないと言われているし、鎮痛剤を飲めばもちろん耐えらないほどではない。それになにより、痒みの混じったしくしくした痛みだとか、血と膿の混じった唾液の生臭さだとかを、こうして歯肉を切って骨を削って傷口を縫った人たちは同じように経験してきた、現にしているのだと思うと、日頃自分だけが、自分だけの感じ方で感じているのだと思い込んでしまいがちな、固有のだるさとか、固有のやる気のなさとか、固有の虚しさとかとは決定的に違った不快に思われてくる。野鳥の足に目印を結びつけて空に戻し、のちに再び観測されたときの「この鳥」みたいな「この不快」。識別されうる不快。おんなじ誰かもおんなじ空を見てる、という歌のフレーズをふと思い出す。私はひとと違うことが恐ろしいから、特定の手順に従って歯を引き抜いたあとのこの具体的な痛みが、歌われた空みたく共有可能である気がして、なんとなく安堵をおぼえてしまう。鏡をのぞくと頬がまんまるに腫れている。さわると力こぶみたいに硬い。

●歯を痛めつける
抜いてもらった臼歯、これは親知らずではないから、なんと呼べばいいのかわからないが、7番、とたしか名指された臼歯を、むかしダイソーかセリアかキャンドゥかで買った小さな金庫に古いスマホと一緒にねじ込んで、犬の誕生日に数字を合わせてダイヤル式のロックをかけ、銀杏BOYZを大音量で流しながら放っておいた。古いスマホはWi-Fiによって手元のスマホやパソコンと同期しているので、Spotifyでいま何を再生しているのかが逐一わかった。スマホのバッテリーがいつまでもつか不明だが、江口寿史のイラストがあしらわれたアルバムの12曲目がおわったあたりでいったん監視を中断した。あばら家みたいな不格好なものが写ったレントゲン写真によると、臼歯は下顎の骨と癒着している疑いがあり、矯正治療によって動かすことは難しいとの判断がくだされた。それで、本来なら真っ先に取り除かれるべき位置にあった親知らずの方が残され、臼歯が引っこ抜かれることになったのだった。担当の先生は、やっぱり動かなかった、先にこれを抜いて正解だったと手術をおえた後で言った。めずらしく安堵の滲んだ口調だった。その動かなさは、ただ口を開けて寝台にあおむけになっていただけの私にもよくわかった。歯科医というのは技術だけでなく腕力が必要な職業なのだと(文字通りに)痛感させられた。ドリルで削ったあと、ヘーベルという器具を引っ掛けて歯を浮かしたり引っ張ったりするのだが、たいへんな力がかかっているのがわかった。顔がぶっ壊れるんじゃないかと思いました。へらへら笑ってそう感想を言いたかったが、先生は仕事が済むとさっさといなくなってしまった。私もへらへら笑う余裕はなく、寝台からおりると足元がふらついた。7番の臼歯はいくつかのパーツにわかれて私の手元に残ったが、それは肉の中にできているだろう空隙のかたちを想像するには全然頼りない、ポン菓子のような小さい粒にすぎなかった。月の光を二万年浴びた石は魂を持ち精霊になると聞いたことがあるが、歯はどうなるんだろう。私は長くだらだらした眠りから覚めて(傷の回復のためか鎮痛剤のためか、毎日ありえないほど眠かった)、Spotifyの画面をチェックする。100円の金庫はよほどぶあついのか、爆音で鳴っているはずの音楽がここには届かないが、アルバムを何巡もループして歯はさきほどのアルバムの2曲目を聞いているようだ。クラッシュ・キル・デストロイ、クラッシュ・キル・デストロイ!

●歯が痛くなる予定だった
意見が分かれ、負けろっと念じて出したぐーできれいに勝ってしまった。希望を通したいわけではなかったのに。そもそも選択肢を提示されたとき、ステーキが食べたい、と深く考えずに口走った僕がばかだった。第一にステーキを食べるころには歯が痛い予定なのだったし、第二に、この街の飲食店には何も期待してはいけないのだった。会社のお金で飯を食う、ということについて、嬉しいと思う気持ちはこの二年ほどですっかり萎んでしまった。職場の人たちが毎日遅くまで働いて、なかなか合わないスケジュールをむりやり調整して集まっても、清潔感のない店の狭いスペースにぎゅうぎゅうに押し込まれ、うるさいところで美味しくないものを食べるような、そんな予算しか与えられないだなんておかしすぎる。でも、年長者や稼ぎ頭が不満を表明しないのに僕が表明するのはおかしい、だから僕は何も言わない、言えない。あらかじめコースのメニューを知らされていたが、一見豪華な食べものたちはすべて大皿に盛られて出てきた。誰かが気をつかって取り分けなければいけない。端にいる人が? 年少者が? 真ん中に置けば全員から届かなくはないが、それはそれで面倒だし、そもそも自分の箸を料理に突っ込んでもいいのかどうか。こんなのはなんでもないことだろうか。QRコードでドリンクを注文すると、店員はテーブルに叩きつけるようにグラスを置いていき、テーブルの端にいた僕はその打撃音をまともに浴び続けた。誰かの怒りがこうして少しずつ、小分けにされながら別の誰かに投げつけられ、また別の誰かへ投げつけられ、運の悪い誰かが何かを破壊するのだろうか。あるいは、そうでなければ壊れてしまう誰かが歌をつくってレコードにするのだろうか。ステーキということになっている固い肉片をみんなで二切れずつ食べ、誰かがほぐしてくれた兜焼きを6人で取り分けた。気づけばずっと何かを取り分けたり、取り分け損なったものをながめたり、遠慮し合って残っているものを気にしたりし続けた。労働だと思った。デザートはわらび餅で、ふつうの小皿に盛られていた。美味しそうだった。それが6人分だった。ひとり一切れだった。こんなことなら事務所でピザでも取った方がましじゃないのか、といつも心の底から思うのだが、どうしたらそれが実現できるのかわからない。あるいは会社が出す予算の上限におのおのが千円か二千円加えたらどうだろうと思うのだが、どうすれば実現できるのかわからない。ぶるぶる揺れる餅をひとつしかないフォークで自分の皿に移しながら、だいぶみじめな気持ちになってしまい、会話を盛り上げようとする努力も払えずにいる自分を、しかし責めたら終わりだ、と、思った。ごん、と店員がジャスミン茶のグラスを乱暴に置いていく。


伏屋敦
アラフォーの会社員。ロングスリーパー。犬LOVER。
日記、エッセイ、小説を書く。


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