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銀梅花とマートルのあいだで

庭に咲く白い花を、俺は長いあいだ「銀梅花」と呼んでいた。
和名のその響きには、湿度を含んだやわらかさがある。
梅に似ているから銀の梅──
その名の奥には、異国の植物を自分たちの言葉で受け止めようとした
誰かの痕跡が沈んでいる。

だが、香りを吸い込むと、
花は日本語の輪郭から離れていく。
透明な冷たさと、わずかな甘さ。
“銀梅花”よりも“マートル”という名のほうが、
その香りには近い。

マートル──
乾いた風、白い石壁、深く輝く緑。
行ったことのないエーゲ海が、胸の奥で揺れはじめる。
地図の海ではなく、
世界がまだ柔らかかった頃の、始まりの海。

香りはそこへ俺を連れていく。
風は柔らかく、音はほとんどない。
その静けさの中で、
自分の祖先もここから来たのではないかという錯覚が生まれる。
血の記憶ではなく、
太古から続く、帰る場所への郷愁。

「銀梅花」と呼ぶとき、俺は日本の庭に立っている。
「マートル」と呼ぶとき、俺は物語の庭に立っている。
同じ花なのに、名前が変わるだけで、
世界の光の色が変わる。

今年も白い花が咲いた。
俺はその花に顔を近づけ、深く息を吸う。
香りの奥で、二つの名が重なり、
ひとつの緑の光になって揺れている。

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