宝物をお守りにして
「あなた、お守りよ」
棋士編入試験の最終局を迎える朝、妻が小さな皮袋を私に手渡した。手のひらに収まるほどの大きさで、丁寧な縫い目が美しい。
「革職人さんにお願いして作ってもらったの」
「本革なのか? 高かったんだろ」
そう聞くと、妻はいたずらっぽく笑った。
「ふふふ。どこにでもある合皮よ」
私は袋を指先でなぞってみた。しっとりと手に吸い付くような、上質な質感だ。
「合皮にしては、ずいぶん手触りがいいな」
「でも、合皮のこと、詳しく調べないほうがいいよ。本革との違いとか、寿命とか、知っちゃうと、この袋を見るたびに『本革じゃない』って思っちゃうかもしれないでしょ」
私は苦笑した。
「そんなことで気持ちは変わらないさ」
袋を開く。
中には、青く透き通った小さなシーグラスが入っていた。初めて二人で海へ行った日、波打ち際で妻が拾って「宝物にするわ」と笑った、あの青いガラス片だった。
「今度は、あなたの宝物。あなたは絶対に勝てるわ」
私はお守りなど信じない。だが、妻の言葉は信じる。
◇
将棋の棋士編入試験は現役プロとの五番勝負。ここまで二勝二敗。今日勝てばプロになれる。負ければ、夢はまた遠ざかる。
盤上は終盤戦。読み切ったはずの変化を、もう一度頭の中でなぞる。
指先がお守りの皮袋に触れた。合皮でも、本革でも関係ない。支えてくれているのは、妻の気持ちだ。
私は静かに最後の攻めへ踏み込んだ。あと一手。もうすぐ詰みだ。
相手は長く盤面を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、頭を下げた。
「負けました」
その一言で、長かった夢が現実になった。
◇
控室へ戻ると、妻が飛びつくように抱きしめてきた。
「合格だ!」
私は皮袋を掲げて笑う。
「このお守りのおかげかな」
妻は首を横に振った。
「違うわ。あなたが勝ち取った合格よ」
私は皮袋を握り直す。
中身がシーグラスでも、袋が合皮でも、このお守りは私にとって本物だった。
妻が朝、「調べないほうがいいよ」と言った理由が、今ならわかる。調べて分かるのは、袋の素材だけ。私はただ、その温かさをもう一度確かめるように握りしめた。
(了)
おめでとうございます。
はれるや( ´ ▽ ` )ノ。です。
はらとけいさんの企画に参加します。
よろしくお願いします。
#せりふ三題噺 #調べないほうがいいよ #合皮シーグラス将棋
では、今日はこのへんで。
はれるや( ´ ▽ ` )ノ。
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