物語が生まれるとき〜親征・日向坂
しん‐せい【親征】
読み方:しんせい
[名](スル)天子がみずから軍を率いて征伐に出ること。
2025年11月、日向坂46五期生による『新参者』公演のインパクトは未だ消えること無く、脳裏に胸の奥にと居座り続けている。いや、居座る/居残る、などといった残滓のようなものではもはやなく、確実なごく近い未来への希望として、消えないでくれていると言っていい。
思えば、『新参者』とはそれ自体がひとつのストーリーである。開幕1ヶ月ほど前から始まるリハ期間、そして迎える初日、そこからまたおよそ1ヶ月にわたって10公演行われる中での疲弊と成長の記録。本番期間においては、幸運にもチケットを得られた現地観戦組、中間地点と千秋楽に設けられたその時を心待ちにする配信勢、さらにネタバレ上等でインターネットを闊歩する面々などの間で起こる情報格差と、徐々に染み入るようなその情報の浸透度もまたストーリーを味付けする。今回はそれに輪をかけて、日向坂46の全国ツアーが同時に進行しているという事実が、五期生たちにとっては容赦のない試練として突きつけられた。
個人的には、情報管理をある程度徹底していたため、1つ目の配信を観たあとに、セットリストがAB2つあるという事実を知り、千秋楽を必ず観なければいけないという決意ができたわけだが、ほとんど異なる2つのセットリストによる合計33曲もの披露という大きな試練が、全国ツアーと並行する中で五期生に対して課せられていたなど思いもよらなかった。
全国ツアーの最終公演場所となる代々木3DAYSを体調不良で欠席することとなった高井俐香は、メッセージやブログから垣間見られるその憔悴しきった様子が心配になるほどであったが、新参者後半の4公演にはしっかりと立ち直って合流してみせた。
その代々木公演後に、やはり体調不良で11月24日の新参者2公演を欠席して悔しさを滲ませた最年少・坂井新奈も、千秋楽を含むラスト2公演に復帰して見事な締めくくりの原動力となった。
おそらくファンの誰もが想像だにしなかったこのあまりにも高いハードルが、紛れもなく最重要の舞台装置となっていたのである。あてがわれるように課せられた「物語」はなく、物理的に試練として課せられた「事実」が重かった。その中で、日向坂46五期生が10人揃って最高の笑顔と涙で千秋楽を迎えるなど、その事自体が信じられないほどの奇跡だったと言える。
五期生たち自身が生み出した目標である「好きを超えろ」という言葉の一つの解釈が、この乗り越えるべき試練としての「事実」に立ち向かうための檄だとしたとき、なんとしても10人それぞれに素晴らしかった千秋楽までのパフォーマンス、そしてそこに至るまでの苦難と葛藤に思いを馳せて称賛の言葉を伝えたい。今まさにこのタイミングで綴られ、公開されつつあるメンバーひとりひとりのブログはまさにその記録である。
そして、大野愛実だ。
その突出した表現力と存在感はすでに誰の目にも明らかで疑いようがない。並行して行われていた全国ツアーにおいては、話題沸騰と言ってもよい『恋した魚は空を飛ぶ』を筆頭に、特にそのパフォーマンス面での実力を見せつけた。この新参者においては、それに加えて、精神力やカリスマ性といった部分でも、違いを見せてきたと思える。
自らが持つ解釈の力、それを発現させる力、加えてその高さまでチームの水準を引き上げる波及力のようなものが彼女の特性なのではないか。周りの五期生9人、自身主役級のポテンシャルを持ったメンバーが何人もいる中で、大野の視座の高さによってさらにそのパフォーマンスが引き上げられているように思う。
千秋楽のスピーチの中で大野は、涙と震えをこらえながら、高ぶる自分の想いを吐き出した。ただ、その文脈はやはり「日向坂46」の中にある。今、大野愛実の主語は「日向坂46」である。誰よりも「日向坂46」を好きな自分を媒体として「日向坂46」を表現しようとしている。
いつか、アイドル・大野愛実が自らの「好きを超える」瞬間を見ることができるだろうか。
少なくとも僕は、当分の間、「大野愛実」から目を離すことは出来ない。
やはり、「試練」であった『新参者』を見事に乗り越えてみせた日向坂46五期生の10人。一人ひとりの「物語」が、彼女たちのことを好きだと叫ぶファンのもとにあるだろう。すべての締めくくりに、彼女たちは堂々「日向坂46」を名乗った。
王の軍列は、本陣に合流する。
