日々は動き 今が生まれる ーSixTONES結成10周年
SixTONES、結成10周年おめでとうございます。
19:59
SixTONESがとっても大事にしている"6人が集った日"をファンとして迎えるのはまだ2回目だけれど、昨年も今年も、なんだか妙に嬉しくて、数字だけでこんなに浮つける自分のチョロさに呆れつつも、彼らがくれた幸せはひとつも否定せずに生きていたいのでこれも有難く享受する。
5月1日の私はとてもご機嫌だ。あらゆる信号に引っかかっても不機嫌にならないし、当たり前みたいに授業を延長する教授にも、たくさん人がいる部屋の冷房を独断で点ける人にもイライラしない。
…記念すべき10周年なのに、何を書けばいいか分からない。SixTONESを好きになってまだ1年半、いや、もう1年半?ずっと新鮮な楽しさとか、見たことのなかった光とか、そういうものをたくさん見せてくれるSixTONESに飽きることなんてないのだろうなぁと思いながら、しかし最近彼らに抱く大好きを言葉にしようとすると何かがそれを引き留める。
YOUNG OLD、最高だった。感じたことを殴り書きしているメモが、途中で止まっている。
北斗くんがANNのMCを務めた1か月、いつもの安定の最高とは違った高鳴りを届けてくれて、その中で北斗くんと5人のいろいろな関係を垣間見て、素敵だな美しいなと思って書き始めたnoteが、1000字で止まっている。
どの気持ちも紛れもなく本物で、私はSixTONESも北斗くんも大好きで、それなのに彼らへの言葉が喉元でつっかえるようにして滞留する。
昨年の結成日に自分が上げたnoteを読み返してみた。あんなに衝動がそのまま表出したようなnoteを書けていることに驚いて、ちょっと笑った。あそこが好きだ。このひとのここが素敵だ、大好きだ。このひとにこんな光を見た。ころころと話題を変えながら綴られたSixTONESへの拙いラブレターのような文章に、ちょっと小っ恥ずかしくなって、それでも溢れる感情と言葉を無心にキーボードで叩き続ける時間の幸福を覚えているし、今でも同じようなことを思っている。けれどきっと今書いてもああはならないだろう。あの時にしかない勢いだった。
SixTONESを好きでいることが、自分にとって日常になった。
あの新規ハイのような時間の有効期限は緩やかに切れて、けれどそれは全く悪いことではなかった。初期衝動のような過去の自分のnoteを読んだら共感できるし、今も同じ、もしくはそれ以上の熱をもって彼らを愛している。これからもずっと、頑張らなくても好きでいられると思う。
五大ドームが決まったときも、初の地上波冠レギュラー番組が決まったときも、自分のことのように嬉しかった。おめでとうと大好きがどうしようもなく長々と溢れるのをなんとか140字にまとめてネットに放流した。
SixTONESが大好きだという、1年と少し前の私にとっての非日常寄りの日常がいつしか自分に馴染んで、それは限りなく日常に近づいた。
毎日ブログを読みに何度かサイトを訪れる。金曜の昼にアップされるYouTube shortsのタイトルを授業中だけれどそっと見て、バイトが終わった後の夜ご飯を食べながら観る時間を想像する。
カレンダーに黒とグレーの狭間のような色で表示される映画の公開日やリリース日。情報解禁と共にカートに入れられたCDやDVD。あまりにも自然に部屋の風景の一部になっているVVSのジップロック(お菓子を入れている)。スマホの裏やパソコンにさり気ないつもりで挟んだツアーグッズやハルキゲニアのステッカー。
私の日々の中にSixTONESは当たり前のようにいて、2年前には全然知らなかったひとたちをこんなに毎日感じようとしている。
あまりにも自然に彼らのことが大好きな日々になったから、ときどき、殊更に言葉にしなくてもいいかなぁと思うようになった。
それは私の中の焦りに似た感情が減ったからだ。
今言葉にしないと逃げてしまいそうな気がする。今すごく好きだけれど、これを通り過ぎてしまったら自分の気持ちを言葉に出来ないまま、彼らへの好きがたんぽぽの綿毛のようにふわふわと散らばってしまうのではないか。そう思うとひとつも逃さずに全部書きたかった。
けれど今、そうは思わなくなった。言葉にしなくても、彼らのことが大好きだった。彼らへの好きはそんなに軽く散らばれるものではなくて、大きな石で抑えられてどんな突風が吹こうが大雨が降ろうが消えないものだと直感的に信じられた。別にそこに保証は要らない。もし消えたとしてもそれは誰も悪くない、自然現象だろう。それでも私はずっと彼らを好きでいたいし、好きでいられる。根拠も確信もないけれど、そうやって感じられるだけで私はとても幸せで、安心する。
そして一方で、言葉にすることに勿体なさを感じるようになったからでもある。
SixTONESを眼差し続けて彼らへの好きが増えていく度に、それは私の心の中で様々な形になって積み重なり、絡み合った。解けない知恵の輪のように、複雑に入り組んだその形ごと、大切だ。
言葉にすることは、その一部分をジェンガのように抜き取って眺めたり磨いたりすることで、それはとても美しくて楽しくて素敵なことだけれど、いま、私の心の中にこの瞬間だけ存在する感情の形をもう少しこの形のまま持っていたいなぁと思うことがあるのだ。
こうして日常にSixTONESが入り込んで、それが心から嬉しくて尊くて、だからときどき、その嬉しさをお気に入りのクッキー缶に詰めて誰にもバレない場所に仕舞っておきたくなる。
けれどこの"日常"になったものは、彼らを見つけて、たくさん幸せの材料や幸せそのものをもらって、それに生きる理由や力をもらってじゃあ明日も頑張ろうかと思って成り立っている、彼らと出会わなかったら在り得なかった日常だ。出会わなかったらもっと色彩の薄い日常だっただろうから、だからやっぱりSixTONESに伝えたいのは何よりも、ありがとうなんだ。
21:40
ここまで書いてロクオンを観た。
すみません言葉にしなくてもいいとか勿体ないとかほざいてましたけど全然めちゃくちゃ言葉にしたいです、この衝動を連れてきてくれるSixTONESが、だから大好きなんだ。
ライブ直後とか歌番組直後の何を書いても言葉が溢れてくるあの感覚に、BE CRAZYが流れた瞬間に陥った。そしてそのまま100分が経った。
私はほんの少しの歴史しか知らない。DVDとかCDとかYouTubeとか、そういう資料からしか彼らの歩んできた道を辿ることはできない。それでも彼らの10年が途方もない、時に出口のないトンネルのような道筋だったのだろうということは想像できるし、その道を通ってきた今のSixTONESだから大好きなんだとも思う。
そんな立場の人間にも丁寧に、時に激烈に、10年を凝縮したようなセットリストと演出の100分を見せてくれて、お値段なんと600円。誰が決めたんですか?私だったら6000円は取る。利益のためじゃない、本当にファンと繋がるための時間なんだと1曲目から感じてしまって、そうしたらなんだかもう、ダメだった。
SixTONESの音楽にも関係性にも全部に愛を持っているけれど、私がいっとう大好きなのはSixTONESという物語だ。
6人一人ひとりがアイドルになることを選んで、分岐点に立つたびに今の彼らに繋がる方を選んで、その時は前が見えなくても進んできたこと、そして今その過去を振り返って懐かしいね、あれ好きだったね楽しかったねと笑い合っていること、これからもその歴史をずっと続けたいと彼らが願っていること、全部、虚構のどんなどんでん返しよりも、どんな国が泣いたストーリーよりも、何よりも美しい。その物語の連載を現在進行形で追いかけて、どんどん更新される最新話が前回「これはさすがに最高値…」と思ったものを軽く超えてきて、どこまでも止まらないその勢いにもはや笑いすら込み上げてきて、あぁ彼らと走るのはなんて楽しいんだと思えて。
彼らの人生を物語として消費したい、というわけでは全くない。私が好きな物語はどれも、一緒に走り抜けるような、耳元で自分の鼓動が鳴っているみたいにドクドクと聴こえるほどに強く惹きつけて離さない、そんな魅力を持っている。一秒でも早く先が知りたいし、けれど一秒でも長くこの世界が続いてほしい。そう思いながら感じる物語と、SixTONESはとても似ている。どこまで行くんだろう、どんな景色を見ようとしているんだろう、彼らは今何を想って、何を夢見ているんだろう。そう思いながらSixTONESという物語のページを捲る時間が、いくら私の日常に入り込んでも、彼らは簡単に私を非日常に、本当に物語のように都合の良くていいのかと思うほど、どこまでも幸せで最高な空間に連れて行ってくれる。
ロクオン、全瞬間とんでもなく心が動いていた。こんなにいいんですか…?と慄きながら、絶対に忘れたくないなと思いながら、ツイートすることも忘れてひたすら画面を見つめていた。
BE CRAZYの歌詞が大好きだ。SixTONESが歌うことでしか生まれない説得力を乗せた歌詞が莫大なエネルギーを引き連れて、大袈裟な言葉かもしれないが彼らの生き様みたいな曲に感じる。1曲目から魂をドンと提示するようなパワーのあるパフォーマンスの中で不意に口角を上げるSixTONESに、あぁなんて強い美しさを持った人たちを好きになったんだろうとそれだけで視界が微かに歪んだ。
PARODYが流れた瞬間私のiPadはびっくりしたみたいで突然電波が止まったけれど、「ファッショニスタ」の歌詞に合わせて衣装をはためかせる北斗くんを観測して、曲の世界にまるまる身を投じる姿が大好きすぎてとりあえずクッションをめちゃくちゃに殴った。
希望の唄を6人が円になって歌い出したとき、それまでと使われている照明はそこまで変わらないはずなのに、突然すごく眩しく見えた。ずっと一緒に歩んできたんだねと、これからもずっと一緒にいてね、という気持ちでいっぱいになった。北斗くんが「あの頃の僕の声がする」と歌っていたのもすごく好きだった。北斗くんの中の「あの頃の僕」の葛藤や色んな衝動(勿論私はそれらを知らないけれど)を思うと、この曲を笑顔で画面の向こうの、そして時空の向こうの誰かにまっすぐに歌う姿が驚くほどに嬉しかった。あたたかくてやわい気持ちが胸の奥から湧いてくるような心地がした。
真っ赤な嘘で新聞の文字を目で追っているような、けれど心は違うところに向いていてただ目が言葉を滑るようになぞっているだけにも見えるような表情が、新聞をやるせない、どこか投げやりな様子で畳んで静かにゴミ箱に放る表情が、この曲の登場人物すぎて、曲に生きるというアイドルを軸にして俳優としても生きる北斗くんだから生まれる表現だなぁと思った。
名前が付いたあの宝物みたいな瞬間を、まさか観ることが出来ると思っていなかった。みんな若い(そりゃそう)。今よりも少し焦っていそうで、けれどだからこそ存在する魅力もあって。10年前の今日、彼らが集った奇跡に、そしてその奇跡が10年続いていることに、何度でも感謝する。あの時あの場所で芽生えた物語(エピソード0はもっと昔にあるわけですが…)が、彼らの人生になっていることを想うと、とんでもない瞬間だ。後から物語に追いつこうとしている人たちもちゃんと掬おうとしてくれてありがとう。
先輩の曲を歌う今のSixTONESが観られたの、とっっても嬉しかった。幼い頃から同じ場所でダンスを習ってきたんだなと分かる、事務所のアイドル特有のターンとか、その中でも彼らだけの素敵さ、もっと言えば六者六様の素敵さが至るところに散りばめられていた。時に懐かしそうに、時にきっと当時の熱量のまま、自分たちを形成した場の歴史を歌うSixTONES、最高にかっこよかった。
過去衣装を見てそれぞれの衣装に対してエピソードや好きが湧き出てくる6人が愛おしかった。衣装はアイドルがステージで纏う戦闘服で、一つひとつの衣装に思い出や時間が繋がっているから、衣装の歴史はアイドルの歴史そのものに近いと思う。それをファンが観ている場で一緒に振り返って楽しんでいるところ、多幸感がすごかったので定期開催していただけると助かる。これからもたくさん素敵な衣装が増えていくといいな。時々私服で出てきてくれるのもボーナスステージ感があって好きです。
最新の曲から原点までさかのぼるメドレー、どの時代にもその時代だけのSixTONESがいて、根底にある最高を変えずに変化し続ける、SixTONESという生き物を目の当たりにしたような気がした。どんな色の曲でもSixTONESに反射したら金色の光を放っていた。どの時代も等しく大好きだ。
サブスク解禁おめでとうございます。ちょうど解禁しようとしたタイミングでYouTubeに上がっていた楽曲が66曲だったSixTONES、どれだけ6に縁があるんだ…サブスクの良さも勿論あるけれど、彼らがたくさんを注いだCDの現物が当たり前に欲しいのでこれからも円盤でもきちんと応援します。
FC限定でやってくれたTHE D-MOTION 、TrackONE -IMPACT-でやっていたのをDVDで観て超好きだったので嬉しかった。サングラスに対して実家を感じたのは初めてかもしれない。そういえば今日してなかったな!?とそこで気が付いた。表情がよく見える素顔も好きだし、その奥を想像させるサングラスも好き。そしてロボットダンスのこの曲とサングラスの親和性が高すぎて拍手していた。
そこから自分たちの最新曲、という流れもなんだか時を感じてじんわりと沁みるものがあった。けれどそんな緩やかな余韻をすぐに塗り替えるほど、BOYZのエネルギーが大きくて、6人が何度も口にする「SixTONESこっからですから」を感じて、どうしようもなく好きだと思った。
光る、兆しを最後の曲に選ぶところも、その歌詞がどこまでもSixTONESを表しているような曲であるところも、それがまだこれからどんな道に進んでいくかはっきりと分からないジュニア時代の曲だったところも、全部がSixTONESらしくて、豊かな愛と奇跡に包まれているなぁと感じる時間だった。
炎もレーザーも全部最高にかっこよかったけれど、この曲でシンプルなスポットライトに照らされて輝く6人が何よりもかっこよかった。
その姿を観ていると、ある光景が重なった。
YOUNG OLDのWE ARE ONEだ。
あのとき、強くマイクを握り届けられた響きの美しさと力強さと、そこに含まれた祈りに、双眼鏡を掴む手が震えていた。
その手のまま双眼鏡を覗き込み北斗くんにピントを合わせると、ちょうど特効の金の降らしものが発射されたところだった。そして目に飛び込んできた光景の美しさに息を呑んだ。
北斗くんの祈りがそのまま天に届けられているようだった。届けと祈った。心から。「僕らを分かつことは何もない、僕らは一つだ」という切実で、きっとそのための努力を全員で続けていくであろうことへの、それでも祈らずにはいられない大切が、どうか果たされますように。
そう祈ったあの瞬間を、ライブから2か月以上経った今でも鮮明に覚えている。
あの瞬間の眩さに似ていた。あぁずっと好きでいたいな、となんの脈絡もなく思った。このひとが、このひとたちが、だいすきだ。
いつも、これからも、ずっと。
全然衝動でnote書けた。変わらずに好きで、だけどどんどん大きく深くなっていっているということにしよう。
記念日ごとに言っていて、たぶんこれからも毎回言うと思うけれど、SixTONESに出会える人生で良かった。あなたたちがいるから頑張れることがあって、出会えた人がいて、見れた景色があって、知れた感情がある。もし人生やり直しても、絶対にあなたたちに出会う道を選ぶ。
結成10周年おめでとう。
今までも、いつも、これからもありがとう。
これからもたくさん素敵な、さいっこうな景色を見に行く旅を続けよう。
だいすきです。
