『天才は既に死んでいる。』創作大賞2026エッセイ
十三の冬、天才が死んだ。
教師にすら「様」付けをされ、崇拝されていた天才が死んだ。
わずか十にして、ファンクラブが設立されかけていた天才が死んだ。
天才が歩けば、すべてが花道になった。
廊下でも、コンクリートでも、更には泥沼まで。
従者を名乗る者がにへーっと顔を綻ばせ、
「天才と同じ道を歩けるだなんて!?」と自慢げについてくる。
他の者はそんな従者を羨ましく思いながら、
床に頭をつけ、廊下を囲った。
まるで、大名行列における庶民たちのように。
そんな天才を横目に、川柳まで詠み始める者も現れた。
こほん、ここで一句。
「貴方様 頭も良ければ 顔も良い」
字余りも気にならないほどの信仰っぷりだったみたい。
しかし、天才は謙遜をした。
素で自身の顔面に自信がなかったからだ。
天才はそんな控えめな性格も相まってか、
とてつもなく人気だった。
常にクラスの中心であり、象徴だった。
じゃあ何故、自信がなかったのか。
本人によると、
「顔面偏差値診断」で
「偏差値30 評定:ブサイク」を記録したからだそう。
今思えば、「そんなもの真に受けるなよ」
と言ってやりたい。
そんな天才が死んだのだ。
そりゃあ、激震が走った。
そして、私はそんな天才を一番よく知っている。
なぜなら、彼女の隣は常に私だったから。
1.天才はどのようにして生まれたのか
お砂糖と スパイス
それから 素敵なものすべて
そんなもので 女の子はできてるよ
女の子は
「お砂糖とスパイスと素敵なものすべて」でできているらしい。
じゃあ、天才は?
生まれつき?努力?
それとも周りからのよいしょ?
柏餅と ミラクル
それから 謙虚なものすべて
そんなもので 天才はできてるよ
柏餅は天才の大好物で、謙虚は記した通り彼女の性格。
「ミラクル」は天才を彩るもの全て。
環境、人間関係、クラス、性格ーーー
そのどれもが奇跡のようだった。
少しでもその歯車がズレていたら、
天才は生まれていなかったかもしれない。
ただの「クラスメイトB」のままだったかもしれない。
noteという媒体にすら出会わなかったかもしれない。
何より、死なずに済んだかもしれない。
じゃあ、その中で1番のミラクルは何?
そう問われたら、私はきっとこう答えるだろう。
2.「並列つなぎだよ」と。
今でも忘れない。
とある日の理科の授業中の出来事だ。
確か単元は「乾電池のつなぎ方」。
何度も言うが天才は根っからのインキャだったから、授業中に手を挙げることすらまばらだった。
その日も、
いつものように黒板をぼーっと眺めていた。
ときおり板書を写し、
また魂が抜けたように深緑の板を見上げる。
微動だにしないその様は、
「動かない鳥」とも形容されるハシビロコウみたいだった。
「えー、次はこの問題。誰かわかる人ー」

いつものように手を挙げない天才。
彼女は「間違えること」を極度に恐れていた。
ふと、周りを見渡してみる。
クラスもまた静寂に満ち、先生も苦笑を浮かべている。
どうしよう。挙げるべき?挙げないべき?
でも、もし間違えたら?そもそもこういうキャラじゃないし。
…よし、決めた。
意を決し、ゆっくりと右腕を挙げる。
気づいた先生が、答えを促す。
クラスメイトたちの視線が突き刺さる。
「…並列つなぎ…だと思います…」
「素晴らしい!正解…!」
その途端、
教室中がパッと花開くように賑わった。
鳴り止まぬ喝采に、
これでもかと降り注ぐ称賛の嵐。
「すげーー!」「頭良すぎ!」
「天才!!」「天才様?」「よっ姉さん」
きらきらと輝くみんなの瞳に映っていたのは
足が速いアイツでもなく、
人気者のあの子でもなく、
ただのひとりの女の子だった。
クラスメイトBは、
瞬く間に天才へと生まれ変わった。
誰もが彼女を様づけし、敬語を使いたたえた。
割れんばかりの拍手の中、ふと思う。
この称賛が止んだら、私は何になるんだろう。
それでも、嬉しく思わずにはいられない。
まさか並列つなぎが人生の転機になるとは。
こうやって、天才は生まれたのだ。
3.恋に落ちた天才
どんな数式でもスラスラと解いてしまう天才だったが、
ひとつだけ解けないものがあった。
それが、恋愛の定義。
あの天才がある日、恋に落ちたのだ。
同級生でもなく、近所のボーイでもない。
ひとりの男性教師を好きになってしまった。
天才は恋愛に夢中になってのめり込んだ。
今まで「ははん、恋愛?するわけないじゃん」
って小馬鹿にしてたのが嘘みたいに。
普段読まないロマンス小説を読み漁り、
「恋愛占い大全」を実践する日々。
早起きしてホウセンカを爪に塗ってもみたし、
結露したガラスにハートを描いてみたりもした。
検索履歴にも「教師 恋愛 卒業後」「年齢差 何歳まで」「好きすぎる やばい」がどんどん積み重なった。
「若いねぇ青春だなあ」「天才ったら乙女〜」
と胸を弾ませた皆様へ。このときの天才はちゃんとおかしかった。
一言でいうと、
「キモかった」
そう、本当にキモかった。
たとえば、明治時代の文豪の愛人みたいな。
机に激エモ(仮)ポエムを書き、その人専用の観察ノートを作った。
Googleマップで実家を探したりもした。
母校の同窓会の会員登録のページにも辿り着いた。
(もちろんログインできてませんよ。倫理はちゃんとあります。)
しまいには、
「手作りの昆虫の消しゴムハンコ」をプレゼントした。
どんな求愛行動だろう。
まだ売れかけのバンドマンの方がマシだ。
私はこれを「華のメンヘラ期」と呼んでいる。
しかし、その想い人はある日突然、教壇から姿を消した。
天才の初恋は、あっけなく打ち砕かれた。
4.天才はドッヂボールが嫌いだ
人望を集め、恋にも溺れ、順風満帆のように見えた天才だったが、彼女にも苦手なものがあった。
それが「ドッヂボール」。
天才はドッヂボールがこの上なく嫌いだった。
給食の準レギュことアーモンドフィッシュよりも。ドライフルーツよりも。
そして何より、私よりも。
それでも、ドッヂボールは体育の余った時間や総合の時間など、不定期に、かつ確実に訪れる。
だから、免れることは難しそうだった。
ふれふれ坊主を吊るし、体育の授業で時間が余らないことを願う日々。
男子VS女子が行われた日はたまったもんじゃない。
そこで、天才は良いことを思いついた。
ドッヂボール反対運動をしよう!
天才は同志を集め、(結局集まらなかったが)署名を集めようと思った。
「ドッヂボールって何が楽しいの?」というキャッチコピーの下、
まず手始めにノート5ページほどの抗議文を書いた。
主な内容は「そんな非人道的な遊び良くないと思います💦」という正義のフリをした私見。
それを担任に読ませた挙句、
「ドッヂボールに参加しなくて良い権利」を貰うことに成功した。
生意気なガキッチョだこと。
当時の担任からすれば良い迷惑だろう。ありがとう、先生。
このまま小学校を卒業するまで、
天才は「ドッヂボール反対運動」に全身全霊を注ぐことになる。
私が「ドッジボール」を「ドッヂボール」と表記しているのも、
天才から受け継いだせめてものアンチテーゼを込めているから。
(ちなみに、抗議文には以下の記事を参考にさせていただいた。
本当に「人間狩猟ゲーム」だよ、ドッヂボールって。)
5.没落した天才
季節がめぐり、十二の春。
反ドッヂボール運動も終わりを迎え、
待ちかねた中学の入学式。
天才は遠くの中学に進学したから、
知り合いはゼロに等しかった。
それでも天才は胸を高鳴らせた。
「最高に青春を謳歌してやろう」と。
あの日感じた不安は、
進学の高揚にすっかり掻き消されていた。
スタートは最高かと思えた。
仲の良い友人もでき、自己紹介も難なく終えた。
部活にも入り、学業も充実した。
傍から見たら、怖いくらいに順調だ。
というか、
それが「普通」の学校生活だろう。
何かが物足りない。
あのときの称賛は?神を見るような目は?どうして私を見てくれない?
周りからの盲信が剥がれた天才は、
ただの十二歳の少女だ。
そんな"ただの少女"は
もちろん1軍グループにも入ることができず、
部活でもペアの子との格差が広まり、
体育祭では一個人を応援されもしない。
天才は、より私のことを嫌いになった。
今まで無視していた「私」という存在を、
直視せざるを得なくなったから。
その日は、部活でひとりずつ顧問から
音程の批評をもらうことになっていた。
私は忘れていた。
良い意味でも悪い意味でも、
人生の転機はある日突然訪れるということを。
みんなの前で、ひとりずつ音程を披露していく。
「うん。良い音程」「もう少し高く」
天才の番が来た。
姿勢を正し、ゆっくりと息を吹き込む。
「下手だね」
顧問は淡々と告げる。
この一瞬が永遠のように感じられた。
誰かの相槌も、楽器の音も、何もかも。
突き刺さる視線の傍ら、頭の中がショートした。
疑問すら浮かばなかった。
ただ、「あぁ、やっぱりな」という納得感だけが残った。
部員たちの「伸びしろがあるってことだよ!」
という励ましが、かえって辛かった。
その日から、天才の輪郭は霞んでいく。
天才の代わりに私が姿を見せた。
そのとき、やっと生きた心地がした。
もう柏餅は好きじゃないし、もう謙虚でもない。
そもそも、謙虚だったらこんなエッセイは書かない。
一人称も「私」から「ウチ」に変えた。
天才の抜け殻に、もう用はなかったから。
天才は私が嫌いだった。
天才は平凡な自分が嫌いだった。
天才は既に死んでいる。
天才は死に、凡才になった。
