聞き役という係に、いつの間にか座っていた
また、自分ばかりが場を収めている。
会議室のドアを閉めた瞬間、そう思うことがある。
誰かが不満をこぼし始める。空気が重くなる。
気づけば、その空気を軽くする役目を、また自分が拾っている。
相手の表情が曇った瞬間、頭からつま先まで一気に冷えた感じがする。
この感覚には覚えがある。子どもの頃からずっとある感覚だ。
場の空気が変わりそうになると、反射的に言葉を飲み込む。
自分の意見より先に、相手の顔色が視界に入ってくる。
なぜかいつも聞き役に回ってしまう。
愚痴を聞く係、不満を受け止める係、丸く収める係。
頼まれたわけでもないのに、気づけばその椅子に座っている。
これは性格が弱いからではない。
多分、もっと前から始まっている。
母の話の聞き役だった。
兄が二人いる。どちらも口数が多い方ではない。
物心つく前は自分が話す側だったような気もするが、記憶が定かではない。気づいた時にはもう立場が逆転していた。
話をしても、聞いていない。
興味がない。
それが伝わってしまう瞬間がある。
相手の相槌のタイミングがずれる、視線が少し逸れる、そういう些細なところで分かってしまう。
だから、話す側から聞く側に回った。
仕事の愚痴、父の話、近所の話。
話していてつまらなさそうにされるくらいなら、自分が聞く方が早い。
大人になっても変わらなかった。
自分の話には興味がなさそうな空気を感じると、聞き役に徹する。
反論はしない。ただ聞く。
介護ヘルパー2級の資格を取った時、これには名前があると知った。
傾聴。
相手に寄り添う。否定しない。そのまま耳を傾ける。
資格を取って初めて、無料でずっとやっていたことに講習料を払うところだった、と気づいた。
高齢者は特に、不安に感じたり蔑ろにされることに対して激しい反応をすることがあるから大切だと習った。
ああ、これは自分が昔からやっていたことだ、と思った。
技術として名前がついているだけで、やっていることは同じだった。
反論すれば機嫌が悪くなる。
あぁ、認めてほしいだけなんだな、と分かるから「そうなんだね」で返す。
こちらも話を聞いてほしい時があるが、テレビの内容に気を取られて話が逸れる。
逸れた話が戻ってくることはない。
戻ってこないと分かった時点で、話す気が失せる。
結局、また聞き役に戻る。
職場でも同じことが起きた。
上司Aの奥さんが、経理の話を自分にしてきたことがある。
担当は上司Bで、しかも上司Bの所属していたもう一つの会社の管理費支払いについての話だった。
自分には関係がない。
関係のない話を延々とされて仕事が進まないくらいなら、いっそ本人に伝えた方が早いのではないかと思い、「上司Bに伝えましょうか」と聞いてみた。
返ってきたのは、はっきりしない反応だった。
話はその後も続いた。
それどころか、旦那である上司A本人が担当の案件の話まで振られるようになった。
しかも長い。一時間はかかる。
話が終わる頃には、もう定時だった。
話を聞いてくれる人が、いないんだろうな、と思った。
解決してほしいわけではない。
聞いてほしい。
不安を誰かに預けたい。
それだけなのだと分かる。
自分の話もたまには聞いてもらえるが、比率でいえば九対一。
しかもその一は、大抵、上司Aの言動の確認だったりする。
あれ、これ前にもやったことがある。
その感覚に気づいたのは、「うん、うん」とうなずきながら、時計を気にしている自分に気づいた時だった。
子どもの頃、母の話を聞きながら、心のどこかで時間を数えていた感覚と、同じだった。
あの頃は、それが必要だった。
聞き役に回ることで、場が保たれていた。
誰かの機嫌を損ねずに済んでいた。
子どもの自分が持てる手段の中で、それが一番、傷が少ない方法だったのだと思う。
生き延びるための工夫だった。
今になって責める理由はどこにもない。
ただ、あの頃の工夫を、今もそのまま使い続けている必要はない。
九対一の比率に気づいたのは、時間を気にしている自分に気づいた時だった。
時間を気にしているということは、どこかで「これはおかしい」と感じている証拠でもある。
おかしいと感じられるだけの距離が、今の自分にはある。
子どもの頃にはなかった距離だ。
降りる、という選択肢がある。
今すぐ全部を変える必要はない。
傾聴という技術に名前がついていたように、これから先、自分の側にも名前をつけられる技術があるかもしれない。
境界線とか、断り方とか、そういうものだ。
まずは、比率を数えられる自分に気づくところから。
それだけで、もう一歩目は踏み出している。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
このnoteでは、職場で消耗している人へ向けて、記録の取り方や自分の守り方を書いています。
▷ 「降りる」から「守る」へ
係を降りたあと、心を強くする必要はなかった。必要だったのは、行動のルールを変えることだけだった。
▷ その椅子に座り続けなくていい、と気づいた人へ
役割を辞めることにも、許可はいる。
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