《第1話》「使用中ですので、開けてしまったらすみません」──先に謝ったのは誰だったか
朝、コンビニに行った。
大して用もなかったけど、トイレを借りたくなった。
本能とルーティンの狭間、尿意が世界の中心にある時間帯だ。
店舗の横、従業員通路の先にあるドアに、こんな貼り紙があった。
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「使用中ですので、開けてしまったらすみません」
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……おい。
誰が誰に謝っているのか、わからない。
使っている側なのか、開ける側なのか。
なにが起きて、なにが起きてないのか。
これは何を制止し、何を赦し、何を諦めているのか。
五秒くらいで読める文なのに、読み終わってから十秒くらい、私は扉の前で立ち尽くした。
文は、誰かの気配を吸っている。
その人が書いたわけじゃないとわかっていても、書いた人のことを想像してしまう。
たとえばこの貼り紙。
「使用中」とはっきり宣言しているくせに、なぜか謝っている。
「開けてしまったら」と、開ける側の過失すら受け止めようとしている。
これは、なにかに耐えてきた人の文だ。
おそらく、前にも開けられたことがあるのだ。
ドアノブをガチャッと回されて。
「ウワッ、すみません!」という声が向こうから聞こえてきたのかもしれない。
けれど、ドアの内側にいる人間にとって、「開けられる」は事故ではなく侵入未遂に近い。
たとえロックがかかっていても、その音は心をひっかく。
そして、思ってしまったのだろう。
「私が悪かったのかもしれない」って。
この貼り紙を書いた人は、そのときたぶん、
便座に座ったまま、マジックを手に取ったんじゃないだろうか。
「使用中です」だけじゃ足りない。
でも、「開けないでください」では強すぎる。
だから、書いたのだ。
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使用中ですので、開けてしまったらすみません
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なんだこれは。
すべてが、ぎこちなくて、愛おしい。
私はこの貼り紙を書いた人を、
勝手に「レジ担当の女性(午後シフト)」だと思っている。
字の大きさと角度に、手慣れた書類仕事感がある。
でも「すみません」の部分だけ少し右上がりなのは、焦りか迷いの跡だ。
30代後半、ひとり暮らし。
パート歴7年目。
お弁当は冷食少なめ、卵焼きは甘いタイプ。
声は通るけど、笑うときだけちょっと恥ずかしそうに口元を隠す。
字に、そういう全部がにじみ出てる。
いや、妄想だけど。でも、私は本気でそう思っている。
彼女は、たぶん注意深い人だ。
ティッシュの箱の最後の1枚を使うとき、
箱の底の白い紙ごと抜かずに、
一度ふたを開けて、最後の2枚を取り出して、
紙ゴミと燃えるゴミをきちんと分別するタイプ。
わかる。そんな人じゃないと、この貼り紙は書けない。
「使用中ですので、開けてしまったらすみません」
という文は、対話のようで、でも対話ではない。
それは世界へのひとりごとであり、独白であり、
「私はここにいるよ」という存在証明だった。
私は、この貼り紙を見て恋に落ちた……
というと語弊があるが、存在の端っこに触れてしまった気がして、震えた。
そして、またやってしまった。
何もせずにその場を離れた。
トイレにも入らず、3歩下がって、自動ドアの音を背中で聞いた。
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恋とは、いつも途中でやめる練習なのかもしれない。
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3日後、もう一度その店に行ってみた。
貼り紙は、なくなっていた。
ドアにはセロテープの跡だけが、うっすら残っていた。
あの人が剥がしたのか、他の誰かが剥がしたのか。
どちらにしても、もう確かめる術はない。
でも、私はたしかに、その日、
便座の向こう側で生きている誰かの声を読んだ。
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