PERCHの聖月曜日 176日目
神に選ばれた民としてのユダヤ人、という考えは一歩間違うと、近代ナショナリズムから生じたシオニズムになってしまいます。しかし、本来ユダヤ的な選民の思想というのはもっとつつましいもので、むしろどこにも属さず、孤立の中で生きることを支えるものであったと思うんです。その意味で、今言った思想家たちはユダヤ的だと思う。
あまり表だって言いたくないけど、この本で憲法九条について書きながら、「召命」という言葉を想起しました。英語でcalling、ドイツ語でBerufung。そういう、神に召されるようなことが個人だけでなく、民族、国民にも起こりうるということです。それは日本が特権的な所だからではなくて、愚かしい戦争に敗れた、外から見れば惨めな所であったからです。それでいいじゃないか。そこにこそ名誉があるんです。
ーーーインタビュー 柄谷行人「改憲を許さない日本人の無意識」『文學界』文藝春秋,2016年,p25

James McNeill Whistler
1889
