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PERCHの聖月曜日 173日目

貧即不幸福の宗門者は、ともすれば食えなくては堪らぬということを説く。恋しさとひもじさとでは、ひもじさが痛切だという意味の歌が有る。また「死ぬほど惚れても貧乏人はいやだ、出来りゃ吾が児が寒ざらし」などいう俚謡もある。いずれも半面の真を露わして居るが、全部の真では無い。半分は嘘だ。安心すべし、身を投げて死なんとしても大抵は死ねぬ世である。「肩あれば着ざる無く、口有れば食わざる無し」という古語の通りで、肩が無くならぬ限り、口が無くならぬ限りは、飢寒で死ぬことは少い。露西亜の如き国状を醸し出すところの狂妄(きょうもう)陋悪(ろうお)の思想や感情が行われたら飢餓で死ぬ人も沢山出来るであろうが、然(さ)もない限りは貧乏は生命に別状は無いものだ。貧乏を嫌がる強迫観念の強烈なのに囚われたものだけが生命に別状を起すのである。滔々(とうとう)たる世上の人、実は大なり小なり厭貧的強迫観念に囚われて苦しんでいるのでは有るまいか。稀有な事例に属する病的苦悩を抱いて居る者を、医家も世人も強迫観念に囚われて居るというが、達者の眼から看たら大抵の人は貧即不幸福の強迫観念所有者で、それは慥(たしかに)病的であるのでは有るまいか。

ーーー幸田露伴「貧富幸不幸」『仏教の名随筆 1』国書刊行会,2006年
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